2024/10/2

売上54億円の先へ。新日本プロレス社長 棚橋弘至のマネジメント術

編集・ライター
2023年12月23日、新日本プロレスの社長に就任したのが「100年に一人の逸材」こと、プロレスラーの棚橋弘至さんです。

1999年のデビュー以来、IWGPヘビー級王座をはじめとするあまたのタイトルを獲得してきたほか、2000年代後半からはプロレス人気に影が差し会社の売上が落ち込むなか、自ら全国各地でのプロモーション活動に奔走し、のちの新日本プロレスのV字回復に貢献しました。

12月26日に開かれた社長就任記者会見では「東京ドーム大会を超満員にする」「地方でのタイトルマッチをどんどん増やしていく」「スポンサーとのパートナーシップの強化」という3つの目標を掲げ、社長業への意気込みを見せた一方、「社長も100%、プロレスラーも100%」とレスラーとしても現役を続けると説明。

現在は、IWGP世界ヘビー級王座への返り咲きを目指しています。

就任から約9カ月が経ち、現在はどのように社長として日々の業務に取り組んでいるのか、そして棚橋さんが見いだした独自のマネジメント術、新日本プロレスが長きにわたって続いていくための鍵について、話を聞きました。(第1回/全3回)
INDEX
  • 前触れなく、1カ月前に社長就任の打診
  • 「出会いに照れるな」という言葉を大切に
  • 実地で見いだした「棚橋流マネジメント術」
  • 飛躍の鍵は「時代に対応する柔軟性」

前触れなく、1カ月前に社長就任の打診

2023年11月、新日本プロレスの取締役で、親会社であるブシロード代表取締役の木谷さん(木谷高明氏)から食事に誘われました。
「どんなおいしいものが食べられるんだろう」と思いながら参加したのですが、食事が始まる前に「12月から(新日本プロレスの)社長をやってくれないか」と言われたんです。なんの前触れもありませんでしたね。
僕としては、コロナ禍が明けてファンの方々が試合会場で思い思いに歓声を上げられるようになったなか、選手としてチャンピオンになってプロレス界を盛り上げて、コロナ禍で落ち込んでしまった業績をV字回復させようと意気込んでいて。
やるからにはレスラーを100%、社長も100%の力でやりたいと思いつつ、果たしてやり遂げられるだろうかと考えたのですが、自分は疲れたことがなかったのを思い出しました(笑)。
2時間ほどの食事を終えるときには決意を固めて、「やります」と返事しました。そして12月、現役でレスラーを続けながら、新日本プロレスリング株式会社の代表取締役社長に就任しています。
大学を卒業して、社会人を経験せずにプロレスラーとしてのキャリアを歩んできたので、社長になったものの、ビジネスパーソンとしての常識を学ぶところから社長業を始めました。
最初は通勤電車に乗ってオフィスに出社し、ひととおりの社内の会議に出席しながら、会社のこと、自分がやる仕事のことを勉強していきましたね。
現在は就任から約9カ月が経ち、社長業のルーティンが固まってきました。プロレスの試合がない日は月曜日から金曜日までの平日に出社し、定時の18時までオフィスで仕事しています。
取締役会や部署会議といった会議への出席、各部署から届く書類に承認印を押すといった社長としての業務に取り組みつつ、空いた時間には勉強しています。
ビジネス用語を覚えたり、インターネットで検索して他の会社の社長のインタビューを読み、企業経営を学んだりしていますね。決算書も読めるようになりました。
仕事をするなかでわからないことがあれば、木谷オーナーをはじめ、まわりの経営メンバーや社員の方々に全部聞いています。
あとはメディアでの対談で、ほかの会社の社長とお話しする機会が増えました。会社外の、社長同士のつながりは増やしていきたいですね。「TEAM PRESIDENT」をつくりましょうか(笑)。

「出会いに照れるな」という言葉を大切に

プロレスラー同士は、毎年各地を移動して試合をするなかで顔を合わせるので、自然と絆も深まります。しかし社員の方々とは、領収証の精算をしにオフィスを訪れるときぐらいしか会わないので、関係性も希薄です。
社長になって出社するようになって、社員がどういう仕事をしているからレスラーが試合会場へスムーズに移動できたり、興行とオフのバランスを取れたりするのか、あらためて気づかされました。
自分自身が約25年間、プロレスラーをやってきた経験が社長業に生かされていると感じるのは、プロモーションです。
2000年代後半のことですが、新日本プロレスの業績が低迷するなか、全国各地で積極的にプロモーション活動を行い、最終的にV字回復させることができました。
(写真提供:新日本プロレス)
その頃は、応援してくれる企業さんのためにレスラーが何を発信して、どう動いたら喜んでもらえるかをひたすら考えて取り組んでいて。
その考え方を社長になってからも継続して活動してきた結果、社長就任前と比べて試合に使われるリング上のマット広告は増えています。
プロレスは、ほかのプロスポーツと比べて「マイノリティー」の意識が強いんです。そのため、選手からの発信が多いんですね。
「こんな製品を使ってます」「これを食べておいしかったです」と選手から発信できることが、新日本プロレスのもつ強みだと考えています。
以前、誰かに言われた「出会いに照れるな」という言葉を大切にしています。
初めて出会った方とあいさつだけで終わるのではなく、少し踏み込んで質問をしてみたり、お会いした社長さんとすぐに連絡先の交換を提案したりと、その場限りのご縁で終わらずにいい関係を続けられるよう、意識しています。
これは、プロレスラーとして活動している頃からずっとですね。

実地で見いだした「棚橋流マネジメント術」

プロレスラーだけだったときからトップ宣伝マンを自負していたのですが、社長になってからよりプロモーション活動での稼働が多くなっていて。
9月中旬に11年ぶりの北海道ツアーを敢行するのですが、それに向けて8月には4日間、北海道で重点的にプロモーション活動を行いました。北は北海道から南は九州まで、文字通り全国を飛び回っていて、7月と8月の休みは1日ずつですね。
社長になるときには、そもそも社長が何をやるのかもわかっていなかったので、将来像を思い描けていませんでした。ただ就任から約9カ月が経ち、だんだんと「社長はどうあるべきか」をつかめてきたと感じています。
各部署のメンバーが動きやすいように背中を押してあげる、そして最終的な責任は社長の自分がもつ。
僕自身がレスラーとして新しいチャレンジを続けて切り拓いてきたパイオニアだと思っているので、「いいね、やってみなよ」と、社員の挑戦をどんどん応援していきたいですね。
僕の人となりもあると思うのですが、社長感が出ないんですよね(笑)。社内には年齢が近い人もいますし、社長と呼ばれることも多いですが、昔ながらのスタッフからは「棚さん」と呼ばれています。
しかしそういった距離感だからこそフランクに相談してもらえますし、目線を合わせられているとも思うので、友だちのような社長という、社長像のニュータイプを示せているように思いますね。
一方で、みんなの意見を聞きながらも、社長としてのビジョンがないとブレます。ゴールがあって数字があって、そこに向かっているからこそアイデアが浮かびますし、行動もできます。目指すのは、2019年に記録した過去最高売上の54億円という数字を超えることです。
コロナ禍での落ち込みから2023年度はこの数字に迫るほどまで回復しましたが、今年はさらにその先にいきたいですね。

飛躍の鍵は「時代に対応する柔軟性」

以前、創業から100年を超える会社のパーティーに参加したことがあるのですが、そこで長寿企業になる秘訣を教えていただいたんです。
1つ目は、会社の方針がしっかりしていること。2つ目は、会社の生産する製品や仕事の内容がしっかりしていること。そして3つ目が大事で、時代へ柔軟に対応することだったんです。
新日本プロレスは、道場時代から続くストロングスタイルという方針があり、かつ選手もそろって練習もしっかり取り組めていました。それなのになぜ、2000年代に人気が落ち込んだかというと、時代に対応する柔軟性が足りなかったんです。
そこで僕は、明るくてチャラくてキャッチーな、時代に合ったプロレスラー像を目指しました。その結果、昔からのファンからは反発もありましたが、それ以上にプロレスを好きになってくれる人が増え、業績が上向いたのは先にお話ししたとおりです。
6月には社長就任から半年の会見を開き、新日本プロレスの10個の「今後の指針」をお伝えするなかで、「乱入や介入の阻止」を掲げました。
善人と悪者がいて盛り上がる世界ですし、プロレスの試合は水物だからこそおもしろいのですが、これも時代の変化への対応のひとつだと考えています。
時間が流れていくなかで生まれる変化に、僕も含めて選手たちがどう対応していくかが、新日本プロレスのこれからの鍵になりますね。
第2回目では、棚橋さんが見いだす「地方の可能性」について、「地方創生」を目指す佐賀県唐津市とのコラボレーション、新日本プロレスの地方展開など、話を聞きます。