「宣言的知識」と「手続き的知識」を意識することで語学学習が変わる!?
言語はスキルか、それとも知識の集積か?
言語学習のアプローチや方法を大きく左右する重要なテーマとしてしばしば話題に上がるのが、「言語はスキルなのか、それとも知識の集積なのか?」という問いです。
日本語母語話者は日本語のスキルが完璧に身についてますが、たとえば「嬉しい」と「楽しい」の違いを端的に説明できる人は少ないでしょう。
一方で、これまでの外国語の学習において、文法ルールをいっさい学ばなかった人も少ないのではないでしょうか。言語学習における「知識」と「スキル」はどのように関係しているのでしょうか?
宣言的知識と手続き的知識
人間の知識の形態には、二つの主要なタイプがあります。「宣言的知識」と「手続き的知識」です。宣言的知識とは、言語化できる知識のことで、具体的には文法や語彙、さらには自分の過去の経験に関する記憶が含まれます。例えば、「be動詞はis, am, areの3つの形に変化する」などの文法のルールを説明できる能力は、宣言的知識に分類されます(小柳2020)。
一方、手続き的知識とは、物事の手順や技能に関する知識、スキルで、例えばスポーツや楽器の演奏、そして言語の運用にも関係しています。
たとえば人に何かを説明する時、言葉にできる内容を組み合わせて知識や情報を伝えます。この時話される内容は、宣言的知識と言えるでしょう。「英語とは世界中で話される共通言語である」、「徳川家康は江戸時代の武将である」など、言葉で説明できる知識が宣言的知識です。
逆に、たとえば自転車の乗り方を言葉で説明しようと思っても、難しいと思います。「両手でハンドルを握り、ペダルに交互に力を入れれば進むよ」などと説明したところで、バランスの取り方、カーブでのハンドルの動かし方など、自転車に乗る行為には、説明できないことがたくさんあります。このように説明できないけど実行できるスキルは、手続き的知識です。
仮に言語の運用が宣言的知識であると仮定してみましょう。少し無理があることがすぐにわかります。もし言語能力が宣言的知識であるなら、日本語母語話者であれば、今あなたが読んでいるこの文の読み方について詳細に言語化できるということになります。目の動かし方、文字から意味を取り出す方法、文法の理解のプロセス、前に読んだ段落との情報のつなげかた...。
そう、言語の運用はスキルであり、全体的に手続き的知識に基づいている(小柳2020)ということが、お分かりになると思います。
知識とスキルの関係
第二言語取得研究(SLA)においては、教室で教わったり本で読んだりする文法やルールなどの宣言的知識は、実際のコミュニケーションの場で直接役立つとは考えにくいという仮説が提唱されています。宣言的知識は、発話や文法が正しいかどうかを確認する「モニター」として機能するに過ぎないとされています(この考え方はモニター仮説と呼ばれています)。
では、これまで文法書で学んだ知識や発音に関する知識は、コミュニケーションには生かされないのでしょうか。宣言的知識として学んだ情報が時間をかけてスキルとして定着していくと仮定すれば、文法書で学んだ内容も無駄にはならないはずです。逆に宣言的知識がスキルとして定着しないとすると、これまでのルールの暗記や用法の分類などは無駄だったことになってしまいます。残念ながら、ここに関しては第二言語習得研究で明確な結論は出ていません。
少なくとも言えることは、教科書などで学んだ第二言語の関する知識は、実際のコミュニケーションにおいて正確さをモニターするために役に立ってくれます。そして、第二言語をある程度のレベルまで習得した方であれば、自分の第二言語能力において、意識的に学んだものが一切影響していないというのは、実感と異なるのではないでしょうか?
村野井(2006)によれば、学習成果に影響するのは、知識として教科書で学んだのか実際のコミュニケーションのなかで学んだのかではなく、"気づき"があることであると捉えておくのが良さそうだといわれています。
気づきとは、意識的であれ無意識的であれ、「この項目は何だろう?」「この言い方はどういうことだろう?」と着目することです。着目されて理解された項目が、言語能力として身についていくと言われています。宣言的知識がコミュニケーションに直接影響しないとしても、知っているということが気づきのきっかけになることは多いに考えられることです。
ここまで、言語はスキルであるということ、そして、宣言的知識、手続き的知識に関わらず、気づきを得ることこそが学習成果に影響しそうだということがわかりました。
効果的な自習法:知識とスキルのバランス
以上の内容を、普段の語学に当てはめていきましょう。
効果的な言語学習のためには、知識のための学習と運用のための学習をバランスよく組み合わせることが重要です。
例えば、新しい語彙を覚えたり文法を学んだりすることは、宣言的知識を増やすために有効です。言い換えれば、言語"について"学ぶ性質の学習は、宣言的知識のための学習と言えるでしょう。
逆に言語"で"内容を扱う性質の学習は、手続き的知識のための学習です。たとえば、記事を読んで問題を解く、リスニングをして内容について感想を書く、英会話の講師と話してみる、Chat GPTのプロンプトを英語で書いてみるなど。言語で内容を扱う手続き的知識のための学習を組み合わせて、両輪で回していきましょう。
知識(宣言的知識)を得るための学習では、「正確な運用をゆっくりでもできるように、ルールをしっかり理解すること」がポイントです。逆に、スキル(手続的知識)を鍛えるための運用練習では、正確さにこだわりすぎず、スムーズなコミュニケーションを意識しましょう。このようにして、知識とスキルの両面から言語をアプローチすることで、よりバランスの取れた学習が可能になります。
リーディングでの実践例
リーディングを例に、具体的な学習方法を簡単に考えてみます。
一つのテキストを使う場合でも、二つの異なるアプローチを組み合わせることができます。まず、精読によって宣言的知識を深めます。精読とは、「辞書を活用したり、解説を読んだり、教師に説明してもらったりしながら、知らない文法事項や単語が含まれた難しめの英文を解釈する活動」のことです(中田 2023)。
その後、同じスクリプトについて内容に関する問題を解いたり、内容に基づいてディスカッションをするような運用を重視した活動を試みることで、手続き的知識を養うことができます。
しっかり精読によってそのスクリプトで使われる言語的特徴について説明できる知識を持った上で運用していくことで、運用時に"気づき"が起きることを促進してくれます。
こうした知識とスキルのバランスを取った学習方法を中国語学習に活かした方法をこちらの記事で紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。
まとめ
言語は単なる知識の集積ではなく、スポーツや楽器などと同じスキルとして捉えて学ぶことが重要です。宣言的知識と手続き的知識の両方をバランスよく学びながら、「気づき」を意識することで、より効果的な語学習得が可能となります。自分の学習スタイルに合わせたバランスの取れたアプローチを採用し、言語学習の成果を最大化していきましょう。
もし語学学習で困ったことがあれば、いつでもお気軽に語学コーチングスクールthe courageにご相談ください。プロの語学学習コーチが最適な学習方法を提案させていただきます。
参考文献
小柳かおる(2020)『第二言語使用について日本語教師が知っておくべきこと』くろしお出版
中田達也(2023)『最新の第二言語習得研究に基づく究極の英語学習法』KADOKAWA
村野井仁(2006) 『第二言語習得研究から見た効果的な英語学習法・指導法』大修館書店
(見出し画像:https://www.gettyimages.co.jp/)
コメント
注目のコメント
あります、っていうこの↓「宣言」ですが、その宣言的知識は、誰が決めたんですか? ここでいう「宣言的知識」が、ここでいう「手続き的知識」の派生物である、ということはないんですかねぇ? ねぇ、AI さん?
「人間の知識の形態には、二つの主要なタイプがあります。「宣言的知識」と「手続き的知識」です。」プログラミングの学習について「何の本を読めば良いですか?」と聞かれることにいつも違和感があり、「自転車の乗り方は本では学べないよ」と答えていた。この記事を読んで、プログラミングもスキルであって宣言的知識と手続き的知識の両方をバランスよく学びながら「気づき」を意識することが大事なのだと思った。
色々気付きになる記事だった。
昔から、「宣言的知識」の学習が苦手だが、「言語化」は大事だと思っている。手段の目的化や、「ルール」という言葉に代表される絶対的でないモノを絶対的に扱うことへの脳の拒絶感が強いのだと思う。
自然現象は一定の事実・法則があると思うが、それ以外だとあまりに「ルール」とするにはボラが大きかったり例外なことが多い。それは言語もだし経済関係もそう。
だから、ルールというよりパターンくらいに扱ってくれるだけで、脳の受け取り方が全然変わる。良い先生に恵まれて「こういうことが多くて、でも他の方法もある」というスタンスで教えてもらえるだけで、逆に言語化好きな部分が刺激されて、楽しくなるし学びも早くなる。
ずっと世の中の理解や課題解決をしたくて、でも絶対的でないものを絶対的とすることで、理解や解決を阻害することが嫌いなのだろうな(だから資格とかテストも理解にも課題解決にもつながらないので、まったくやる気が起こらない…)。
「宣言的知識」をざっくり知って使いこなして、でも「手続き的知識」を優先させて現実に個性を発揮して対応するというのが好きなのだなぁと、自分の得意不得意・好き嫌いを組み合わせ、なんだか言語化できた気がする。