経済学に背を向ける米大統領候補たち
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つまるところ、経済学に背を向けているのは、大統領候補たちではなく、大統領を選ぶ有権者たちでしょう。
大統領候補たちは、有権者たちの願望に追従しているだけです。
米国の経済学(それはほぼ世界の経済学ですが)というのは1つのイデオロギーとしての側面を持ち、自由主義的な、ある人間像、ある社会像、ある経済活動像を理想として持っています。
ただし、この記事が主張しているのは、その自由主義的な理想に人々が背を向けているのが問題だ、ということではありません。
大統領候補たちの掲げる処方箋が、彼らの主張するような効果はもたらさない、むしろ逆効果であることを経済学は予測できる、というのがこの記事の趣旨です。
自由主義的な経済観に背を向けるのはいい、保護主義や社会福祉への公的支出を増やすのもいい、しかしその処方箋は間違っていますよ、というのがこの記事の趣旨です。
実際、間違った処方箋でしょう。関税を増やしても米国の製造業は復活しないだろうし、社会福祉のバラまきをやっても米国の経済格差は拡大を続けるでしょう。
しかし、その経済学の説得に、大部分の有権者は耳を貸さないでしょう。
有権者が背を向けているのは、経済学的な処方箋が機能する世界そのものです。
あたかも王様が、あるいは神が、強大な力で杖を一振りすれば問題をサッと解決してくれる。有権者の大部分が望むのはそんな世界です。
グローバル化や新興国の台頭や、投資家資本主義があらゆる産業をコロコロと変転させていく世界など見たくはない、という人間は多いです。
世界はもっとシンプルになるはずで、スッキリする解決方法があるはずだ、と頑なに信じようとする人間も多いです。ロシアの大統領や中国の国家主席もそうでしょう。
米国の大統領とその支持者たちも、シンプルな処方箋にすがって、逆効果を得ては不満を募らせていくでしょう。
何も米国に限った話ではありません。ただ、米国には政府が失策を重ねてもなお経済を成長させるだけの人口と人材の流入がありますが。
理性と実証性に基づいた経済政策を遂行していくなど、シンガポールくらいの規模と教育の国でないと無理でしょう。