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効果検証の現状とは

マイクロファイナンスは貧困削減に役立つのか

2015/6/24
ソーシャルファイナンスの最前線で活躍している慎泰俊氏が、その実態を解き明かす連載第3回。今回も第2回に引き続き、マイクロファイナンスに対する誤解を解きながら、その可能性を探っていく。(6日連続・全6回)

前回は、マイクロファイナンスについてよくある4つの誤解のうち「マイクロクレジットは高利貸しか?」「今も連帯責任の『5人組』にお金を貸しているのか?」と言う論点についてお伝えしました。今回は残り2つをご紹介します。

貧困削減効果は立証されているのか

日本では、マイクロファイナンスというと貧困削減のイメージが非常に強いと思います。また、少なくないマイクロファイナンス機関の経営者らが貧困削減のために事業をしているのも事実です。

しかしながら、科学的に正しいやり方、かつ結論づけるのに十分な規模でマイクロファイナンスの貧困削減効果が立証されたことはない、というのが学術的には常識となっています。すなわち、決着がついていない、ということです。

この、マイクロファイナンスの貧困削減効果については、先に述べたグラミン銀行のムハマド・ユヌス氏をはじめとする「貧困削減効果肯定派」と、MITの経済学者のエスター・デュフロをはじめとした、「そもそもちゃんと測定されていない派」で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論がされてきました。ところで、ユヌス氏の『Banker to the Poor(邦訳『ムハマド・ユヌス自伝』)』も、デュフロ教授の『Poor Economics(邦訳『貧乏人の経済学』)』も名著ですので是非読んでみてください。

エスター・デュフロ教授

エスター・デュフロ教授

マイクロファイナンスの効果測定をするためには、ある人間集団から無作為にグループをつくり、片方のグループにはマイクロファイナンスを提供し、もう片方にはそれをしない、ということをする必要があります。

この手法はRCT(Randomized Controlled Trial)と呼ばれ、近年における経済学の実証研究において最も重要な手法です。先に紹介したPoor Economicsは、RCTの本と言っても過言ではありません。

このRCTの最大の問題点は、現実的にも倫理的にも難しいことです。たとえば、経済学者らが、あるマイクロファイナンス機関と協力して、グループ分けをしたとしても、「マイクロファイナンス非利用」に分類された人々が、ほかのマイクロファイナンス機関からお金を借りないという保証はどこにもありません。また、サイコロによって人の未来を決めてしまうような実験が、そもそも許されるのかという問題もあります。

とはいえ、実際にRCTを用いてマイクロファイナンスの貧困削減効果を検証した研究はいくつかあります。たとえば、デュフロ教授らが2009年に発表した研究では、インドの104のスラムの半分の住人に対してRCTを実施し、15~18カ月後の結果を検証しました。

この研究によると、健康、教育、女性の意思決定、貧困削減効果などについて、マイクロファイナンスがもたらしたインパクトは見つけられませんでした。

しかし、これらの実証研究も期間がかなり限られており、かつ規模も大規模なものでないため、マイクロファイナンスの貧困削減効果検証における決定打とはなっていないのが現状です。

私の会社はMIS(経営情報管理システム)の開発も行っており、それを各国の自社マイクロファイナンス機関で使用してたくさんの顧客情報を集積していくので、将来的にはこれら論争の決着をつける一助となりたいのですが、それはまだ数年後の話になりそうです。

このように、マイクロファイナンスの貧困削減効果は立証されていないわけですが、個人的には貧困削減効果が立証されていてもいなくても、この仕事には十分な意味があると考えています。

私にとっては、金融アクセスがあるかないかの問題は、貧困削減効果というよりも、機会の平等といった観点から大切な問題です。たとえば日本に奨学金を貸してくれる機関があるとして、それが貧困削減に役立っているかはわからないかもしれません。

しかし、奨学金が借りられるということは、家庭状況が苦しくても高等教育が受けられるという希望につながるわけで、それがあるのとないのとでは、生活に大きな違いが生じると思います。

ノーベル経済学賞受賞者であるアマルティア・セン教授は、「自由と経済開発」において、政治における自由、健康、教育、透明性の拡大、福祉サービスへのアクセス、金融サービスへのアクセスなどの経済開発の目的であるべきという考え方を展開しました。こういった視点から考えると、マイクロファイナンスを通じた金融サービスへのアクセスの拡大の意義は依然として大きいと言えるのだと私は思います。

マイクロファイナンス機関で働く人は聖職者か

もともと開発援助機関にいた人とあるセミナーで一緒になったことがあります。その方は、「貧困削減に取り組まないマイクロファイナンス機関に存在意義はない」と話していました。

直感的にはなんか変なことを言っているなという感覚がありました。というのも、NGOや公的資金で運営されている組織であればまだしも、長らく民間セクターにいた私には、会社の存在意義は特定の個人でなく社会全体の意見によって審判されるという考えが強いためです。

しかし、私はこういった強い発言に対してもすぐに反論ができず、ちょっと時間をかけて吟味しないといけない性格なので、この人の言葉の意味を2カ月くらいぼんやりと考えてきました。

実際にマイクロファイナンス機関で働きながら、その考えは極論だろうと確信するようになりました。もちろん、貧困削減を目指して仕事をしている人はいますし、そういうミッションを組織が抱くことは素晴らしいと思いますが、それを従業員に押し付けるような組織が成長していくとは私には思えないのです。

ある国に、貧困削減に対して強くコミットしていることで有名なマイクロファイナンス機関がありました。海外の投資家からも評価が高く、従業員も社会的ミッションに対して強いコミットメントを示していました。

しかし、このマイクロファイナンス機関における従業員の退職率は非常に高いものでした。年率にして30%以上の従業員が毎年退職をしています。

退職率の高さの第一の理由は給料の低さでした。このマイクロファイナンス機関は、高い理念を掲げている一方で給料が同業他社よりもかなり低く、それが故に従業員たちはほかの(貧困削減パフォーマンスが高いとは言えない)マイクロファイナンス機関に転職してしまっていました。

第二の理由は、経営陣が従業員の意見に耳を傾けないことです。現場でいくらさまざまな提案をしても、経営陣は対話の姿勢を示さないということが理由で、多くの人が組織を去っていきました。

マイクロファイナンス機関の従業員と一緒に仕事をしている身として、これはとてもよくわかります。考えてみると当たり前のことです。

マイクロファイナンス機関に就職する人は、地元で言えば相応に学歴が高く、厳しい競争を勝ち抜いて入社してきます。入社理由のひとつは給料が高いこと、もうひとつは村人たちの手伝いができることです(これがない人は銀行に就職しようとします)。みんなそれぞれに家族がいますし、家族を食べさせないといけません。

農村部出身で、親がなんとか工面してくれたお金で大学に行ったという人も少なくありません。例が正しいかどうかわかりませんが、日本で貧しい家庭出身の人が、ビジネスを通じた途上国支援をしたい、だけど家族のためにお金も稼がねば、と考えて商社に入るようなものです。

彼らにもそれぞれに生活があり、職場の人間関係で一喜一憂し、家族を養うためにお金を稼いでいます。週末ともなれば、ちょっとオシャレな格好をしてバーで歌ったり踊ったりして遊んでいるわけです(週末の私のフェイスブック投稿はそういう写真であふれています)。

給料が低すぎたり、経営陣が対話の姿勢を持たなかったり、ほかの成長の機会を見つけたりしたら会社を去っていきます。それでも、マイクロファイナンスを仕事として選んだのは、せっかく働くのであれば、人の役に立つ仕事をしたいという思いがあるからです。

マイクロファイナンスの現場で働く人たち

マイクロファイナンスの現場で働く人たち

あくまで個人的な意見ですが、人が個人として高まいな理念を胸に抱くのはそれでいいと思います。そして、その理念に共感する人が集まって組織ができていくのは素晴らしいことでしょう。私にもそういう理想や志はあります。しかし、その理念を人に押し付けるのは個人的に嫌いですし、かつ誤りであると思います。

理念は押し付けるものでなく、共有するものでしょう。対話を通じて理念を伝えるのは是非にするべきですが、押し付けてはいけないし、それを共有できない人を責めるのも筋違いだと思います。どんなに素晴らしい理念であっても、それを押し付ける組織の行き着く先は全体主義であり、そういった組織は早晩滅びます。

ダブルボトムライン(社会貢献と経済的持続性の同時達成)、トリプルボトムライン(ダブルボトムラインに環境保護を加えたもの)という言葉が、一部の国において人口に膾炙(かいしゃ)するようになるはるか以前から、日本の商人には「三方良し(売手、買手、世間みんなが得するということ)」という伝統が存在してきました。

そのような伝統がまだ一部で残る日本で育った私としては、「そんなに難しく構える必要はなく、真っ当なやり方で三方良しの原則とともに商売をすれば良いではないか」という思いが強く、かつそれは思った以上に普遍性のある考えなのだと感じる日々を送っています。

著者プロフ_慎さん