【與那覇潤】令和って、どんな時代なんだろう?
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令和ってもう6年経ったんだ、、と和暦を書く必要があるたびに、いつも少し愕然としてしまいます。そもそも令和何年かも脳に定着していないので加齢のせいかもしれませんが…。
コロナの3年あまり、薄暗い水の中からようやく水面に顔を出したと思ったら、円安やインフレ、AIブームに煽られ、コロナ前とはまったく違う世間の空気が広がっているのについていけていない感じ、というのでしょうか。
今がどうしてこうなっているのだろう、というのを知りたい気持ち皆さんもないだろうか、と思い「平成史」「中国化する日本」などの與那覇潤さんに登場いただきました。テクノロジーやスタートアップ、企業のあり方を取材してきたNewsPicks前編集長の泉秀一さんとの対話です。ぜひじっくりご覧ください。非常に興味深い内容でした。こうした内容はもっと配信して頂きたいと感じました。ただ、新興国に関する部分について、そもそも論としてナショナリズムの性質に関する議論ではないかと感じました。新興国のようだ、という点について、何を以て新興国としてお考えであるのかは、より掘り下げて聞きたいポイントでした。
ナショナリズムについて、「古い過去から引継ぐ何か ではなく、むしろ現在と未来のための『共通のプロジェクト』である」とアンダーソンは定義してます。経済や政治的な目的のための手段だとも論じています。先進国でもこの未来の共通のプロジェクトについては議論されています。
新興国という言葉自体は比較的新しい言葉。英語ではdevelopping countryで開発途上国/発展途上国という呼び方があり、emerging countryが新興国。新興国は歴史的な経緯もありますが、近年ではBRICSブームなど投資を背景に使われる傾向が強まりました。開発途上国/発展途上国と新興国は、同じものを指すわけではなく、新興国は文字通り「興」が必要です。アルゼンチンが「新興国」から「スタンドアローン市場」と移行されたことは、象徴的です。同国は、いったんは先進国化したものの、所得が下がり中所得国化した国であり、いわゆる中所得国の罠を地でいった国です。(経済成長を続けている国で中所得国の罠という議論は、それ自体が罠にはまり欠けている気が)
新興国というよりも、ナショナリズムのあり方という気がしました。日本の場合には、ナショナリズムのあり方が非常に珍しい形で存在しているのではないでしょうか。安倍政権以降の、安全保障環境もあいまって、他の国でもみらえるような、「普通(っぽい)」ナショナリズムが広がったのではないか、と考えました。
開発途上国/発展途上国が、特にかつての独立から独立後の経済成長の時期、ナショナリズムが未来に向けた形で分かりやすい形で出ていた、ということはできると思います。日本に限らず先進国におけるナショナリズムは、未来のあり方についての考え方や見え方が異なるのであって、未来という軸でまとまらない訳ではないと思います。
なお、時折、発展途上国や開発途上国という呼称が差別的だから新興国を使うという方がいますが、学術研究や国際機関のデータでも使われている言葉。新興国とは意味合いが違うためです。