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お金を積まれて辞めるわけではない

『切り捨てソニー』第3回:「腐った会社は見たくない」

2015/6/14
目標削減数8万人。かつて「理想工場」と謳われたソニーは、17年間で6度の大規模なリストラを行っている。清武英利氏による『切り捨てソニー』(講談社)は、役員から一般の社員に至るまで、そのリストラに関わり、また巻き込まれた人々を描いたノンフィクション作品だ。「リストラ部屋」の登場人物はすべて実名で登場し、自身の思いをありのままに明かしている。なぜ、ソニーはリストラを繰り返すのか。

両親と長女の穏やかな団欒は、近所に住む弟一家の話題で盛り上がって沈滞に陥り、ふっと途切れた。テーブルの向こう側で両親が話の接ぎ穂を探していたとき、「あのさ……」と、彼女、吉松こころは箸を手にしたまま話し始めた。

「わたし、会社を辞めるから」

2013年6月10日──テレビの音もない静かな日曜日の夜だった。

「今月末で辞めるからね。もう辞表も出したの」

「えっ!」

ビールを飲んでいた父親が凍り付いてコップを取り落としそうになった。娘はリストラを宣告する立場のはずだったのに? 母親は驚きのあまり目を見開いている。

──ドラマみたいだ。漫画の「ドッヒャー」ってこんな場面を言うんだろうな。

彼女は場違いなことを考えている。親にいつ打ち明けようか。彼女はその言葉を切り出すタイミングをずっと見計らっていたのだった。父親は民間会社を真面目に勤め上げ、定年退職している。娘も大企業であれば安泰と考えていたのだった。

一瞬の静寂の後で、父親が声を絞り出した。

「今から取り消せないのか」

「いや」と彼女は首を振った。「前から言ってたけど、もうひどい状況なの。この会社は」

「…………」

彼女は40歳を超えていた。経営中枢に近い人事部から見ていると、リストラの波が自分たちの世代にも寄せてきているのがよくわかる。電機業界に共通して言えることだが、初めに55歳前後を切る。次に50歳。続いて45歳以上、そしてターゲットはどんどん下の世代に下りてきているのだ。ソニーは90年から92年のバブル期に1000人単位で新卒を採用していた。今、40代前半に差しかかったその社員をどう整理するのか、という課題を人事部内でも真剣に検討している。部内でその話題に触れるたびに、「お前も早く辞めたらどうだ」と肩をたたかれているように思えていた。人事はリストラをしながら、自分たちもリストラされていた。

「だからね、会社から『辞めろ』って言われる前に辞める。今がチャンスだから。7月から外資系の医療機器会社に行くことにしているの」

「……そんな外資系なんて大丈夫なのか」

古い世代の人間にとって、やはり日本企業が安心なのだ。それに世間では未だに「世界のソニー」、ご近所にも自慢できる大企業ではある。
「でも、今度の会社もいいところだと思うよ。人事のトップと言うか、責任者として行くの。年収も上がる」

「せっかく、あれなのに」とか、「ソニーがもうダメなんて、まだまだ時間があるだろうし」などと、語尾を濁しながら父親はしばらくぶつぶつと言っていた。

「外資でもそんなにすぐにはクビにはならないわよ」と彼女が笑ってみせると、父は最後に自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「まあ、お前の人生だから好きにすればいい」

母親の言葉ははっきりとは覚えていないが、「どうしよう、どうしよう」と言っていたのに切り替えが早かったことは確かだ。しばらく経って、近所のダイエーに寄ってきた母親は上機嫌だった。

「あんたの今度の会社の製品がね、ダイエーにあったよ」

転職先の会社の広告が新聞の折り込みチラシに載っていたのだという。

「そこそこの会社らしいねえ」

母親はそういうところが強い。しなやかでしたたかで面白いな、と彼女は思った。

2012年夏から翌年にかけて、ソニー社員の自宅ではこんな情景が繰り返された。経理も広報も、そしてリストラを遂行する人事部も「構造改革」の例外ではなかった。第5次、6次と、続けざまにリストラが行われていくころだ。早期退職者募集に手を挙げた者もいるが、社外への道を勧められた社員もいる。同社の元役員は、「人事部だけでも数十人が辞めていった。人事部長も辞めた。彼らも1割削減という人減らしの対象だったから、多くが退職加算金をもらって転職した」と証言する。

もっとも人事部は、他の部門から見るとブラックボックスのようなところがあって、実際に「1割削減」という目標を達成したかどうかははっきりしない。「人事部員はさすがにリストラ部屋に追い込むわけにはいかないので、一部の部員は社内異動させて数字上の目標をこなしたようだ」と、ソニーの中堅幹部は話す。

同社にとって誤算だったのは、評価の高い部員たちが進んで辞めようとしたことだ。多くが引き留められたが、そのなかで、有能な女性人事部長として人気のあった井原有紀が2013年2月末に辞めた。成長を続けるアマゾンジャパンに転職していったのである。彼女は主に海外営業系の人事を担当していたが、役員にも能力を認められた人物だった。

「自分の転職について、ソニーには何の原因もない」と、当の井原は説明する。

「私はソニーで仕事をさせてもらったことで人間としての基礎を作ってもらいました。純粋に外資系企業に移って、人事としての経験を更に積みたかったのです」

だが、人事部長の転身は意気消沈する社内に波紋を投げかけた。

ソニーはもともと社員の自立や起業を尊重する企業である。だから、社員が引き抜かれたり、人材紹介会社に登録してヘッドハントを待ったりしていても問題にはならない。去る者は追わないどころか、ソニー創業者の盛田昭夫が入社式で毎年、新入社員に、「ソニーで幸せになれないと感じるようになったら、すぐに会社を辞めなさい」と繰り返したほどだ。彼の著書には、こんな言葉も残されている。

〈必ずしも「自分はこの職場でなくては」という強い希望を持ってその職場を選択したとは限らぬのに、いつまでもそこに腰を据えていることは、社会全体の不利益にもなるだろう。自分の欲するところに就職する機会を多く持てるような環境をつくることこそ、人材開発の大前提なのである〉(『21世紀へ』ワック)

盛田の経営哲学は終身雇用にあぐらをかかず、必要であればソニーを飛び出して自分の個性を活かすような職場を見つけなさい、ということであった。だから、ソニーのイントラネット「InterSony」には、社員に転職を勧める「セカンドキャリア総合支援サイト」もある。

ところが、こうした鷹揚な姿勢が現在のソニーには裏目に出ている。辞めてほしい者ほど会社にとどまろうとし、有能な人材ほど沈みゆく船から脱して、ジョブホッピングしていくのだ。

吉松こころが辞表を提出したのは、井原の転身から約1ヵ月後。年度末の繁忙期がようやく一段落した4月初めのことである。彼女は本社19階の人事部で人事部長に面談したい、と申し出た。ちなみに井原の後任の部長も女性である。個室に入るなり、吉松は辞表を差し出した。

「大変申し訳ありませんが、辞めさせていただきます」

上司は仰天して言葉を失っている。いつ果てるともなく続く構造改革によって人事部員の退職も相次ぎ、一人ひとりの業務量は急激に増えていた。450人もの社員を担当しているプレイイングマネージャーが抜けるのは大変なことだ。一般に就業規則では1ヵ月前に辞表を提出すれば辞めることができるのだが、辞めればその負担は他の人事部員の肩にのしかかってくる。

沈黙の後、人事部長は慰留の言葉を連ねたものの、彼女の固い決意を見て取ってあきらめた。

「あなたが決めたことだから、変えられないんだよね?」

彼女の退社が発表されたのは、それから2ヵ月後のことだ。後任者がなかなか決まらず、引き継ぎに手間取った。

転職は人生の一大事である。大手ホテルからソニーに転じた彼女にとっては、これが最後のチャンスになるかもしれなかった。だからヘッドハンターに急かされ、転職先に勧められても誰にも漏らさずに考え続けた。相談したら人事部長や親に止められることは分かっている。辞表を書いたのは、転職先に返事をして引き下がれないところまで自分を追い込んでからのことだ。会社側にも親にも選択肢を与えないようにしたのだった。

彼女の退職は、井原の華麗な転身とは別の意味で社内の話題になった。早期退職の応募期間が終了した後の退職表明だったからだ。同僚や担当職場の社員たちはいぶかしがった。

「なぜ、このタイミングで辞めるの。(加算金が)出ないでしょう?」

「いや、自分で決めた転職だから……」

「早期退職に応募すればよかったのに?」

彼らの質問や関心は「どうして辞めるのか?」とか、「これからどうするの?」というところには集まらなかった。ソニーでは当時、管理職なら既定の退職金に特別加算金が支給されている。55歳前後で3000万円という部課長もいた。2013年2月28日までに早期退職を申請すればその退職加算金を手にできたのである。彼女が辞表を提出したのは4月初めだから、そもそも「自己都合退職」扱いとなり、加算金の対象にはならない。少しだけ早く辞表を提出すればよかったのである。

多くの社員は「トップは赤字でも多額の報酬をもらっているし、カネはもらわなければ損だ」と考える。そうした空気の中で、吉松は「お金を積まれて辞めるわけではないから」と考えた。辞めたのは自分の選択だったから、規定に沿った退職金だけでそれなりに満足しているというのだ。井原も退職加算金には興味がないと言ったという。本人たちはこうした話題を避けるが、どちらにしろソニーは骨のある2人の人事部幹部を一挙に失ったことになる。

日本企業の「ガラスの天井」は厚い。女性が成果を上げても昇進や昇給は男性ほどには伸びず、やがて打ち破れないガラスのような障壁にぶつかる。創業者たちが「自由闊達にして愉快なる理想工場」を目指したソニーにも、その天井は存在していた。しかし、会社が危機に陥ったとき、律儀に社内秩序を守ろうとしたのは皮肉なことに女性たちだった。

「ソニーってもっと綺麗な会社だったよ。甘ちゃんでやんちゃな社員が多いけど、潔癖な人ばかりだったのに……」

と居酒屋で男たちを叱りつけた女性がいる。「もう腐ったソニーは見たくない」と言って辞めた人もいたという。化粧の奥に固い心の核を隠していたのだ。

転職後、吉松は仕事が面白いと思うことが多くなった。

人に必要とされている──それは人事部員が体験できる、正解のない仕事の味わいだ。人事部は算数のように数式にあてはめて結論を導きだすのではなく、社員に寄り沿ってバランスで判断する世界だ。成果が見えにくいから、対話とプロセスが重要だ。だから、ソニーを辞めた後に、かつての同僚や元社員たちから「話を聞きたい」と言われると、本当に嬉しいと思う。

構造改革にモチベーションを感じる幹部や人事部員もいるだろうが、自分の人事は人間関係の中でやっていくのだ。

だから、いまは毎日のように仲間たちと飲んでいる。(おわり)