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「リストラ担当」の苦しみ

『切り捨てソニー』第2回:辞める覚悟

2015/6/13
目標削減数8万人。かつて「理想工場」と謳われたソニーは、17年間で6度の大規模なリストラを行っている。清武英利氏による『切り捨てSONY』(講談社)は、役員から一般の社員に至るまで、そのリストラに関わり、また巻き込まれた人々を描いたノンフィクション作品だ。NewsPicksでは、本書の表題でもある『切り捨てSONY』の第6章を特別無料公開。「リストラ担当」と呼ばれた人事部の女性の視点から見た、ソニーの内情とは(3日連続・全3回)。
第1回:人事部の哀しみ

吉松は今朝、通勤電車の中で本を読んでいて目元をぬぐってしまった。さだまさしが書いた小説『眉山』のクライマックスに差し掛かって、こらえきれなかったのだ。

朝から、さだまさしで泣いている女がどうして「リストラ担当」などと陰口を叩かれなければならないのか、と彼女は思う。そう呼ばれていることがわかったら、母親も泣いてしまうだろう。

会社ではドライに見せているが、酒が過ぎると本性が出る。「ビバ酒豪!」と言葉も出る。仕事の飲み会や中高年社員との「おっさん飲み」も断ったことがなく、ワインなら1本開けても顔色ひとつ変わらない。

弟はとうに結婚して家を出ていた。母親は少し酒が入ると結婚話を切り出す。残された長女がこの先、一人で生きていく姿を思うとしのびないのだろう。実家から通っているのだから男っ気がないのはわかっているはずなのに、「可能性はあるんでしょう?」と不意に水を向けてくる。

しかし、いまは結婚を想うどころではないのだ。ストレスで下痢が続き、首や耳の奥が強く痛む。それでも人事案件が次から次へと舞い込んで来る。眠っている間も頭は回転状態を続け、午前零時近くに寝ても4時台には目が覚めてしまうのだ。

彼女は起き抜けに自分の頭に手をやることがある。髪の毛が生えていることを確かめるのだ。

それは管理職と言い争った翌朝のことだった。うつらうつらと見た夢で彼女は、ストレスのために落ち武者風に頭頂部がすっかりハゲ上がってしまっていた。目が覚め、頭に手をやって、つぶやいてしまった。

「良かった。あった。夢だったのね」

彼女には出世の野心がなかった。「それでいて自分はなぜこんなに会社運営に厳しいのだろうか」と考えることがある。上位職の判断の甘さに腹が立つのだ。

いつまでもだらだらとリストラを続けていていいわけがない。しかも、それは徹底して行われていない。

権限と責任の2つは一体のものだろう。権限を持つ役員たちはリストラの責任をどうとるのか。どこのマスコミも調べて書こうとしないが、ソニーのリストラはずっと続いているのだ。

ソニー社員はみな優秀なので学ぶことがあるうちは居続けようと彼女は考えていた。だが、本当に学ぶことがあるのだろうか、とも思えてくる。同じ時間を費やすのであれば、もっと人のためになること、人を成長させ、喜んでもらうようなことをしたかった。

「なんとかしなくては。会社も私も」と、こころは考えていた。

彼女が英国系の転職支援会社に登録したのは、そんな2012年の春先だった。

自分の市場価値が知りたくなったのだ。ソニーという企業は巨大企業だけに異動の幅が広く、異動希望さえ出せば転職と変わらない環境の変化がある。だが、彼女は会社にしがみつきたくないと考えていた。すっかり大企業の歯車の一つになっている自分に嫌気がさしてもいる。

もともと自由人のつもりではあったのだ。だが、現実は──来週も祝日出勤だ。

仕事や会社は、自分にとっての何だろう? ホテルの従業員から留学を経て、ソニー人事部に転じ、サラリーマン生活が計18年、いまさらながらに考えるのだ。

吉松は30歳時の社内研修会の席でこう宣言し、同僚を驚かせたことがある。

「私は会社にしがみつくようなことは絶対にしたくありません」

彼女は6年も回り道をして入社している。ソニーはかつて「学歴無用論」を唱え、「社員の履歴書は焼く」と宣言していたが、中途で入ってきて辺りを見渡すと、いわゆる一流大卒ばかりではないか。「学歴無用論」は建て前になりつつあり、社員たちもどこか、ぬるま湯につかっているように見えた。

「この人たちは定年まで、のほほんと勤めるんだろうな」と思うと、あの時は、反骨精神もあって研修の意見発表の席で強い言葉を吐いてしまっていた。

しかし、人生は自分が思うようなスピードでは進まない。「私はいま、よその企業にいくらで売れるのだろうか?」。そんなことを考えながら登録した翌日、転職支援会社から電話がかかって来た。「早っ」という言葉が彼女の口をついた。

「いますぐ転職するつもりはありませんが」と伝えておいたのだが、とんとん拍子に話は進む。まず、転職支援会社の英国人マネージャーとの面談。吉松は会社で年間約100人と面接しているが、自分が面接される立場になるとやはり緊張するものだ。

あっという間に面談の1時間が終わり、帰宅するときには6、7件の求人案件を握らされていた。

そして2週間後には、実際にフランス系企業の面接を受けている。相手は人事トップの女性で、表情に本心を見せなかった。お互いに手の内を知り尽くしているのだ。

その一方、ソニーでは人事面談に振り回され、新卒採用の季節も訪れようとしていた。新社長に英語が堪能な平井一夫が就任するのはその直後の2012年6月のことだ。

それから間もなく、吉松ら人事部員は「女性活躍推進」の提言のために社長室に入った。彼女が転職支援会社に登録して3ヵ月後のことである。

長身で白面、くっきりとした目鼻立ち。51歳という若い経営者だが、50代とは思えない若い肌艶を保っている。初めて間近に見る社長のイケメンぶりに彼女は見入ってしまった。その日の出来事を、日記代わりのパソコン上にこう記した。

〈あまりに透明で潤いに満ち、少年のような強い光を放つ瞳、水晶のように透き通ってかげりのないまっすぐな眼差し。そう、彼は全世界16万人の社員を率いるCEOだ〉

思わず見惚れていると、上司が吉松に話を振った。彼女はこの2年間に温めていた思いをCEOにぶつけた。

「株主総会の質問に出ましたように、株主の方々の女性登用の関心も年々高まりつつあります。経営陣の多様性も改めて問われています。ぜひ女性役員の登用をお願いいたします」

平井は大きな身体を彼女に向けて確かに答えた。

「わかりました。自分がやります」

そうした言葉を聞いて、パソコンに向かい、〈全力でサポートしていくのは私の仕事だ〉と書くのは、彼女が純情だからだろう。

だが、社長室訪問からひと月も経たないころ、彼女は上司に自分が転職支援会社に登録していることを伝えた。電機業界は総崩れ状態で、どの会社もリストラが当然だとばかりに行っている。

人事部とはいえ、自分だって「しがみつかない覚悟」でやっていることを上司には知ってほしかったのだ。同時に、「お前たちは会社から守られているんだろう、偉そうに言うな──」と冷たい視線を投げる連中にも言いたかった。

「私たちだって、ソニーを辞める覚悟でやってるんだ!」

中途半端な気持ちで仕事をしているわけではないのだ。

だから、ソニーの名物エンジニアだった品田哲までが、「僕はやはり辞めます」と退職願を差し出すと、その担当だった彼女は思わず漏らしたのだ。

「私も考えているんですよ。ソニーを辞めようかと」

「えーっ! あなたも?」

品田の地下研究室で、今度は彼女がまじまじと見つめられる番だった。その日もひっつめ髪の彼女はにこやかにほほ笑みながら言った。

「内緒にしていてくださいね。まだ結論を出したわけではないですから。品田さんの退職願は確かにお受け取りいたしました。最後まで仕事はきちんとやります」

2013年2月末のことである。(明日に続く)