みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.15

ドローンで逮捕の少年が、真に求めていたものとは

2015/6/13

東京・浅草の「三社祭」に無人機「ドローン」を飛ばすことをネット動画でほのめかしたとして逮捕された少年が東京家裁に送致されましたが、「事件の核心について話すつもりはない」と繰り返すなど、詳しい動機は未だに分からないままです。

この少年は以前からネット動画でちょっとした有名人で、川崎市で中学1年生が殺害された事件現場やその容疑者の少年の家をネット配信するなど、過激なネット動画の配信を行なっていたことで知られていました。

容疑を否認している少年ですが、そもそもなぜ、彼はこのようなネット動画を配信していたのでしょうか。宮台さん、教えて下さい!

犯罪自体よりも予告に意味があるかもしれない

今回のドローン少年は、遠隔操作ウィルス事件の片山被告と似たところがあると感じます。単に事件を起こして社会を混乱させたいのではない。一生懸命予告し、予告し、予告する。「予告」というもの自体を、社会に露出し、アピールし続けているわけですよ。

つまり、犯罪そのものよりも、予告に意味があるのかもしれないということです。単に社会に嫌がらせをしたいのではないということ。キーワードはまたしても「承認」です。以前、ISILに入る若者が世界中で増えている話について、承認の問題に触れましたよね。

ホネットによる承認3類型の3番目

その際、社会哲学者アクセル・ホネットの議論を使って分かりやすく説明しました。彼によると、承認には三類型あります。第一類型は「愛による承認」です。家族など近隣の人々から固有名を持つ存在として愛されること。主に子供時代に問題になるものです。

第二類型は「権利の承認」。権利を持つ主体としてを認められるということ。そして第三類型が「共同体的価値の承認」。共同体の中で自分が必要とされている、自分の座席があるという感覚を抱けること。昨今の逸脱行動についてはこれが鍵になる場合が多いんです。

それは、これらの承認が得られない場合にどうなるかを考えると分かりやすい。第一類型。幼少期から家族や近隣から個人として愛されない場合、心の病気に結びつきやすい。第二類型。権利を認められずに抑圧されると、攻撃性など性格の偏りに結びつきやすい。

今回最も重要な第三類型。社会の中で必要とされている、居場所がある、という感覚がない場合、共同体や集団の中で自分のポジションがあるかのような気分を獲得するために、さまざまな奇矯な逸脱行動をしがちです。「僕はスゴイ人間だ!」というヤツですね。

ISILに入るのもそうでしょう。ISILに入って自分が必要とされる感覚を抱きたい。オウム真理教に入るのも同じだったかもしれないと前に言いました。ネトウヨになるのもそういう心境でしょう。謂わば、共同体空洞化を背景とした承認不足に対する足掻きです。

昨今はグローバル化による中間層分解と、IT化をも背景としたホワイトカラー凋落で、格差と貧困が拡がるだけでなく、集団の中でポジションが与えられる経験が得にくくなりました。だから第三類型の承認不全が起こりやすく、埋め合わせ行動に促されやすい。

承認不全の埋め合わせは、ミッション&コマンド的なものだったり、愉快犯的なものだったり、目立ちたがり的なものだったり、いろいろとあり得ます。そこに今風の事情も絡んで、状況がドライブされてしまう。今回のソレはインターネットとお金の関係です。

「投げ銭」です。ネット動画を見た人が資金を提供してくれるということです。少年への資金提供は、報道によれば、現金やパソコンなど計100万円にも上っていたとされています。ドローン自体もそうかもしれません。真偽は分かりませんが、確かにありそうです。

細かい事実はどうあれ、皆がもてはやしてくれた上にソレが収入につながる。承認を求める側からすれば「一石二鳥」感覚でしょう。少年はネットでの自己紹介で「夢:配信業で生計を立てる」と言っていた。第三類型に由来する「一石二鳥」感覚を表していますね。

共同体空洞化を背景とした代替的承認機会の追求

共同体空洞化とネット化は90年代以降入れ違えに進みました。それ以前からの流れもあるので、イメージメイクします。僕は56歳で昭和34年に仙台市に生まれました。敗戦後14年。蒸気機関車が走り、風呂は薪で焚いた。八百屋もクリーニング屋も御用聞きです。

市内も三階建以上が珍しく空が拡がっていました。社宅では子供らが互いの家を行き交い、ヨソんちで夕飯をよく食べました。隣のおじさんが模型飛行機や竹蜻蛉を作ってくれ、子供がいないおばさんが僕を昼御飯に誘ってくれた。小学生だった1960年代です。

その頃、家に初めて白黒テレビが、やがて車とクーラーが来ました。高学年になると公害や薬害や学園闘争など世間が問題だらけだと知りました。テレビでは勧善懲悪を否定する円谷プロ初期シリーズ(ウルトラQ以下)が「人間という悪」を主題化していました。

でも「M78星雲」じゃないが、未来になれば進んだ科学文明が問題を解決するだろうと誰もが思っていた。アカルイミライがあったんです。でも70年代に入るとSFの時代が終ってアカルイミライが消え、仮面ライダーに象徴される勧善懲悪への逆行がありました。

円谷プロの旧制作陣に尋ねたら、視聴環境が原因だとのこと。子供向け番組が上質だったのは、茶の間で子供と大人が一緒に視ると想定できたから。やがて単独視聴を前提に子供が一人で視て分かる内容へと番組の質を落とした。引きずられて制作陣が劣化した。

80年代半ば世界初の出会い系、テレクラが誕生する。テレクラ周辺には旦那衆が集合、「先週◯◯商店の若奥様と…」と情報共有した。子供会・青年団・老人会の廃止に見られる地域空洞化がテレクラを準備したのですが、旦那衆の所業は匿名化が進んでなかったから。

でも90年代にはテレクラが匿名化して援交の巣になります。地域空洞化で分断され孤立した人は90年代半ばからネットの匿名性に飛びつきます。程なくネットで「つくる会」や「嫌韓厨」が人を動員する。今日のネトウヨに連なる流れは1997年頃に端緒があります。

今世紀に入ると、ネットの情報拡散(プロフサイトなど)を恐れる疑心暗鬼化などで若い世代が腹を割らなくなります。日本性教育教会の調査では高校生や大学生が性的に最もアクティブだったのは90年代後半。今は90年前後の水準に退却してしまいました。

代替的承認機会の追求は暴走しやすい

今は過処分時間の過半がスマホ経由でネットに使われます。共同体空洞化とネット化が90年代以降入れ違えに進んだ結果です。一つ屋根の下の家族が、ネット経由で各々別の世界に繫がり、希薄な家族より少しは親密な関係を、そこに築いていたりするわけです。

そうした時代、リアル社会でポジションがなくて困っている人が、ネットで目立つことで承認を得ようとするのは自然な話。いわば〈ネットでのポジション取り〉ですよね。一番無害なのは、「バン」=ban(禁止)で有名な、ニコ生における「生主」でしょうか。

最近はレイヤーブームが終って自撮りブームです。たとえパンチラ写真やハミチチ写真でも、レイヤー時代と違ってカメコ(カメラ小僧)の男性視線をもはや媒介しない、女の子が女の子の視線だけを意識したゲーム。これも〈ネットでのポジション取り〉ですね。

男性視線を経由しないのに、エロ化しています。警察も注目しているので、やがて介入するでしょう。これはそれでも人畜無害だからいいけど、問題は〈ネットでのポジション取り〉が、世間の視線を集めたいがゆえに反社会化しがちなこと。今回の事件もそう。

これに対する処方箋には二つの方向がある。第一は「リアル社会にポジションがないからネットで目立って埋め合わせる営みは、浅ましく、さもしい」という認識を植え付けること。幼少期から「そういうヤツを徹底的にバカにする」ように教育するやり方です。

徹底的にバカにされると予期されれば〈ネットでのポジション取り〉をしないかもしれません。でも、社会的承認不足を辛うじてネットで埋め合わせている人々が、ネットで目立つ機会を塞がれたら、追い詰められて、別の暴発行動に及ぶ可能性もあります。

第二の現実的な処方箋は、敷居の低い〈ネットでのポジション取り〉ツールを用意すること。女の子にとっての自撮りがそもそもそうしたもの。フォトレタッチも簡単な昨今。過剰にエロ化しなければ人畜無害なツールでしょう。でも男の子は等価なツールがない。

父親がいても「父親機能が不在」という問題

さて、もうひとつ重要なことがあります。父親の問題です。今回の少年についても、ネットで探索しても、父親の影がどうも薄いのです。フロイト=ラカン派の精神分析によりますと、「父」とは「社会からの要請」を代理してリビドーの発露を抑圧する存在です。

そうした社会からの要請を代理する父の機能をラカンは「父の名」と呼びます。幼少時の全能感・万能感を断念させる「父の名」による禁止を通じて、人は初めて社会でポジションを得る方向に向かうと考えられています。現実の父というより「父親機能」の問題です。

社会にポジションが得られないのは、社会の空洞化もありますが、父親機能の不在ゆえに全能感・万能感を刈り取られていない、ということもありそうです。ラカンはこれを「ファルス=男根を切除されていない」つまり「去勢されていない」と表現しています。

遠隔操作ウィルス事件の片山被告も含め、「父親機能」の不在を感じます。現実に父親がいても、「父親機能」は不在になり得ます。ラカンが「エメ症例」と名付けた自罰的パラノイアが有名です。パラノイアの女性がいて、自ら罰を望むかのように逸脱を重ねます。

ところが司法過程で法の裁きを受けることで、初めて彼女の症状が消えた。そういう症例です。父親機能が喪失されたまま大人になってしまったエメが、司法的に罰せられることで、初めて「父の名」において全能感・万能感が断念されたという風に解釈されます。

社会が空洞化すると、社会の中でポジションを承認されて「自分がいていいんだな」と思える機会が少なくなります。でも、全能感・万能感が刈り取られないので人々とうまくコミュニケーションできない人は、どのみち社会の中には永久にポジションがあり得ない。

警察に逮捕されて初めて、ラカン的にいえば「父の名」において全能感・万能感が刈り取られ、マトモになる。道徳的に改心したというより、謂わば症状の緩解ですね。遠隔操作ウィルス事件の片山被告も今回のドローン少年も、エメと似た道を辿るかもしれない。

しかし他方、エメの時代と違い、現代のネット社会には「投げ銭」など万能感をドライブする装置が随所にあります。警察・司法プロセスが追い付かなかったり、グレーで介入できなかったりする。だから今後もそういう人たちがどんどん増える可能性がありますね。

(構成:東郷正永)

<連載「みなさんの常識は、世界の非常識」概要>
社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景をわかりやすく解説します。本連載は、TBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

■TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」

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