ビジネスはJリーグを救えるか_bnr

名古屋グランパス 中林尚夫専務 インタビュー後編

名古屋に2万人の新スタジアムを建設できるか?

2015/7/8
名古屋グランパスの中林尚夫専務は、韓国トヨタ社長時代に新市場に挑み、カムリが韓国のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞するほどにトヨタ車を浸透させた。その手腕をサッカー界で生かせないわけない。インタビュー後編では、より具体的なクラブ改革案について聞いた。(文:西川結城)
前編:韓国トヨタの前社長が挑む「自動車的サッカー経営改革」

トヨタ時代につくったセールスマンのための仕組み

──中林さんご自身はこれまでどんなビジネスマンとして生きてきましたか。

中林:韓国トヨタ時代を含めて何をしてきたのか。思い返せば、どんな時でも「一体お客さんは誰なんだろう」「マーケットはどこだろう」と考えてきました。

そこで目標を定め、どうやってその土地で愛されて商品を購入してもらって、さらにサスティナブルなビジネスモデルにできるのか。そんなことばかり考えてきました。

具体的には、トヨタでの約30年で自分が主にやってきた仕事は「セールスマンがどうすればさらに車を売ることができるか」というためのアイデア、コンセプト、ツールの開発です。

最近で言うと、iPadにカタログを入れてプレゼンテーションする方法をつくりました。さらに人間同士のコミュニケーションにしても、「Hi!」と声をかけるか、「Good morning, sir」とかけるか、それだけでも違いが出てくるといった基本ルールもつくってきました。

100人のうち1人を振り向かせろ

──韓国トヨタの社長時代の経験で役立っていることはありますか。

韓国トヨタにいたときに、非常に良い経験になったと思うことが2つあります。

1つはシェアを2倍にしようという目標を立てたときのこと。たとえば、アメリカの自動車市場は2500万台のマーケットで、トヨタはすでに15%のシェアを占めています。それを2倍の30%にするのは、なかなか難しいことです。

一方、韓国の160万台のマーケットにおいて、韓国トヨタの販売台数は1万台なかったくらいです。シェアは1%にも満たない。それを2倍にすることは、現代自動車と起亜自動車の100人のお客さんのうち1人、トヨタに振り向いてもらうだけでいいわけです。

そこで、韓国内のトヨタ販売店に向けて言いました。

「シェアを2倍にするのは難しいと頭で考えているかもしれない。ただ、あなたたちの隣り
にいる100人の現代車ユーザーのうち、1人をカムリに振り向かせてもらえれば良い。100人に1人でいいんだぞ!」

そうすると韓国の社員たちはみんな「ハルスイッソヨ!(韓国語で「できます」)」となったわけです。発想の転換で目標を達成できました。

韓国向けの接客マニュアルで文化の壁を克服

もう1つは、韓国は「“ウリ”と“ナム”(ウリは身内、ナムは他人)」の意識にまつわる経験です。韓国では身内や友人には本当に手厚い関係を築く一方、他人のことは無関心。

韓国トヨタのとあるショールームでは、初めて来る予約のない新規客が1カ月に約200人でした。そのお客さんたちに、うちのスタッフは声をかけていなかったのです。お得意さまではないので、彼らからすれば“ナム”(他人)なのです。

僕は「声をかけてくれ」と言いました。最初はみんな抵抗があったようです。それでもディーラーの1人が「一度だけ、中林さんが言うとおりにやってみますよ」と言ってきたので、新規客に対する接客マニュアルをつくりました。

韓国のトヨタやレクサスのディーラーに、冷やかし半分のお客さんは来ません。みんな、真剣に買いに来るのです。その人たちに声をかけないなんてあり得ない。でも彼らはかけない。それが文化だからです。

ビジネスの世界では、それではいけません。そうした文化や環境の違いを克服しながら集団を機能させていくという作業は、本当に良い経験でした。

中林尚夫(なかばやし・ひさお、写真右) 早稲田大学卒。2010年1月、韓国トヨタ社長に就任すると円高や東日本大震災の影響を乗り越え、FTAを利用してアメリカの工場で生産した新型車を韓国市場に投入。販売台数を2倍に伸ばした。トヨタ車が韓国で高く評価されるきっかけをつくり、2013年12月、カムリが輸入車として初めて韓国カー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。2014年1月、豊田章男社長(写真左)の指令で名古屋グランパスへ赴任。今年4月、専務に昇任した。(写真:Yonhap/アフロ)

中林尚夫(なかばやし・ひさお、写真右)
早稲田大学卒。2010年1月韓国トヨタ社長に就任すると、円高や東日本大震災の影響を乗り越え、自由貿易協定(FTA)を利用してアメリカの工場で生産した新型車を韓国市場に投入。販売台数を2倍に伸ばした。トヨタ車が韓国で高く評価されるきっかけをつくり、2013年12月、カムリが輸入車として初めて韓国カー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。2014年1月、豊田章男社長(写真左)の指令で名古屋グランパスへ赴任。今年4月、専務に昇任した(写真:Yonhap/アフロ)

名古屋グランパスの『愛されたいクラブ宣言』

──そうやって車業界で経験を積んで、名古屋グランパスに来てまず感じたことは?

ビジネスにおける基本的なことを、グランパスは案外やってこなかったのかなと感じました。良くも悪くも、社員やスタッフはグランパスに居続けること、関わり続けることが目的になっているようなことが多かったのではないかと。

私はビジネスにおいてそういう感覚はないです。来たからには、今までにないチャレンジをしていきたい。その気持ちの表れが「愛されたいクラブ宣言」です。

【愛されたいクラブ宣言・概要】
・ホームタウン化促進
・JリーグおよびACLで優勝
・2万人規模の新スタジアム建設
詳しくはクラブ公式ホームページを参照

──今年1月に発表したこの宣言について聞かせてください。

私は正直、グランパスはまだ地域からの愛され方が足りないと考えています。そのための努力が必要です。宣言に書いた3つは、決して建前ではなく本心です。そしてまだクラブが達成できていないことです。

さらに書いていないことを言わせてもらうと、この3つを達成して、日本サッカーが抱えている閉塞感を打ち破りたい。

みんな一生懸命頑張っているけれど、Jリーグにビッグクラブが育たない。そして日本代表はW杯で結果を出せなかった。ここ数年の日本サッカー界はそういう閉塞感を抱えてしまっている。

リーマンショックを言い訳にはできない

もちろんリーマンショックの影響もあったでしょう。でも、日本だけでなく世界でも同じくらいの影響を受けた企業や集団はたくさんある。たとえば、ダメージで言えば、プレミアリーグのほうが大きかったでしょう。でも彼らは回復どころか成長している。なぜJリーグとこれほどの差がつくんだろうと思いました。

閉塞感を破るには、まずグランパスを変えないといけない。チームを強くし、スタジアムをもっと改善していかないといけない。その目標を達成させていくためには、まずはクラブにサスティナブルなビジネスモデルを根づかせていかないといけない。それで、この3つのことをやっていこうということなのです。

2014年に自分がグランパスに来て以降、責任企業のトヨタグループの皆さんといろいろ話し合ってきました。ここが足りない、あれができていない。そういう話を集約して、この宣言をまとめました。最後は久米一正社長、佐々木眞一副会長、そして豊田章男会長が賛同して、完成しました。

上から与えられた理念では魂がこもらない

──この宣言は新しいことではなく、そもそも各クラブが掲げるべき基本的な理念でもあるように思えます。これを満たせているクラブは少ないとお考えですか。

私がこの世界に来て感じるのは、こういう目標や理念というのは、サッカーの世界では上から与えられたものだったではないのか、ということでした。

Jリーグができたときに、サッカークラブとはこうあるべきもの、ホームタウン活動とはこういうもの、ユースチームを持ちなさい、ファンクラブや後援会はこういうかたちでつくりなさい、運営とは、GMとはこういう仕事です、みたいにJリーグ本体からの指示ですべてが構成されていったと思います。

でも本質的にはそうであってはいけない。たとえば、ファンクラブは必要だから生まれてくるもの。後援会もそう。今のJリーグはみんな与えられたものでできあがっていると感じています。

トヨタ社員はグランパスへの思い入れが乏しい

──1つ目の宣言は、Jリーグの理念でもある地域密着についてです。

1つ目の宣言は、もう1回原点に戻って、今度はクラブが自分たちでそれらをつくっていかないといけないという思いを明確にしました。ホームタウンで愛されるためには、もっと身近に、もっと楽しく、そう目指すのは当たり前です。

大都市ではなく小さい街のクラブのほうが、こうした意識をしっかり持ってやっているところがあると思います。名古屋、中部圏という大きなマーケットの中で、J1クラブは現在グランパスしかない。あぐらをかいていたわけではないのでしょうけれど、すべきことをしてこなかったところは少なからずあると思います。本当に楽しんでもらって、身近に感じてもらえていましたか? と。

地域から見ると、グランパスはこれまでもトヨタグループのサッカークラブだという認識をされていたでしょう。ところが、僕みたいにトヨタからグランパスに来た人間で、愛知県に住んでいなかった立場からすると、「あれ? グランパスはトヨタというよりも、地元地域のクラブでしょ」みたいな感覚だったんです。

ということは、これまでのグランパスは地域側でもない、トヨタ側でもない、どっちつかずになっていたのです。

僕は企業がクラブのバックにいることを否定しません。そのメリットを生かしたうえで、地域にもっと根づいていかないといけないと思っています。中途半端にするのではなく、“イイトコドリ”をすればいいんですよ。

世界に出るという宣言

──2つ目は現場であるチーム強化について、具体的な目標を掲げています。

アジアから世界水準を見据えてという項目をはっきりと明記しました。つまりACL(アジア・チャンピオンズリーグ)に出て、世界にも出ていきますよという宣言です。

今年は新体制発表の席でも、ファンの前で3年以内に国内タイトルを獲得しますということを明言しました。そこに向かったチームづくりもしていく。

今季は順位もまだ中位でなかなかうまくはいっていませんが、とにかく先の明確な目標に向かって、理詰めでしっかり進めていく。そのための体制をつくっています。これまでのグランパスはチーム、事業・営業部、ユース、スクールが有機的につながっておらず、バラバラな部分が多かったのも事実です。そこをまとめていきます。

名古屋と豊田の二兎を追う

──そして最後の3つ目はスタジアムについての新提案となっています。

クラブには名古屋という名前が付いていますが、豊田スタジアムという立派な器があるので豊田市でも試合をしています。名古屋市のファンからすれば「クラブは豊田に移転してしまうのでは?」と思っている人もいました。一方、豊田市の人は「いつか名古屋に帰るのでは?」と思っている。クラブ内部でも、どっちつかずになっていた。

だからこれははっきりさせるために、「グランパス二都物語」の実現という項目を加えました。

極端な話、ホームゲームはリーグ戦で17試合しかありません。仮にスタジアムが1つだけだったとしても、365日のうちの17日しかそこで試合ができない。約350日はスタジアムで独自なことをしないと生きていけないのです。ということは、スタジアムが1つであろうが2つであろうが、現状は厳しいわけです。

豊田か名古屋かという二者択一ではなくて、どちらでもしっかり試合運営をしていくべきです。たとえば、両都市で10試合ずつ開催するとしても、毎回最高の品質を届けられるようにお互いやっていきましょう、と。

豊田には豊スタという“立派な箱”があるので、もっとお客さんに訴えかけるようなエンターテインメントの空間としてブランディングしていってはどうか。今は豊スタはほかのスタジアムよりピッチはいいですが、ハード面やソフト面まで含めた運営はJリーグでナンバーワンではありません。

2万人規模の新スタジアムに挑戦

一方、名古屋にはグランパスの聖地である瑞穂陸上競技場がありますが、1941年にできたスタジアムなので、老朽化も含めていろいろな面で苦しいところもある。だからこそ、名古屋市内で新スタジアム建設にトライしたい。

2万人規模のサイズで良いと思っています。そこをいつも満員にすればいい。豊田に4万人強の大きなスタジアムがあるにもかかわらず、そこから50kmも離れていない場所にそれ以上の規模のスタジアムを建てる必要はないと、現段階では考えています。

名古屋では小規模ながらもプレミアリーグのスタジアムみたいに常に満員で迫力のある空間をつくったほうがいい。皆さんの声を聞きながら、話を前に進めてみようということになりました。これまではそういう行動すら起こしていませんでした。

ノウハウが蓄積されてない業界

──ここまでグランパスの問題点や課題を語っていただきましたが、純粋にサッカービジネスを始めた感想は?

難しいですね、大変ですよ。自動車というのは、フォードが大量生産を実現させて、GMがマーケティングを開発したり、トヨタや日産、ホンダが世界で戦えるモデルをつくったり、また、メルセデスやBMWが新たな取り組みを始めたり、結局どんな道に行くにしてもある程度のやり方が確立されています。かなりノウハウが積み重なっている世界です。だから業績を伸ばすやり方がわからない、できない、そういうことがあまりなかったです。

うまくいかない理由としてよく挙げられるのが、「時間がない」「おカネがない」「人がいない」「やる気がない」。もうひとつあると僕は思いました。「やり方がわからない」。結構これが難しい部分だなと感じて。ほかのクラブの方々に聞いても明確なやり方が出てこない。リーグや協会の人たちも同じ反応です。

やったことがないことをやりたい

──その「わからない」をひとつずつひもといていく作業が、今後の中林さんの仕事になるわけですね。

私はこれまで知らない世界に飛び込んで仕事をしてきた経験があります。だから今回サッカー界に来て、どこまでできるか。もちろん未知数ですけれど、自分が持っているマーケティングやセールスのノウハウ、考え方は決してこの業界で通用しないとは思わない。通じると思います。だから、一つひとつ、丁寧にやっていきます。

難しいことだとは百も承知です。私を素人だと思って接してくる人も多いです。でも仕方ないですよ。自分の周りにいるサッカーの大先輩たちの中には、40年間この世界で生きている人もいるのです。そういう人たちに対して、僕はたった1年半です。

ただ、私はここでグランパスの実績をつくりたい。今までやったことのないことをやろうとしていますから、いろいろ言われることもあると思います。でも私欲を満たすためにやっているわけではない。

誤解してほしくないのは、何かをぶっ壊そうとしているわけではない。尊重し、敬意を払いながらも、でもここは変えていきましょうというかたちでやっていければいい。変わるグランパスに注目してもらいたいですね。

*本連載は毎週木曜日に掲載予定です。