「私たちは、間違ったヒーローを求めていた」

2015/5/24

格差は解決不可能だ

質問者:講演が格差の問題の解決というテーマですが、所得税の運用でなんとか解決できないか、と思うのですが。
シビアなことを言ってもいいですか? 格差は解決できないです。資本主義である限り、ハサミがグッと開いていくように、格差はどんどん開いていきます。税制をどうしようが、格差は開いていく。もはや格差の是正ということは、私は考える必要はないと思う。というか、考えても意味がない。
格差を是正する方法は主に2つあります。ひとつは世界大戦。もうひとつは世界革命。ピケティは世界大戦のほうだけ分析しているけれども、革命も格差を是正する機能があると思います。でも、これらはどちらも現実的な解決方法でない。
では、何をやらないといけないか。私はベーシックインカムに賛成です。特に、衆議院の前原誠司議員さんが非常に精緻なモデルを立てていて、面白いと思います。ベーシックインカムの導入も、格差対策ではなく貧困対策なんですよ。貧困対策はすでに動き出していて、前原議員のほかにも、下村博文文部科学大臣(当時)が奨学金の拡大などに尽力しています。
全体のシステムを変更しようとしても、できる範囲が限られます。ピケティの提案などは官僚性善説に立たないとできない。私自身が官僚だったから言えることなのですが、あんな性善説は現実的ではありません。
さらに、ピケティは、タックス・ヘイヴンをつぶすことも提案していますが、大英帝国がなくならない限り、タックス・ヘイヴンはつぶせない。

誰に任せてもうまくいかなかった民主主義

私は政治家にとって重要なのは、人の気持ちになって考える能力だと思っています。
田中角栄さんにはそれがあった。小渕恵三さんにもあった。ムースを頭につけている橋本龍太郎さんにも、ちょっと希薄ではあったけれど、そういう能力はあったし「サメの脳みそ、ノミの心臓、下半身はオットセイ」と言われていた森喜朗さんにしても、人の気持ちになって考えるっていうことができた。あるいは菅直人さんだって、結構、人の気持ちになって考えられる人ですよ。
ちょっと違うのが、やっぱり小泉純一郎さん。野田佳彦さんや、鳩山由紀夫さんもちょっと違うな。安倍晋三さんも、自分の思っていることに関しては意地になりますね。全部ゴリ押しで解決する、っていう感じだと思うんですよね。
そういう人には、将棋の戦法でいう穴熊かなんかで、ずっとこっちのほうが死んだふりをしていればいい。「いつまでも続くはずないんだから、放っておこう」という感じになってくる。
いつもコンビニの前でうんこ座りしている、距離感覚の近いお友達たちとのあいだでは楽しくやっている、という感じの人たちだと思う。だから、仕方がない。
政権の移り変わりをもっと俯瞰(ふかん)した目線から見てみると、まず、いわゆる旧経世会型、土建を通じて再分配をするという田中派型の日本型社民主義は、鈴木宗男事件で終わった。
その次に小泉さんの改革路線があって、これは基本的に今の安倍さんが継いでいます。この改革路線は、大衆の利害と一致しないものなのですが、それでも彼らが政権を任された理由は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(平凡社)でマルクスが述べる通り、代表する者と代表される者の利害関係は一致しないからです。人間には表象能力があるから、イメージで操作できるということを、マルクスはこの本で言っているんですね。
具体的には、フランスの第二共和政では、今まで選挙権のない、貧しい農民に選挙権を与えたところ、ナポレオンの甥っ子だと自称する、海の者か山の者かわからないナポレオン三世にみんな投票してしまった。おまけに、そのナポレオン三世の公約は、どう考えても分割地農民の不利になるものだったんですね。
なぜこんな異常なことが起きるのか、ということをマルクスが分析した結果、自分たちを代表するようなきちんとした組織がないと、人間は幻想をつくり出して、「この人が代表してくれるだろう」と思い込んでしまう、との結論に至りました。改革路線への支持も、こういったところからきているわけです。
その次に政権を取った人たちは、松下政経塾を出た、たたき上げで学校の成績がいい人たちでした。その人たちが政権を取って、うまくいかなかった。
そこで、まだ権力を取ってなかった人がいる、と。コンビニの前でうんこ座りしている人だ、と。政権を任せられるのは、あいつらしか残っていないと言うから、彼らが担ぎだされ始めている。これが、反知性主義の成り立ちなんです。

間違った救世主

今、こういう状況になっているから、精神科医の斎藤環さんが言うとおり、最後のとりでとしてヤンキーたちが頑張っているわけです。でもね、浪速のエリカ嬢みたいなのが出てくるわけでしょ。それから「類は友を呼ぶ」で、県議会のレベルでは号泣議員などが出てきて、やっぱりどこかおかしいでしょう。
ところが、みんな、それを認めたくない。こんなひどい者たちをわれわれが信頼して、代表として選出したことを認めると、そんな連中を信頼した自分がみじめになる。この、いったん信頼すると、裏切られても信じ続けるメカニズムについてはニクラス・ルーマンという人が『信頼──社会的な複雑性の縮減メカニズム』(勁草書房)という本の中で説明しています。
では、どうしたらいいのか。
結論から言ったら、目に見える範囲の友達とか人間関係を大切にして、極力おかしいことに巻き込まれないようにするということ。
又吉直樹さんの『火花』や柄谷行人さんの評論、小林秀雄さんの評論を読むこと。『希望の資本論』で、『資本論』の論理を学ぶこと。
ドイツのライプツィヒ大学の小林敏明さんが最近出した『 柄谷行人論 〈他者〉のゆくえ』(筑摩書房)という評論があるんですが、これを読むと又吉さんが扱っていることが何なのかわかりますよ。
綿矢りささんの小説では、なぜこんなに悪の問題ばかり続いて出てくるのか、宮部みゆきさんの『ソロモンの偽証』(新潮社)はどうして面白いのか、角田光代さんの『八日目の蝉』(中央公論新社)はどうして人の心を打つのかとか、そういうこともわかるようになる。時代が嫌なときは、いい小説を読むことだと思います。(終わり)
(構成:ケイヒル・エミ)