2024/3/20

古着でデロリアンが走る…参加したくなる仕組みで社会を変える

フリーランスライター
リサイクルによって、石油など新たな“地下資源”を必要としない循環型社会をつくる。そんな壮大なビジョンのもとに事業を拡大してきたJEPLAN(本社・川崎市、旧・日本環境設計)の岩元美智彦会長(59)。彼の名前が一躍注目されたのが、2015年に東京・お台場で行われたあるイベントでした。他の追随を許さない技術と、多くの企業を巻き込んだ仕組みづくり……岩元会長がそれらに加えて取り組むのは、「楽しむ」ことで人の心を動かす、消費者参加型のスタイルです。(第3回/全3回)
INDEX
  • 劇中と同じ日付に走った「デロリアン」
  • 社員研修で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」試写会
  • 代表ユニホームや大会メダルも再生素材から
  • 新聞記事からの“ひらめき”で起業決意
  • 「社長」の座を譲ったわけ
岩元美智彦(いわもと・みちひこ) JEPLAN(旧・日本環境設計)取締役 執行役員会長。1964年鹿児島県生まれ。北九州大学(現・北九州市立大学)卒業後、繊維商社に入社。2007年1月、現社長の髙尾正樹氏とともに日本環境設計を設立。2015年アショカ・フェローに選出。著書に『「捨てない未来」はこのビジネスから生まれる』(ダイヤモンド社)。

劇中と同じ日付に走った「デロリアン」

イベントは、世界的に大ヒットしたハリウッド映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の誕生30周年を記念したもの。イベントが開かれた2015年10月21日は、映画の2作目(1989年公開)で主人公のマーティとドクが、彼らの暮らす1985年からタイムスリップしてやってきた”30年後の未来”の日付でした。
このとき、集まった観客の心を躍らせたのは、映画に登場する自動車型のタイムマシン「デロリアン」が、映画さながらに“ゴミ”からつくった燃料で実際に会場を走ったこと。この奇想天外なプロジェクトを仕掛けたのが、岩元会長(当時は社長)でした。
JEPLANは当時、古着に含まれる綿をリサイクルしてバイオエタノールを生産する事業に取り組んでいました。映画の中のデロリアンは、バナナの皮などのゴミを燃料にして走るという設定で、イベントでのデロリアンもこれにちなんで、JEPLANの事業によって古着から生産されたバイオエタノールを燃料にして走行したのです。
映画と同じ「2015年10月21日」にデロリアンが走った(提供:JEPLAN)
イベントの様子は、デロリアンの写真や動画とともに多くのメディアで報じられました。まさに、インパクト抜群。無名だった創業8年のベンチャー企業にとっては、絶好のアピールの場となったといえるでしょう。岩元会長が、こう語ります。
「『リサイクルの会社です』と言ったら難しそうなイメージを持たれますが、『デロリアン持ってます』とか、『デロリアンを動かしたJEPLANです』と言うだけで、まわりの人たちも『面白いおっさんだな』と話を聞いてくれて、つかみはOKになる(笑)。それだけでなく、こんなふうに楽しいイベントにすれば、環境に興味がなかった人たちも参加してくれるし、『デロリアン乗ったぜ!』とSNSに上げてくれたりして、さらに伝播していく。そうこうするうちに、環境に対する気づきも自然と生まれてくる。こうやって興味がなかった層にも参加してもらうきっかけをつくらないと、世の中、変わらないと思っています」

社員研修で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」試写会

そもそも「デロリアン」は、岩元会長にとって創業の“原点”ともいえます。岩元会長は、リアルタイムで「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」を見たときの、胸躍るワクワク感を忘れません。
未来ではゴミでクルマが走るんだ!――その驚きが、リサイクルを考える原体験になっています。そして、映画通りの日付にデロリアンを走らせる、というのが創業当初から「夢」だったのです。
ただ、イベント実現にこぎつけるのは、決して簡単ではありませんでした。映画の製作元であるNBCユニバーサル社の許可を得るルートからしてわからず、悪戦苦闘した末、社員が直接、米国の本社の代表番号に電話して交渉。その場で“循環型社会”の意義を熱く語って「公認イベント」として認めてもらった、というドラマのような展開もありました。
「実は、それよりも社内を説得するのが大変でした。社員はみんな若いから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を見たことがない(笑)。研修をしようと言って、ホテルでみんなに1作目からビデオを見てもらって。もう、社長のわがままとしか見えなかったでしょうね。でも、実際に現場でデロリアンが走る光景を見たら、反対していた社員もみんな感激して、私が常々言っていた『正しいを楽しく』という意味が、一発で腹落ちしていた。ああ、人の心ってこんなに動くんだな、と思いました」
「正しいを楽しく」は、岩元会長がふだんから口にしている言葉です。リサイクルをめぐる独自の技術や仕組みづくりのノウハウを持ちながら、JEPLANはさらに、イベントなどをきっかけに多くの消費者を巻き込む“参加型”の手法を得意としています。
古着を集めてクルマを走らせよう! 古着を集めてスポーツ大会のユニホームをつくろう! こうした消費者が共感できるような、わかりやすい“ストーリー”をつくって、消費者が自分の意思でリサイクルに参加したいと思わせることを、常に意識しているのです。

代表ユニホームや大会メダルも再生素材から

消費者参加型の手法は、その後も力を発揮しています。たとえば、記憶に新しいところで、2023年9月から10月にかけて実施されたラグビー・ワールドカップフランス大会。日本代表チームが着る「桜ジャージ」は1997年からスポーツアパレルメーカー・ゴールドウインが手がけていますが、この大会ではJEPLANのリサイクル技術を使って、ファンから集めた古着をもとにしたポリエステル繊維が生地の一部に使われました。
JEPLANの北九州響灘工場では再生ポリエステル樹脂製造プラントが稼働している(提供:JEPLAN)
同年8月の北海道マラソンでも、JEPLANが手がける製品が大会記念Tシャツのボディとして採用されました。これは前回の大会期間中に会場で回収された不要なランニングウェアを再生してつくられたものです。今回の大会会場でも、前年に続いて回収が実施され、循環の輪がつながっていっています。
さらに、NTTドコモと組んで展開している使用済み携帯電話のリサイクル事業で取り出した金属を使って、国際的なスポーツ大会の金・銀・銅メダルをつくるサポートも行いました。契約などの関係で、すべての実績を表立ってアピールできるわけではありませんが、それでもやる意味はあると岩元会長は語ります。
「一般に公表できなくても、業界の中ではみんなわかっていますからね。やったことは実績として評価されますから、次の大きな案件にもつながります。みんなにリサイクルに参加してもらうことで意識や行動の変化を促していくというやり方は、他社にはなかなかできないことだと自負しています」

新聞記事からの“ひらめき”で起業決意

持ち前のアイデアと営業力で会社の成長を牽引してきた岩元会長ですが、42歳で起業するまでは、繊維関係の商社の営業マンとして働くサラリーマンでした。
リサイクルの世界に足を踏み入れるきっかけは、1995年に容器包装リサイクル法が制定されたこと。製造業者側に容器包装の再商品化を義務づけたこの新法を受けて、会社の指令で、ペットボトルのリサイクルを軌道に乗せるための企業横断型のプロジェクトに参加しました。ここで、立場の違う企業や官公庁と粘り強く交渉を重ねる経験を積み、ごみの分別収集などへの意識を高めるための消費者への広報活動にも取り組んできました。
「インフラとして広げるために他業界も巻き込んでいくこと。その場その場の対応だけでなく、“仕組み”をつくって勝つ方法を考えること。消費者の意識や行動を変えられれば、社会も大きく変わること……私がJEPLANで取り組んできたことというのは、20年間の会社員時代に培ってきたことが基礎になっています」
会社員時代、多くの繊維製品がリサイクルもされずに廃棄されている現状を何とかしたいという問題意識を募らせていました。そんなときに訪れた“ある出会い”が、起業のきっかけとなりました。ともに創業し、二人三脚で会社をまわしてきた髙尾正樹社長(43、創業時は専務)です。
創業当時の岩元会長(右)と髙尾社長(提供:JEPLAN)
もともと東京大学の大学院生として技術者を志していた髙尾社長とは、たまたま異業種交流会で知り合い、なぜか意気投合しました。16歳も年下ですが、岩元会長の「相棒」のような間柄です。
「ある日、トウモロコシからバイオエタノールがつくれるという新聞記事を読んで、『同じ植物の綿からも、バイオエタノールがつくれるんちゃうか』とひらめいたんです。そこで髙尾を居酒屋に呼び出して、この直感をぶつけると、髙尾は二つ返事で『いけるんちゃいますか』と返してきて……それが起業のきっかけになったんです。もちろん、お互いに“素人考え”ですから、そこからが大変だったんですが(笑)」

「社長」の座を譲ったわけ

思いつきから、そんなに簡単に技術が確立されるわけでもなく、それでも大阪大学の研究室の協力を得ながら技術開発するなかで“幸運”にも恵まれながら、2年ほどで、のちに「デロリアン」を走らせることになる、綿繊維からバイオエタノールを生産する技術の実用化にこぎつけました。
その後、使用済み携帯電話から貴金属やレアメタルを回収する事業、さらに現在、ビジネスの主力となっている、服などに使われるポリエステル繊維や、ペットボトルのリサイクル事業と、ビジネスの幅を広げていったのです。
ボトルからボトルをつくるプロセスサンプル(提供:JEPLAN)
「循環型社会を目指すというひとつの山があって、文系の私と理系の彼で登り方はまったく違いますが、違うパターンの2つの意見があったことがかえってよかったのかもしれません。そこから17年経って、事業はさまざまなかたちに広がりましたが、こんなことは計画したってできっこない。神様のいたずらとしか思えません」
2016年には創業以来、務めていた社長の座を髙尾氏に譲り、会長に退きました。社長交代の理由のひとつは、同社が今後、見据える海外への本格進出にあるといいます。
「やっぱり、経営は経験が大事ですからね。国内ではそこそこ顔が知られてきましたが、海外で同じように認知されるのに10年はかかる。私は遅すぎるけれど、髙尾はいまから10年頑張っても、まだ50代ですから。私が夢見る完全な循環型社会が実現するのがいつになるのかはわかりませんが、これからも着実に進んでいってほしい」
完全な循環型社会をつくることで、新たな資源を必要としない平和な世の中を実現する──岩元会長の描いた地球規模の夢は、これから世界に羽ばたこうとしています。
(完)