2024/3/6

東京で酪農する “意味”と“価値”、父娘で挑む100年経営

フリーランス ライター
東京のベッドタウン・八王子。57万人が暮らす中核都市の一角で酪農を続ける牧場があります。

磯沼ミルクファーム。1952年、1頭の貸付乳牛から始まった酪農は、70年の時を経て6種約90頭の規模になりました。時代と共に変わるその役割に応えながら、より一層、存在感を強めています。

2022年10月には、牧場と地域をつなぐ新たな拠点として複合施設『TOKYO FARM VILLAGE』を開設。牧場を中心に、人が集い、資源が循環する新たな価値を生み出しています。

父、そして娘夫婦で挑む都市酪農の今とこれからについて、若き3代目・磯沼杏さんに伺いました。
INDEX
  • 戦後の貧しさを栄養面で支えた初代・祖父
  • 高度経済成長で都内農地が激減
  • 理想の都市酪農を追求した2代目・父
  • 地域との共生、還元にも積極的に取り組む
磯沼杏さん
1993年生まれ。1952年に創業した磯沼ミルクファームの代表磯沼正徳さんの次女。3代目として入り婿の夫・周平さんとともに酪農事業に携わる。看板商品である『かあさん牛の名前入りヨーグルト』や『みるくの黄金律ソフトクリーム』など関連商品の販売とショップを運営する部門として2022年に株式会社Dairy&Farmyを設立。代表取締役を務める。

戦後の貧しさを栄養面で支えた初代・祖父

街並みの一角に牧場と地域をつなぐ新拠点を開設
東京・新宿駅から京王線で山田駅へ。駅からの徒歩を入れても50分程で到着する磯沼ミルクファームは、都心からのアクセスがいい、珍しい牧場です。ベッドタウンの街並みの一角にあり、かつ広い放牧地を有していることに驚かされます。
3代目となる磯沼杏さんは、この地域について話します。
磯沼「この小比企(こびき)町エリアは、八王子市の中でも農地が残る地域の一つです。土壌が豊かで水源もありますので古くから田畑を耕す農家も多く、磯沼家も江戸時代中期には農業で生計を立てていました。
酪農を取り入れたのは祖父の代で、1952年のこと。天候に左右されない乳価で、安定した収入源を確保するという経営的な考えもあったと思いますが、戦後の貧しい日本を栄養面で支える役割を果たしていたと思います」
1958年には学校給食で牛乳が提供されるようになり、牛乳の国内消費が急激に拡大。冷蔵技術も輸送網も未発達だった当時、酪農を東京近郊で行うのは必至でした。

高度経済成長で都内農地が激減

高度経済成長中期・1960年代後半になると東京近郊の酪農は、風向きが変わっていきます。
生産効率を高めるため、地方の広い土地でまとめて生産し都内へ運搬するという産業形態へとシフト。東京近郊はベッドタウンとしての機能を求められ、農地や緑地は宅地へと変わっていきました。
道路や民家のすぐ横にあったかつての放牧地(写真提供:磯沼ミルクファーム)
磯沼「このエリアも京王高尾線が開通した1967年以降、宅地開発が進みました。住宅地に牧場があることを驚かれますが、周りが宅地に変わっていったという感じです。
今でこそ、輸送コストや排出ガス問題から地産地消が見直され、災害時の食料確保の面でも都市農業への理解は深まっていますが、当時は、農地を守るという意識は薄く、現在の生産緑地制度のような税制優遇もない中で、農地が宅地へと変わっていくことは仕方のないことでした」
6品種もの乳牛を育成しているのは国内でも珍しい

理想の都市酪農を追求した2代目・父

1973年に第1次オイルショックが起き経済成長にブレーキがかかると、東京の酪農業は1975年頃をピークに減少していきます。
磯沼「時代の流れを考えると、この頃に酪農をやめてしまうという選択肢もあったのかもしれません。ですが2代目として経営に携わっていた若き日の父は、自分の志す理想の酪農と、都市だからこそできる酪農を追求することで、都市酪農の存在意義を見いだそうとしたのだと思います」
つなぎがトレードマークの2代目・磯沼正徳さん
父・正徳さんが目指したのは『牛と人のしあわせな牧場』。
研究熱心で、アイデアマンという正徳さんの取り組みは、今で言うところの“エコ”や“SDGs”の精神が息づくものばかり。シンボリックな言葉が誕生するよりもずっと前から、持続可能な循環型社会の実現につながる行動を実践していました。
磯沼「磯沼ミルクファームと言えば、広々とした放牧地で自由に歩き回る牛たちの姿を思い浮かべる方が多いと思いますが、これは、父が20代の時にニュージーランド研修で体験した風景がもとになっています。
アニマルウェルフェア(家畜福祉)の考えに基づき、つなぎ飼いではなく、牛たちが自由に歩く・寝る・食べることができる牛舎(フリーバーン)を50年以上前から採用しています。広い放牧地で、好きな時に食べて、好きな時に寝る。そして運動する、自然交配もする。生産効率だけを見れば決してよくはないですが、健康的でストレスなく過ごした牛たちは、たっぷりとおいしいミルクを出してくれます」
つなぎ飼いではなく、牛たちが自由に過ごす牛舎

地域との共生、還元にも積極的に取り組む

さらに、都市酪農が配慮に苦労する臭い対策も独特です。
磯沼「コーヒーダストやカカオの殻などを安価で仕入れ、牛床に敷き詰めることで消臭効果を利用し、牛舎の臭いを軽減しています。さらに、コーヒーダストが発酵を促進することでできた牛糞堆肥『牛之助』は、高い肥料効果があるので、地域の農家さんや家庭菜園を楽しむ個人の方が活用してくださっています」
コーヒーダストと牛糞の混ざった臭いが控えめな堆肥
このほか、食品工場から出る野菜や果物の端材を干し草に混ぜ、自然のビタミンやミネラルを補給できるエコフィードを導入。牛たちを健やかに育てることで、生産するミルクの安全性にもつなげています。
磯沼「今はエコやSDGsという言葉で表現され、取り組みを評価されるようになりましたが、当時からそのような概念があったわけではなく、父が理想とする酪農を一つ一つ実現していった結果です。
父は、この地で酪農を続けることの意義をどうやって伝えるかを常に考えていました。その中心にあるのが、オープンファームという考え方です」
毛刈りイベントで活躍する羊は、子どもたちの人気者
次は、磯沼ミルクファームの根幹にあるオープンファームの取り組みに迫ります。