20150415_為末大の未来対談_慶應新井

為末大の未来対談 第9回

老いを受け入れた先にある「老年的超越」の境地

2015/4/22
元陸上プロ選手の為末大氏が、科学・技術の各分野をリードする第一人者に、5年後から10年後の近未来における「未来像」を聞いている。
今回、為末氏が訪れたのは東京・信濃町の慶應義塾大学病院。ここには「百寿総合研究センター」という名の研究部門がある。「百寿」または「百寿者」とは「100歳以上の人」のこと。長寿大国の日本では百寿者はすでに5万人を超えており、さらに110歳を超える「超百寿者」も人口150万人に1人というごくわずかな率ながらいる。

いわば“長寿のスーパーエリート”といえる百寿者や超百寿者は、どのようにしてその年齢にまで達したのか。そして、日本ではすでに突入している超高齢社会は5年後、10年後さらにどのようになっていくか。こうした疑問を、為末氏は同センター専任講師で、百寿研究を幅広い観点から進めている新井康通氏に投げかけていく。
シリーズ第2回は、百寿者たちの心理面に迫る。

自然体で暮らしてきた結果としての百寿

為末:今回は、百寿者の方々の心のもちかたなどについて聞いていきたいと思います。まず興味深いところで、百寿者の方々は、若い時から「長生きしたい」「長生きするぞ」と思って過ごしているものでしょうか。

新井:100歳以上の百寿者たちやご家族に聞き取り調査をしていますが、そういう方はほぼいないと思いますね。「どんなことをして長生きされたんですか」と聞いても「まったくそんなこと考えんかった」という方がほとんどです。好きなことをして家族と楽しんでといった日々を送ってきたら100歳を超えていたということなんだと思います。

為末:100歳まで生きちゃった!

新井:そうです。「生きちゃった」の感覚。とても自然体なんです。

為末:そうすると、さらなる疑問として「何歳ぐらいで寿命を迎えるのが最も幸せな一生なのか」という問いが浮かんできます。

新井:それは面白いテーマだと思います。長寿研究でも「モラール・スケール」という尺度の質問票を使って、幸福感、生き甲斐、バイタリティといったQOL(生活の質)の指標を測ったりします。
 20150422_未来百寿モラール図表

為末:「あなたは去年と同じように元気だと思いますか」とか「今の生活に満足していますか」といったことを聞くんですね。

新井:ええ。それで、調べると、やはり年齢とともに得点は下がっていきます。いろいろなことができなくなってきますから。自立した日常生活を送れる能力である「ADL(日常生活動作能力)」が落ちてきたり。

ところが、百寿者のモラール・スケールの得点は、年齢の割に高いんです。つまり百寿者たちの幸福度は高い。介護を受けたりして、いろいろなことが不自由になるけれど、それでも幸せの度合いは高いんです。

為末:うーん、それはどう解釈すればいいんですか。

新井:医学というより心理学の話になってきますが、百寿者たちは「老年的超越」という境地に達していると考えられます。

「理想の姿」に拘泥せず、自分の状態に適応する

為末:老年的超越、ですか。

新井:ええ。これは一緒に研究を行っている心理学の先生(東京都健康長寿医療センター研究員の増井幸恵さん)が教えてくれた言葉です。

現実の生活では自分にもいろいろできないことが増えてくるけれど、目を閉じればご先祖様の顔が浮かんでくる。屋根瓦の石を見上げていると昔の幸せな頃を思い出す。そんなふうに、たとえ歩けなくなったとしても、心はいろいろなところと“つながっている”わけです。

寝たきりのご高齢者を見ると、私たちでも、つい「この人には、なにか楽しいことはあるんだろうか」と思ってしまいます。でも、本人にしてみるとその生活は苦ではなかったりするんですよね。

為末:それはどうなんでしょう。自分の活動に対する期待の度合いが下がったからともとれるし、そういう状況を受け入れることができたからともとれるし……。

新井:そうですね、私は「適応」の一種なんだと思っています。確かに、昨日よりも今日のほうが状態が悪くなる。できないことも増えていく。100歳を超えれば友だちもほとんど亡くなり、場合によってはお子さんも亡くしている。嫌なことばかり増えていくと気持ちは沈む……。

けれども、どこかでそういう状態に折り合いをつけてそれを受容している。その過程を経ることで、幸せに長生きできるようになるという部分もあるんだと思います。

為末:なるほど。「これこそが自分の理想の姿だ」というイメージをあまりにもち続けすぎると、状態はそこから離れていくばかりですもんね。だから、その都度、理想を変えたり、時には理想を捨てたりしながら現状を受け入れていく。その作業が上手になると、幸福度は高くなるような気がしますね。

新井:ルービンシュタインというアメリカの著名なピアニストの話ですが、彼は89歳の時にカーネギーホールで引退リサイタルをし、95歳で亡くなられています。彼は若い頃は速弾きの技巧派として名声を得ますが、高齢になって演奏でミスタッチが増えるようになると速弾きを目標とせず、また以前よりも練習に時間をかけるようになったといわれています。

さらにルービンシュタインは練習をしてもカバーできないことを悟ると、演奏曲のレパートリーを少なくして演奏するようにしたそうです。そのようして生涯現役ピアニストを続けました。

自分のできる範囲の中でやれることを考えるという意味での適応を、とても上手になさっている事例だと思います。

新井康通(あらい・やすみち) 慶應義塾大学医学部百寿総合研究センター、総合診療科専任講師。慶應義塾大学医学部助教を経て、2014年より現職。内科学一般、統合栄養科学、社会系歯学などを研究対象としつつ、100歳以上の高齢者を意味する「百寿者」の研究を、同大学老年内科診療科部長だった広瀬信義氏(現・百寿総合研究センター特別招聘教授)とともに行う。長寿遺伝子や長寿をもたらすとされるホルモン「アディポネクチン」などの基礎的な研究から、百寿者への聞き取り調査まで、幅広く長寿を研究する。日本内科学会認定医・総合内科専門医。日本老年医学会認定医・専門医・指導医。日本動脈硬化学会認定医・専門医。

新井康通(あらい・やすみち)
慶應義塾大学医学部百寿総合研究センター、総合診療科専任講師。慶應義塾大学医学部助教を経て、2014年より現職。内科学一般、統合栄養科学、社会系歯学などを研究対象としつつ、100歳以上の高齢者を意味する「百寿者」の研究を、同大学老年内科診療科部長だった広瀬信義氏(現・百寿総合研究センター特別招聘教授)とともに行う。長寿遺伝子や長寿をもたらすとされるホルモン「アディポネクチン」などの基礎的な研究から、百寿者への聞き取り調査まで、幅広く長寿を研究する。日本内科学会認定医・総合内科専門医。日本老年医学会認定医・専門医・指導医。日本動脈硬化学会認定医・専門医。

宗教、プラセボ、信じるという効果

為末:きっと、そうして自分の状態を受け入れていった先に「老年的超越」の境地があるんでしょうね。でも、どうやって、その境地までたどり着くのか……。

新井:いかにストレスを克服するかということが大事なんだと思います。百寿者の方々に「どんなことがいちばん大変でしたか」と尋ねると、「(1923年の)関東大震災の時だった」とお答えになります。太平洋戦争の時はすでに40歳代や50歳代になっていて、兵役を経験されていない方も多くいて……。

為末:すごいですね。

新井:そうした時代に経験した苦難を覚えていて、「あの時を思えばなんともない」とおっしゃいます。それに、肉親の方を亡くした苦しみなども乗り越えてきたわけです。

為末:そうした苦しみを受け入れるというのは、仏教の諸行無常観なんかに近いような気もしますね。宗教と寿命の関係なんかも調べられているんですか。

新井:「信仰をもっていますか」というアンケートは存在します。われわれが調査したのではありませんが、一般的には信仰をもっている人のほうが長寿になる傾向があるとはいわれています。

為末:宗教ではありませんが、「信じる」っていう意味で「プラセボ効果」について現役時代から興味があるんです。あるコーチは、どう考えても根拠のなさそうなことを選手に言い聞かせて、選手もそれを信じていると、不思議と好成績が出ることもありました。なにかしら人間の思い込みが寿命に影響をするといったことはあるんですか。

新井:そうですね、例えばある方は70歳ぐらいの時に「りんごを食べると体にいい」という話を聞いて、それを信じて毎日のようにりんごを食べ続けながら百寿者になりました。

為末:りんごが長寿につながるっていう根拠は……。

新井:ないですね(笑)。それでも信じて食べ続けて、100歳を迎えたということです。

為末:本当に効く生活習慣のようなことと信じこむこと、それに社会とつながっていることなどがうまく組み合わさったところに、長寿になることの秘訣がありそうな気がします。

為末大(ためすえ・だい) 1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある。

為末大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある。

恨みは水に流して、日々を楽しく

為末:100歳を超えた方々が楽しみにしていることと、後悔していることには、どんなことがありそうですか。

新井:きっと後悔していることはあまりないですね。たぶん忘れているから。

為末:ああ、なるほど!

新井:特に嫌なことは忘れる。「恩は石に刻め。恨みは水に流せ」という言葉を大切にしている長寿者の方がいましたよ。

為末:楽しみのほうはどうですか。

新井:もちろん、お孫さんがたまの休日に来るといったことがあれば当然、楽しいでしょう。けれども、毎回のお食事にしたって、楽しみにしている方はいますよね。つまり、日常生活の中でのことを楽しみにしているということだと思います。

為末:日々、感情の機微みたいなものがあって、そうしたことも楽しみにしてということですかね。

新井:そういうことだと思います。

(構成:漆原次郎、撮影:風間仁一郎)

※次回は来週の水曜日に掲載予定です。