「ばばも死ぬから、死んで」78歳の女性は苦悩の末、孫の首に手を掛けた 発達障害、不登校、暴言と暴力、すべての責任を背負い込み
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息が詰まるような内容で、思うところが多いですが、1点のみに絞って書きます。
お孫さんが学校に行きたくなくなった件について、教員など組織をコントロールする側において「誰か一人、ダメな奴を作って全体をコントロールする」ことをする人がいます。その意思を持ってやる人もいれば、無意識的にそうしてしまう人もいるでしょう。ただ、そこに利用された側(ダメと言われた人)は地獄で、何をやっても認められない無力感から努力にも意味を見出せなくなってしまう。このニュースの件がそれに当てはまるかは分かりませんが、学校関係者は生徒を対象にして、意外とこれをやる気がします。
起こった事象と人を切り離して考えることが大切で、「罪を憎んで人を憎まず」のような「ダメなのは行動で、その人の存在自体ではない」と冷静に考えることが大切に思いました。
このニュースのケース、お孫さんも相当に辛かったと思います。身につまされるツラい話。
うちは父子家庭、ふたり暮らしで子どもも不登校の時期あった子でした。概ね、わたし、一人で対応してました。おおらかに過ごしてはいたものの、日々、変化・進捗ないと苦しくはなります。
この祖母さんのように、学校には行くべき、学校にいかないと社会からの落伍者になる、という生真面目さは多くの人が持ちがち。今の世の中、なんとかなるもの、思っておいたほうがよいです。あとは、大人の側が反発されようとも、なんだかんだ言って子どもから信頼されることで、反発から家にいつかなくなることを防げる気がしますけど、たまたまうちがうまくいっただけかもしれません。
記事にある通り、スクールカウンセラーと担任なり学校とのコミュニケーション取れてなかったのは、不幸の一因のようにも感じます。少なくとも、担任とは子どもの特性や状況について共有すべきかと。ここは担任次第なところもありますけど。
あとは、この出来事で本人がどう変化するか、でしょうか。
家以外に居場所とか作ってやるといいんでしょうけど。
そもそも、学校も個の対応できる体制にしないと、不登校は増えるばかりかと思います。今の現代社会の問題を描写したような切実な出来事。突き詰めれば、発達障害のみならずLGBTや在留外国人、宗教2世、難病に悩まれる方など、マイノリティの立場にとってどんな社会であるべきなのか、、、いつでも自分もマイノリティ側に立つのだという想像力と、人間は利他的な行動によってあらゆる種よりも繁栄するのではないかという仮説が大切なような気がしてならない