2023/11/16

【新潮流】「あなたの幸せ」が問われる時代がやってくる

NewsPicks Brand Design / Strategic Editor
 近年、人々の生活の豊かさを表す指標としても注目される「ウェルビーイング」。直訳すると「よい状態」となるが、それは誰にとって「よい」のか。人それぞれ価値観が異なるなかで、企業や社会はどんな「よい」を目指せばいいのか。

 考えれば考えるほどよくわからなくなる抽象的な概念を、ウェルビーイング研究者の石川善樹氏、富士通ソーシャルソリューション事業本部の大塚尚子氏、ふたりのソートリーダーたちが解きほぐす。

ウェルビーイングを構成する要素とは?

──「ウェルビーイング」とよく聞くわりに、つかみどころがありません。たとえば、日本語にするとどうなるでしょうか。
石川 戦後の日本には「well-being=福祉」と訳されて入ってきたみたいですが、今では福祉という意味で使っている人は少ないと思います。
 もともと日本語になかった概念なので、どんな訳語を充ててもうまくフィットしにくいかもしれません。ただ、いまやウェルビーイングは先日の臨時国会(令和5年10月23日)における岸田総理の所信表明でも、締めの言葉として使われるようになっているので、このまま「ウェルビーイング」が使われていくんじゃないでしょうか。
──問題は「どういう意味で使われているのか」ですよね。人それぞれ、定義があいまいなまま使われている気もします。
大塚 強いて日本語にしたら「満足な状態」だと思うんですよね。ただ、何をもって満足かは人によって違います。
 安心・安全さえキープできていない人は、それを確保することでまずは満足できるかもしれない。非常に忙しい生活を送っていて、効率や利便性の向上を求める人は、それをサポートするようなテクノロジーによって満足度が上がるのではないでしょうか。
 私たち富士通も、ソリューションを通して人々のウェルビーイングにどうアプローチしていけるかを日々考えています。今日は石川さんにもヒントをいただきたいなと思っていて。
石川 それは責任重大ですね(笑)。大事な話なので、私の持論を述べるというより、今ウェルビーイングについてどのようなコンセンサスがあるのかをお話ししたいと思います。
 まず近年のウェルビーイングは、「Beyond GDP」という考えから出ています。つまり、「GDP(国内総生産)を補完する大切な指標がある」という考え方です。
 1990年には、パキスタンの経済学者であるマブーブル・ハック氏が、UNDP(国連開発計画)のもとで「人間開発指数(Human Development Index)」を提唱しました。
 彼は発展途上国において、GDPが増加しているにもかかわらず、国民が豊かさを感じられない状況を目の当たりにして不思議に思った。その理由として、経済の発展だけを追求し、人間としての基本的な開発をおろそかにしていたからではないかと考えたんです。
大塚 おもしろい。経済だけでなく「人間(Human)」を発展させないといけないと考えたんですね。その指標は、どんな要素で測られたんですか
石川 人間開発指数は、明確にウェルビーイングを意識して作られた指標で、「健康、教育、収入」という3つの要素から成り立っています。したがってこの時点では、「健康で、教育をしっかり受け、所得が十分にある状態」がウェルビーイングであるとされました。
 それから30年が経過し、今のウェルビーイングは「主観的な側面」も取り入れるようになっています。健康や教育、収入は客観的に測定しやすい指標ですが、それだけではまだ足りない。人それぞれの感じ方も大切にするというのが近年のトレンドなんです。
 ウェルビーイングを議論する際にしばしば混乱が見られるのは、主観的なウェルビーイングの話をしている人もいれば、客観的なウェルビーイングについて話している人もいるからです。
 2013年にOECD(経済協力開発機構)が、社会のウェルビーイングを示す指標として、「Better Life Index(より良い暮らし指標)」を発表しました。それが現在のグローバルスタンダードになっており日本でも内閣府が取り入れていますが、一般には十分に理解されていないのが現状です。

「主観」や「体験」を可視化できるか

大塚 私自身の取り組みをイメージしながら石川さんのお話を聞いていて、とてもクリアに整理されました。
 富士通では、Planet(地球環境問題の解決)、Prosperity(デジタル社会の発展)、People(人々のウェルビーイングの向上)という大きく3つのマテリアリティがあり、私はPeopleの部分をおもに受け持っています。
 社会全体が究極的に目指しているのは、人々が幸せになること。私たちはビジネスやテクノロジーも含め、人間の活動すべてがそのためにあると考えています。
 だから、開発するソリューションも、まさに「主観」の領域を含めて扱おうとしているんです。
 でも、領域を絞ったソリューションならともかく、社会全体の主観的なウェルビーイングを測るのはとても難しいですよね。どのように測ろうとしているんですか。
石川 おっしゃるとおり、「主観を定量化する」と言われてもよくわからないですよね。ただ、アカデミアおよび政策的にはコンセンサスがあります。すなわち、主観を測定する際は、「体験・評価・意味」という3つの側面を見ていくのが基本です。このなかで、世界でいちばん使われているのが「評価」です。
 より具体的に言えば、主観を測定するとは、「あるテーマについてその人の“評価“を尋ねる」ということになります。
 たとえば、今の日本政府は社会の成長を「一人あたり実質GDP」と「ウェルビーイング(生活満足度)」の2指標でモニタリングすることにしています(内閣府「経済財政運営と改革の基本方針2023」より)。ここで注目すべきは、日本政府はウェルビーイングを「生活満足度」と記している点です。
 つまり、ここでもウェルビーイングは主観的な側面を表しており、かつ「国民一人ひとりに、自分の生活を自分の基準に従って評価してもらう」という、自主性を重んじた民主的なやり方が採用されているんです。
──体験や意味を聞くことはできないんですか?
石川 なぜ評価が重視されるかというと、体験は評価指標とするには、不安定な指標だからです。
 それこそ、天気が悪いだけで、その人がある現象をどう体験するかに影響しますが、評価は天気や季節の影響を受けにくく安定しています。
 一方で「意味」は理性の力でどうにでもなってしまうので、万人に尋ねる指標としては偏りが出すぎてしまう。
 ゆえに、主観的ウェルビーイングを測定しようとする際に、今多くの国で採用されているのが、比較的安定した「評価」です。しかし、それは決して、体験や意味が重要ではないということではないので、ご注意ください。
大塚 わかりやすいですね。たとえば富士通には「Healthy Living Platform」というヘルスケアデータを集積管理し、利活用するためのプラットフォームがありますが、「健康」という客観的な指標があるので、やるべきことは明確です。
 創薬をスピードアップして必要な方に少しでも早く届けたり、皆さんの生活習慣やゲノム情報などのデータを使ってよりパーソナライズされた医療・健康サービスを提供したり、ということを目指しています。
 一方で、「Consumer Experience(新しい顧客体験)」や「Trusted Society(誰もが豊かに暮らせる持続可能な社会 )」などの領域はもう少し複雑です。
 とくにビジネスを通じた貢献を考えると、一人ひとりの体験をオンラインとオフラインを融合させながら高度にパーソナライズしていくことで、評価を上げていくこともできるんじゃないかな、と感じました。
石川 それはおっしゃるとおりですね。主観的なウェルビーイングに積極的にコミットするなら、体験が起点になります。体験したことを評価し、意味づけするというプロセスが、ウェルビーイングを決めますから。
 それに、Trusted Societyのような信頼関係を扱うには、「意味」がより重要になるかもしれませんね。
大塚 そうですね。なかにはスマートシティの安全・安心や最適化のような仕組みも含まれますが、さらに主観的な要素も欠かせません。何があれば、人々が満足して暮らせるかが重要で、ITなどのサービスだけでは不十分です。
 富士通は市町村などの自治体や他の企業とも組みながら、5年がかりで地域の再開発を行うようなプロジェクトに取り組んでいます。

データには、未来をシフトさせる力がある

──主観的なウェルビーイングが可視化されると、どんな変化が起こるでしょうか。
石川 データには、人々の興味関心をシフトさせる力があります。
 たとえば、主観的ウェルビーイングの国際調査が行われるようになってから、上位に来る北欧の国や企業のプレゼンスは高まりましたよね。
 最近ではアメリカのIndeedという会社が約2,000万人を対象に調査を実施し、求職者が会社を選ぶ際に、従業員のウェルビーイング度を参照できるようになりました。
 同じような職種で同じような給与でも、主観的な体験や評価にはばらつきがあります。だったら、ウェルビーイングが高い会社を選びますよね。
大塚 従業員が自らの職場をどう評価しているかという情報が、企業価値や採用力に直接影響する。そういった主観的な評価は、経営やマネジメントにも欠かせなくなっています。当社でもチームごとのエンゲージメントを調査して公開していますが、こういった取り組みはますます主流になっていくでしょう。
 その次に気になるのは、消費者や従業員など、人々の主観的なウェルビーイングを「どうすれば高められるのか」だと思います。石川さんはどう思いますか?
石川 何がウェルビーイングに貢献するのか。ひとつだけ挙げるなら、「選択肢のなかから自分が決定した」という感覚です。
 適度な選択肢が示されたうえで、自己決定を促すこと。ITとユーザーエクスペリエンスを掛け合わせてこれをうまく設計できているサービスは、成功していますよね。
 僕はある賞の審査員を務めていた関係でたくさんのサービスを見ましたが、大塚さんが先ほどお話しされた「Healthy Living Platform」はお世辞抜きで素晴らしいと思いました。
大塚 どんなところに注目していただいたんですか。
石川 たとえば電子カルテひとつとってもUIがシンプルで、町のお医者さんが使いやすいようにデザインされていました。普通の薬かジェネリック品か、処方する薬の選択肢が提示され、患者さんに自己決定を促しやすいように設計されている。
 なぜそれができるかというと、富士通がお医者さんたちと築き上げてきた長年の信頼があるからですよね。そう考えると、富士通さんは「選択肢と自己決定」という観点から、すでにいろいろな主観的ウェルビーイングの向上に貢献されていて、ノウハウもお持ちなんじゃないですか。
大塚 ありがとうございます。富士通では野球場などで使われるチケット販売システムを提供していますが、そのユーザー・エクスペリエンスも好評で、リピーターの獲得につながっているんです。
 チケットを購入したあとに席を変えたり、同じ値段で合法的に転売したりもできるし、グッズなどを買うこともできる。初めて球場を訪れるお客様にも感覚的に使えるように、わかりやすく、シンプルに。球場ごと、お客様ごとに最適化して体験を設計することは、ITだけのノウハウではできないんですよね。
 コンシューマーの視点に立つためにも、「選択肢と自己決定」というキーワードは、これからの事業やサービスを考えるヒントになりそうですね。

「川」の人権とウェルビーイング

──これから先、新しい取り組みによって人々のウェルビーイングを高めていくときに、おふたりが注目しているトピックは?
石川 ウェルビーイングという概念は進化していて、いまやその対象は人間だけではないんですよね。
「プラネタリー・ウェルビーイング」を巡る議論もあるし、「将来世代のウェルビーイング」といって、まだ生まれていない子供、孫、ひ孫、その先まで含め、将来世代のウェルビーイングを考える議論も活発になっています。
 実際、さまざまな国で、将来世代のウェルビーイング法案が可決されていますし、ニュージーランドで3番目に長い川には、法的な人格が認められました。
2017年、ニュージーランド政府は、流域に暮らすマオリの部族が「祖先の川」と呼ぶワンガヌイ川に法的人格を認めた。(画像:Duane Wilkins, CC3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45826640)
──川に人格を? ……どうやって?
石川 人間が持つ権利と同等の権利が法的に認められたんです。もしもこの川を汚す企業があれば、川は代理人を通じて相手を訴えることができます。こうした動きは、これからもっと増えるかもしれませんね。
大塚 その観点は大事ですよね。先ほど富士通のマテリアリティとしてPlanet、Prosperity、Peopleを挙げましたが、これらは切り離せるものではなく、それぞれにつながって同じ未来を目指しています。
 このまま大量消費が突き進んだら、プラネタリー・バウンダリー(人類が生存できる地球環境の限界)をキープできないし、先々の時代を生きる人々のウェルビーイングも犠牲にされてしまうでしょう。
 もちろん、企業であるからには利益も追求しなければならないけれど、IT企業として環境やウェルビーイングの向上に貢献し、社会課題を解決することが価値を生む。結果的に、その対価が利益になるのが本来のあり方だと思います。
石川 まさに、Beyond GDP。いまを生きる世代と未来を生きる世代のウェルビーイングをトレードオフにせず、次の時代における価値を定義していくことが、今求められているんですよね。
大塚 ええ。何かを我慢するだけではなく、文化的な楽しさや社会的な繁栄と両立させながら、今日より明日のウェルビーイングを高めていけるように取り組んでいこうと思います。