みなさんの常識は世界の非常識

みなさんの常識は、世界の非常識Vol.7

愛国心は教えられるか、三島由紀夫から考える「道徳教育」の非常識

2015/4/3
「みなさんの常識は、世界の非常識」では社会学者の宮台真司氏がその週に起きたニュースの中から社会学的視点でその背景を分かりやすく解説します。※本連載はTBSラジオ「デイ・キャッチ」とのコラボ企画です。

文部科学省は「特別な教科」として、教科に格上げする小中学校の道徳について、新たな学習指導要領を告示しました。これにより小学校は2018年度、中学校は2019年度から道徳が正式な教科となり、検定教科書と評価が導入されます。

「子供たちに正義や愛国心を教えられる」と歓迎する声もあり、文部科学省も「多角的な考え方を身につけること」と説明しますが、一方で、「道徳の評価とはどうするのか」「結局押しつけでは」など、不安視する意見もまだまだ根強いようです。宮台さん、この動きはずばり、常識ですか?非常識ですか?

三島は右翼だからこそ愛国教育を徹底否定した

無教養な人たちが増えたから、こういうこと、「非常識」なことが起こってしまうんだろうな、と思いますね。教養があれば、こういう教育をほどこすと「あさましい」「さもしい」人たちが増えることが分かるはずです。

三島由紀夫が「愛国教育」に反対していたのは有名です。三島由紀夫はもちろん天皇主義者の右翼です。それにプラスして重要なことをいうと、ギリシャの古典主義に非常に深い造詣と愛着をもっていました。まず、皆さんの無教養をただします。右翼とは何?

巷には右翼と左翼をフランス革命に遡って説明する人だらけだけど、平等が是か非かとか、社会主義が是か非か、とイデオロギーの内容に結びつける理解が大半で、デタラメ。戦前は石原莞爾や北一輝など右翼の多くが資本主義を否定していましたが、説明できますか?

教養ある者であれば、プロテスタント神学者シュライエルマッハによる主意主義(右)と主知主義(左)の区別から、中世スコラ神学の弁神論(なぜ悪はあるのか)を経て、初期ギリシャの哲学(万物学)に遡ります。三島も石原も北も、その意味でだけ右翼です。

右翼(主意主義)とは、損得勘定を超えて、内から湧き上がる力(ラテン語でヴィルトゥス→英語でヴァーチュ)を愛でる立場です。僕の言葉では〈自発性〉ならぬ〈内発性〉を尊ぶ立場が右翼です。これ以外の理解の仕方では、思想史の全体を全く見通せません。

シュライエルマッハの説明がわかりやすい。なぜ悪はあるのか。左(主知主義)は、全知全能である神の計画だと理解する。右(主意主義)は、神は全知全能なのだから、人知を越えて端的にソレ(悪)を意志すると理解する。そう。端的な意志を尊ぶのが右。

そうした意味で右翼である三島由紀夫は、「愛国教育のようなもの、道徳教育のようなものをやると、なにが起こるのか」についてシミュレーションしています。いったい何が起こると思いますか? 三島の答えを聞く前に、まずは自力で考えてみましょう。

答え。増えるのは愛国者ではなく「一番病」「優等生病」(※注)。優等生が「ぼくこそが愛国者です」と愛国者ブリッコをする。損得勘定の〈自発性〉で愛国ブリッコをする「あさましい輩」「さもしい輩」が増える。そんな輩は愛国者の風上にも置けません。

※「一番病」「優等生病」…前者は鶴見俊輔(1922〜、哲学者)、後者は竹内好(1901〜1977、中国文学者)の言葉。

愛を義務化する倒錯に気づかぬストーカー量産国

2500年前、ギリシャの人々は、損得勘定の〈自発性〉を蔑み、内から湧き上がる〈内発性〉を尊びました。これを踏まえてアリストテレスは秩序を「賞罰(損得)によって維持される秩序」と「内から涌く力で維持される秩序」に整理し、後者に軍配をあげました。

彼はギリシャの伝統的思考に理由を与えます。戦争があった場合、損得勘定で秩序に与する者が大半のポリスでは、人々が逃げます。ポリスが生き残って来られたのは、損得勘定を超えて貢献心を発揮するゾーオンポリティコン(政治的動物)が存在したからです。

日米開戦の直後に招集された、敗戦後の日本を統治する方法を研究する米国の特命チームのリーダー、ルース・ベネディクトは、有名な『菊と刀』で、日本兵は狂信的ナショナリスト(愛国者)だと思っていたら、まったく違った、ということを書いています。

捕虜になった日本兵はみんな、シャワーを浴びさせてもらい、食事と寝床を与えられると、翌日から極秘事項であれペラペラと喋り始める。そこには狂信的な愛国者はいなかった。彼女はそこに、日本独特の、「罪の文化」ならぬ「恥の文化」を見出したわけです。

要は、周囲の視線を気にして、愛国ブリッコしていただけ。三島は教養人だから、彼女のこうした分析を熟知しています。そんな三島にとって大切なことは、損得感情の〈自発性〉を越える、内から涌く力である〈内発性〉ゆえに国に貢献する者を、育てることです。

愛国教育であれ兵役であれ、国への貢献(に向けた教育)の義務化を提唱する輩は、「損得勘定ならぬ、内から湧き上がる力」以外は実際には愛国に役立たないというギリシャ以来の知恵を、ないがしろにする無教養な田吾作に過ぎない。それが三島の考えでした。

ちなみに、そんな〈内発性〉を支える中核こそ、天皇への愛と尊崇の感情だと三島は考えたのですね。初期ギリシャには、天皇に相当する存在はいなかったので、ここには、歴史を振り返ることで三島が独自に見出した、日本人の「心の習慣」があることになります。

これに同意するかは別に、愛の対象として天皇を持ち出したので、愛を義務化することの倒錯が明瞭になりました。三島はこうした倒錯を、徹底的に侮蔑、嫌悪しました。こうした倒錯に気づかぬ輩は、そもそも人でさえ愛せるのか。ストーカーか関の山。

「ボクを愛することは、キミの義務だ!」ってか(笑)。もしも三島が生きていたら、こういうアホウどもを量産する装置として、「愛国教育の義務化」を揶揄しただろうと、僕は想像します。なにせ大衆文化など世俗の営みにいつも注目していた三島ですからね。

三島が生きていたら、昨今の「愛国教育の義務化」への動きをどう見たか、思い半ばに過ぎます。彼は道徳教育一般がダメだは言っていません。しかし〈自発性〉と〈内発性〉の区別もできない田吾作が、「先生」と称して愛国教育(?)をするなど、あり得ない。

総理大臣の質だけでなく、日本の教員の質も考えましょう。そうすれば、道徳で成績をつけることを制度化するという施策が、「一番病」「優等生病」のインチキ愛国者を量産する結果を反復してしまうだろうことは、もはや明白すぎるはずです。

三島由紀夫に言わせれば、戦前戦中の自称愛国者の大半が、「一番病」「優等生病」、要するに「浅ましく、さもしい輩」なんです。大勢から承認されたくて「はーい、僕こそが愛国者でーす!」と手を挙げる。そういう恥さらしなクソ野郎を量産してどうするのか。

声だけデカイ「浅ましい少数者」に怯えるな

問題はむしろ、そういうクソ野郎どもをいかに少なくするかっていうことであるはず。その意味でいえば、関連する話題として、小熊英二さんが朝日新聞でネトウヨ対策について、面白い記事を書いていらっしゃることが注目に値します。アウトラインを紹介します。

社会学者の辻大介さんらの調査によると、ネトウヨはネット利用者の1%。といっても百万人近い規模で、特定の場所に集中するから規模が大きく見えたりするし、宗教団体による本のバイアウトと同じで、本の売れ行きに大きな影響を与えたりもできる。

だから大きな存在に見えるけど、それは錯覚で、実際はたった1%。だから出版社もテレビ局も一般人も、その程度の存在だと無視するか、目障りならネットのプロバイダやキャリアに対処をお願いしてネット利用から排除すればいい──というのが小熊さんの話。

まあ、既に知られた話の確認なわけですが、僕はこれに付け加えたいことがあります。それが今回の話題に関係するんですね。以前から申し上げてきたことだけれど、ネトウヨの人たちが、どんな人なのか想像がつきますか? それが全ての出発点になるんですよ。

ネットで書かれたテキストの向こう側に、どんな生活があるか。どんな顔をして、どんな風に生きているのか。これを絶えず想像することが大事です。では最初に練習問題。ネトウヨとは誰ですか? 答え。「ネトウヨって誰のことだ!」と噴き上がる人々のことです。

これが練習問題である理由はお分かりですね。「ネトウヨって誰のことだ!」と噴き上がる動機を持ち得るのがどんな人間か考えてみれば、1秒で分かる。というと「じゃあ、◯△はネトウヨじゃないことになるな」と絡んでくる人々も、同じ理由でネトウヨです。

なぜ、顔を想像することが大事なのか。ネトウヨとは誰かが分かるから⋯じゃない。補助線として、アメリカでのネットユーザーの話をしましょうか。アメリカにも「4ちゃんねる」という、日本の「2ちゃんねる」を模した匿名投稿サイトがあるんですよ。

4ちゃんユーザ全員をアメリカ人だと勘違いする向きが多くて笑えますが、英語を話す人は世界中にいるので世界の英語人口比率から計算すると、米国人全体に占める4ちゃんユーザの割合は、日本人全体に占めるの2ちゃんユーザの割合の8分の1から10分の1です。

僕が数年前に東浩紀君とアメリカに講演旅行に行ったとき、この計算を元に、大学院生など若いアメリカ人たちに「どうしてこんなに数字が違うのか」と尋ねたところ、よく考えれば当たり前のことを彼らは答えました。いったい、なんと答えたと思いますか?

要は「匿名性の陰で威勢のいいことをいうやつは所詮ヘタレだ、とみんなに思われることを弁えるからだ」と。「逆に、日本人が平気でネトウヨ的言説を書き散らせる神経がまったく理解できません、鈍感ぶりを尊敬いたします」と皮肉を言われました。

1%の存在がデカく見える背景に、特定機会への集中や人口絶対数による市場影響力以外に、ユーザの顔を想像しないので書き込みをマトモに受け止めてしまうことがある。実際、名前を出した連中を見ると履歴詐称者のオンパレードだったりする。

こうした勘違いの背景には、「浅ましいか、立派か」という鍵になる対立語彙が、昨今それぞれ死語になっていることがあります。顔を想像するとは、ネットのどんな利用の仕方をしている人間が、どの程度さもしく、浅ましい人間かを、想像することです。

そうすれば、その意見が傾聴に値するかどうかも瞬時に見分けられるようになります。出版社の編集者や番組のプロデューサーは、ネトウヨ言説に怯えちゃダメ。アメリカでは「ラウド・マイノリティ」と言うけど、「声だけデカイ少数者に怯えるな」という話です。

ストーカーとネトウヨに共通する〈感情の劣化〉を何とかしろ

もうひとつ、浅ましくさもしい輩の問題というと、既に話題に出したストーカーが浮かび上がります。政府による初めてのストーカー被害の調査結果(※注)が出てきまして、「ストーカーとなったのは交際相手・元交際相手が39%」ということが分かりました。

※内閣府「男女間における暴力に関する調査」(平成26年度)

僕は性愛フィールドワーカーだったから分かるんですが、ストーカー元年は90年代半ばです。最初は一流大学から始まりました。「僕は東大生でこんなに頭がいいし、顔もいいし、スポーツもできるだけど、僕を受け入れないキミは変だ、恥ずかしがってるの?」と。

それが2〜3年で一気に全域に拡がり、大学で教員をやって学生から話を聞いていれば日常茶飯事という状態になりました。特に、女が別れようと思っても、受け入れようとしない、別れることを許さないで、嫌がらせを繰り返すという男が、当初から目立ちました。

交際を断ってきた女に、しつこくつきまとうような男って、これ以上あり得ないクソ野郎でしょ。こういうクソ野郎か量産される背景と、たとえ人口比1%であれネトウヨが存在して影響力を持つ背景が、実は通底しているということが、僕は言いたいんです。

普通に考えたら、つきまとうようなキモイ男が、女に復縁してもらえるはずがないじゃんね。そのことが分からない時点でキモイの自乗。「浅ましくさもしい男」が嫌われるに決まっていて、自分が「浅ましくさもしい男」だということが、観察できないって、何?

ネトウヨの相似形。「女子高生にきいた、カレシにしたくない男ランキング・ベスト1=ネトウヨ」という調査結果も有名です。ストーカー元年から20年。先ほどの調査では、ストーカー被害体験をした女性は1割超。この惨憺たる事態こそが、まさに反愛国的です。

先ほど申し上げたけど、実際にアメリカでは「くっくっく」という扱いでした。なんで、こんな輩が育つのか。教育という観点でいえば、ネトウヨやストーカーのような〈感情の劣化〉を被った反愛国的な人間を育てないことこそ、道徳教育上いちばん重要でしょう。

愛国教育を義務化するなら、ネトウヨやストーカーのような国辱的存在を育てないための道徳教育をしろ。浅ましい人間を育てる愛国教育じゃなく、立派な人間を育てる道徳教育をしろ。せめて三島由紀夫の愛国心に関する基本テーゼくらいは教養として学んでよ。

(構成:東郷正永)

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