解読吉田調書 (1)

【第14回】解読「吉田調書」

計測こそ、危機管理の要諦

2015/3/15
吉田調書は、未曾有の国家危機の中で、危機対応にあたったひとりの人間が、どのような情報から、何を考え、どのような判断を下し、どう動いたかという危機対応の追体験を可能にしてくれる。この調書は、吉田昌郎の遺言である。私たちは、そのように受け止めて、彼の肉声に耳を澄ませ、そこに潜む真実をつかみだし、そこから引き出した教訓に学ばなくてはならない。本連載では民間事故調のワーキング・グループ有志メンバーが吉田調書を解読するとともに、それを踏まえて、民間事故調報告書で明らかにした事実と分析の検証を行う。

「私はそういうICを使った経験もないし、(中略)私自体は、ICそのもののコントロールの仕方だとか、そういうのはほとんどわかりません。私も1、2号の補修課長だとかはやっていましたので、補修という意味ではあれなんですけれども、運転操作でどれぐらいICを開けると、蒸気が出て凝縮してまた戻るわけですから、それで水位変動をするから、全くわからないです。すみませんけれども」

「交流電源喪失時というか、喪失直後でもいいんですけれども、その頃もICは動いていると思っていたんですか」

「はい」(8月8日)

「今にして思うと、水位計をある程度信用していたのが間違い。(水位計の水位を)信用しすぎていたというところについては、大反省です」(7月22日)

津波による浸水

ICは、原子炉停止後、自動起動したが、津波による浸水が直流・交流の全電源を奪った。原子炉を急激に冷やさないためにオンとオフを繰り返すバルブの開閉を色の違いで示すランプが消えてしまい、ICが動いているのかどうかもわからなくなった。

しかし、吉田はICがずっと動いていると思っていたと聴取で答えている。原子炉内の水位が保たれていると思っていたので、てっきりICが機能していると思っていたというのである。

それでも、12日午前0時のベント決定の頃にはICが機能しているかどうかについて疑問を持ったと答えている。実際、この頃にはICはすでに止まっていた。

「それから何かおかしいというのは、(中略)この21時51分て書いてありますけれども、この線量ですね。何でこんなに線量上がるのと(中略)ICは動いているね、水位は一応プラスあるねということからいって、そこと線量が上がっていることと、何かおかしい(中略)そこら辺りが疑心暗鬼になり始めている。水位だけ見ているとあるんだけれども、これは何か変なことが起こっていると、ICが止まっているのか、要するに冷却源がなくなっている状態かなというふうに思い始めている」(7月22日)

これらの証言が語っていることは、吉田(にとどまらず事故対応に当たった人々の多くが)、ICの役割と設計そのものに対する認識が不十分だったということである。そして、それが動いているかどうかの認識もあいまいのまま、確認を怠ったということである。

吉田とともに円卓を囲んだ一人は、私に語った。

「かろうじて動いているかもしれない、という感じでいました。確実に動いているという認識ではなかった。もっともTAFプラス200ミリという数字が出てきたので、いい状態ではないということは感じていた。200ミリということは20センチですからね」

圧力容器の水位が核燃料のTAF(TopofActiveFuel=有効燃料頂部)の上わずか20センチにまで下がったときの衝撃の記憶について語っているのだ。11日午後9時を過ぎた頃の話である。ICは全交流電源喪失の際の“命綱”ともいうべき存在だった。にもかかわらず、吉田調書を読む限り、吉田にそうした意識は感じられない。

この状況認識の過誤は、水位計を正常通り動いていると「思いこんでいた」ことに加えて、中央操作室(中操)と円卓、そして円卓の班長と吉田との間のコミュニケーションが円滑に行かなかった点にも起因している。

繰り返しになるが、日本の原発安全規制は、長時間の全交流電源喪失という過酷事故を「想定外」にしたし、直流電源喪失を「想定外中の想定外」にしてしまった。だから、そのような事故が起こった際、所長にどのような取り組みと役割を期待するのかも明確にしていない。そこに問題の本質があった。

水位計の水位を信用しすぎた

元東電の原子力技術者だった尾本彰・東京工業大学特任教授は、IC対応の問題点を次のように指摘している。

「(ICの)設計自体をよく理解していない問題がある。IC作動時の大量の蒸気の大気放出自体が知られていない。格納容器内温度が上昇すれば原子炉水位計測が信用できなくなることはBWR(福島第一のような沸騰水型炉)では常識だと思うが、そう考えて対処されていたとは思えないのも驚きだ」

「また『1号機はICが動いているから大丈夫』といった判断ミスにも異論が唱えられていない。機能ごとに分かれている班の情報を統合して冷静に分析し、所長に助言するグループが存在していないことが調書でわかる」(尾本彰「吉田調書を読んで」、2014年11月28日、船橋宛メール)

ただ、そこにはもうひとつ、不都合な情報を拒否したがる人間心理が横たわっていたかもしれない。吉田は聴取で次のように述べている。

「ここは、やはり私の反省点になるんですけれども、思い込みがあったんですけれども、発電班長からここの情報(ICが動いているか否か)は円卓に出てこなかったんですね。だから、当直長から発電班長のところまで情報が行っていたのかどうかもよくわからない。(中略)当直長が私のところに電話をしてくるという仕組みになっていませんから、本当はその時点でICは大丈夫なのかということを何回も私が確認すべきだった」(7月22日)

それとともに、

「水位計の水位を信用しすぎた」ことを吉田は反省しているが、これも不思議である。全電源喪失の際の水位計と水位がトリッキー(扱いにくい)ということは、スリーマイル島事故の教訓の一つとして挙げられたし、原発事故の恐怖を題材にした映画『チャイナ・シンドローム』(1979年、ジェームズ・ブリッジズ監督)も、水位計の示す水位がいかに信用できないかという点が一つのドラマとなっている。現場の運転員の中には「こんな水位はあてにならない」との疑問の声がかなり早い段階から出ていたが、その認識は円卓では共有されなかった。吉田はじめ幹部たちに、水位計算は危ないという反射神経が働かなかったことはどうにも解せない。吉田の「副官」は「何も状況がわからない中、水位の数字だけがナマの数字として上がってきていた。他に何も尺度がない中、その数字はリアルに思えた」

と私に告白している。

たしかに、表示された水位計の数字は間違っていた。だが、それは水位計が故意に間違ったということではない。水位計の故障によって、おかしな数字が出たのである。東電原子力部門の幹部は、次のように言った。

「計器は正直だなと思いました。今回、計器がウソをついたというのはあんまりないです。14日の格納容器の圧力が下がった件も、ゼロを指しているのではなくてオレは降参したよ、つまり故障したよということを示しているのであって、ゼロになっているということを示してはいない。そこまで読み取ってやれば計器は正直に語っている」

飛行機のパイロットは、きりもみで墜落するところからリカバリーする訓練を受ける。そのときは、人間の五感は破壊され、水平感覚も何もなくなっているから、計器だけを信じ、タイミングをはかりながらリカバリーの操作をする。そういう訓練である。吉田の「大反省」は、危機における計測と尺度を維持できなかったことを指しているととらえるべきである。

計測というレファランスなしに、事態の規模と進展具合と性質と方向性をつかみ取ることはできないからである。危機においては、何が何でも計器を守らなければならない。それは計測の礎だからである。危機は、計測してこそ管理できるからである。計測は、危機管理の要諦である。

※登場する人物の肩書きはすべて福島第一原発事故当時のものです(一部敬称略)。

※続きは明日掲載します。