M&Aクラウドの及川です。M&Aをアップデートしていきます。
下記の記事でもお伝えした通り、2023年4月、「オープンイノベーション促進税制 M&A型」が施行されました。
「オープンイノベーション促進税制」は、既成の企業とスタートアップの協業を進めることで、イノベーションの創出を図る施策。従来はスタートアップへのマイノリティ出資を実施した企業を対象に、出資額に応じた減税措置を講じる制度が運用されてきましたが、今回の拡充により、スタートアップをM&Aした企業にも、減税措置の適用範囲が広がりました。
活用するためには、さまざまな要件を満たすことが求められる制度ではありますが、特に大企業がスタートアップのM&Aに取り組む際の追い風となることが期待されています。
そこで今回は、まさにオープンイノベーションによって構造改革を図ろうとしている大企業が発表したM&A事例をご紹介します。2023年5月11日、ベネッセホールディングス(以下、ベネッセ)が、女性に特化した人材紹介・フリーランスマッチング事業を運営するWarisの子会社化を発表しました。
ベネッセがWarisをグループに迎えた背景には何があり、今後は何を狙っていくのか。教育と介護を主戦場としてきたベネッセが異業種であるWarisの事業を育てていくためには、何が課題となるのか。本事例の考察を通じ、大企業がオープンイノベーションに取り組む際のポイントに迫りたいと思います。
■案件概要
買い手:ベネッセホールディングス
対象会社:Waris
発表日:2023/5/11
バリュエーション:非公開

大胆な構造改革を迫られたベネッセの投資戦略

「進研ゼミ」「こどもちゃれんじ」などの通信教育事業などで知られるベネッセは、1955年に創業。教育業界において圧倒的シェアNo.1を誇り、2022年3月期における売上高4,319億円は、2位である学研の1,502億円を大きく引き離しています。
しかし、教育業界は今、少子化による市場の縮小という大きな課題に直面。業界トップの老舗企業であるベネッセも、ポートフォリオの大胆な転換に取り組んでいます。
ベネッセは今年5月に「ベネッセグループ変革事業計画」を出し、2028年までに目指すポートフォリオ構造を発表。2022年度時点では営業利益ベースで2%に留まっている「新領域」を大きく成長させ、2028年度時点では「コア教育」「コア介護」に次ぐ第3の事業の柱へと育てることを掲げています。
ベネッセホールディングス「ベネッセグループ変革事業計画」p58より転載
「新領域」の具体的な内容に関して、「ベネッセグループ変革事業計画」で言及されているのは、①大学・社会人事業、②介護 周辺事業(介護HR、介護食など)、③海外事業(教育・介護関連事業の海外展開)の3領域。①の「大学・社会人事業」は、昨今注目度が高まっている「リスキリング」ニーズに対応するものです。
経済産業省/リクルートワークス研究所が2021年にまとめた資料によると、リスキリングとは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」と定義されています。「今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化」とは、主に社会のDX化が進んでいることを指しているのでしょう。
リスキリング支援には国も積極的に取り組む姿勢を見せており、岸田政権は2022年10月に5年で1兆円を投じることを表明。その後、経済産業省や厚生労働省、自治体等による補助金・助成金、給付金などの制度も充実してきました。
こうした流れを踏まえ、ベネッセはここ数年、リスキリング関連企業への出資に注力してきました。2020年2月には、ITをはじめとしたビジネススキルの学習プラットフォームを展開するUdemy(米)、2021年11月には高度IT人材育成ブートキャンプを提供するCode Chrysalis Japan、そして2023年4月には、AIを活用したスキルの可視化サービスを手がけるSkyHive(米)との資本業務提携を発表しています。
そして今回のWarisのグループインに際しても、ベネッセは「当社とWaris社双方の強みを活かすことで、女性の働き方・キャリアの支援、その実現のためのリスキリング機会の提供に、本格的に取り組んでまいります」と発表しています。

教育→人材領域への進出戦略からうかがえる、巨大企業の影

Warisは2013年、女性に特化した人材企業として創業。フリーランス女性と企業をマッチングする「Warisプロフェッショナル」の他、女性役員の人材紹介、女性のための再就職支援、仕事に直結するリスキリング支援の事業を展開しています。
ベネッセのこれまでのオープンイノベーションの流れを踏まえると、ここで「女性」というキーワードが出てきたことは、一見唐突に感じられるかもしれません。しかし、改めて考えてみれば、教育をコア事業とするベネッセは、「女性」とは相性がよいはずです。
というのは、「進研ゼミ」や「こどもちゃれんじ」のユーザーは子どもですが、サービス利用の判断を行っているのは母親であるケースが多いでしょう。つまり、ベネッセの真の顧客は子育て世代の女性が中心であり、Warisのサービスのユーザーとも重なります。
もう1点、これはあくまで憶測に過ぎませんが、人材交流の面でもWarisとベネッセは親和性が高いのではないかという見方もできそうです。
ベネッセは女性従業員の割合が比較的高く、ベネッセコーポレーションでは2022年時点で女性が52%と男性を上回っています。そして、女性に特化したWarisのサービスでは、ユーザーに寄り添うエージェントも、同性であれば女性特有の事情をより理解しやすい強みを発揮できるでしょう。先に触れたようなポートフォリオ転換を図りたいベネッセとしては、従業員の新たな活躍の場としても、Warisに可能性を感じているのかもしれません。
さらに、教育業界で圧倒的な地位を築いたうえで、HR領域へ触手を伸ばすベネッセの動きを見ていると、私の頭には、逆にHRを主軸として、教育を含むさまざまな業界でサービス展開を進めてきたリクルートの存在が浮かび上がります。
リクルートは、2011年にオンライン予備校サービス「受験サプリ(現 スタディサプリ)」で教育分野に進出。一方のベネッセは、2015年からソフトバンクとの合弁で、学校向けに成績評価や保護者連絡などを支援するSaaS「Classi」を展開しています。人材事業で獲得した強いブランド力を武器に、エドテック領域を攻めるリクルートに対抗すべく、ベネッセとしては逆方向の領域拡大を図っている――そんな図式も見えてきます。

事業開発カルチャーを巻き起こせるか?M&Aを真に成功させるために

ここで気になるのは、リクルートは近年はM&Aも積極的に行っている一方で、そもそも自社内での新規事業開発力にも長けているという点。多くの起業家人材を輩出してきた企業でもあります。そんなリクルートを相手に、ベネッセは今後、オープンイノベーションを活用して戦っていけるのでしょうか?
一般に、M&Aや出資、自社開発を問わず、新しい事業を軌道に載せるには、①正しい領域の選択、②急成長を推進する経営陣、③事業成長に貢献する事業家人材、という3つの要素が重要です。
ベネッセの場合、ポートフォリオ転換の方向性は明確に示しており、①の軸は定まっているといえます。「Benesse Digital Innovation Fund」からは、Tiktokマーケティング事業を展開しており、教育領域からは飛び地であるNateeにも出資するなど、多少「模索中」の部分も感じられるとはいえ、オープンイノベーションに関するIR資料が充実していることは、相手候補となるスタートアップから見てもアプローチしやすく、よい相手に恵まれる環境は整っている方でしょう。
次に、②の経営陣については、2014年から2016年にかけて社長が3回交代するなど、入れ替わりが多い傾向があるようです。M&Aでグループに迎えた企業のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション、M&A後の統合プロセス)には長期的な視点で取り組む必要があるケースが多いことを考えると、これはマイナスポイントといえそうです。
最後に、③の事業家人材に関しては、リクルートに見られるような起業家人材が伸び伸び活躍できるカルチャーを今後どのように培っていくかが鍵になるでしょう。ベネッセ社員の平均年齢は40歳前後、平均勤続年数は10年超。教育業界において長年向かうところ敵なしのポジションに君臨してきたということは、革新的な新規事業にチャレンジする社員が育ちにくい環境もありそうです。
このような状況を踏まえると、今後ベネッセにとっては、起業家人材の獲得を目的とした「アクハイヤー」(人材獲得狙いのM&A)も、選択肢の1つになり得るでしょう。これを実際に行ったのが、一時期、海外SNSに押されて業績が苦戦していたMIXIです。2011年にM&Aによってグループに加わった朝倉氏が、2013年6月にMIXI本体の代表に就任。同年10月にリリースしたスマホゲーム「モンスターストライク」のヒットで業績回復を果たしています。
ただ、MIXIの場合は、創業者の笠原氏が株式の4割程度を所有しているのに対し、ベネッセには1/4以上の株式を持つ大株主が存在しないようです。強いオーナーシップのもとで全社が動くといった土壌がないことを考えると、構造改革実現の条件はより厳しいかもしれません。
もう1つ、考えられる方向性としては、業界における圧倒的なシェアを武器に、競合になりそうなテック企業を買収し共創関係を築いていくこと。かつて広告業界で、電通がセプテーニや旧Voyage Group(現CARTA Holdings)、博報堂がDACやアイレップと、Web広告会社のM&A合戦を繰り広げたのに近い構造です。ベネッセのブランド力は、M&A候補となるテック企業にとっても魅力となるはずです。
構造改革を迫られた大企業にとって、スタートアップとのオープンイノベーションは、大きな転換点になり得ます。今回取り上げたWarisとのM&Aは、ベネッセのポートフォリオ転換方針にまさに合致するものでした。
一方、M&Aで迎えた新しい事業を安定させ、企業として成長を続けるためには、経営陣の安定や事業変革意欲のある人材が必要です。市場のシュリンクに直面した日本の大企業の代表選手ともいえるベネッセが、この壁をどう乗り越えていくのか。ベネッセの今後の動向に注目したいと思います。
ココがポイント!

①少子化による教育市場の縮小を受け、ベネッセはポートフォリオを大きく転換する方針を打ち出している。「コア教育」「コア介護」に次ぐ「新領域」の1つとして、「リスキリング」関連事業を挙げており、ここ数年、同領域への出資を積極的に進めてきた。今回のWarisのM&Aもこの一環。

②ベネッセのコア事業である子ども向け教育サービスは、意思決定者は母親であるケースが多く、女性向け人材事業を展開するWarisとは相性がよい。

③教育→人材事業への進出は、リクルートの逆方向ともいえる動きであり、リクルートをベンチマークしていることも考えられる。

④オープンイノベーション目的のM&Aを成功させるには、起業家精神を持つ人材と、それを支える安定した経営体制が必要。起業家人材ごとM&Aする「アクハイヤー」を実施するのも一手だが、M&Aで加わった人材が強力なリーダーシップを発揮するには、大株主のサポートがあることが望ましい。