2023/5/31

1本の糸が30分でセーターに…ユニクロも惚れた東洋のマジック

フリーランス記者
上から繰り出された糸がその機械に吸い込まれると、30分後にはニットのセーターがストンと落ちてきます。まるで鶏が卵を産むように。ワンピースもパンツも帽子も靴下も、人が身に着ける衣服が3Dプリンターのように生み出されていきます。縫い目はなく、裁断もしません。機械の名前は「ホールガーメント」。61年前に和歌山市で創業したニット編み機メーカー「島精機製作所」が開発しました。この魔法のような機械がいま、サステナブルが課題のアパレル業界に変革を起こそうとしています。(全3回)
INDEX
  • セカンドスキン…「2番目の皮ふ」とは!?
  • 「東洋のマジック!」イタリアデビュー
  • 宇宙飛行士の「普段着」に最適な理由
  • NASAの画像処理技術でデザインシステム実現
  • 「紀州のエジソン」はガンコ親父
島三博(しま・みつひろ) 1962年に設立された島精機製作所の2代目社長。創業者・島正博会長の長男。日本大学理工学部卒業後、ソフトウェア会社勤務を経て、87年に入社。2002年、取締役となり、12年に副社長、17年に社長に就任。主にホールガーメントのデザインシステム開発に携わる。和歌山商工会議所副会頭。

セカンドスキン…「2番目の皮ふ」とは!?

「ホールガーメント(WHOLEGARMENT)とは、どんな意味ですか?」と島三博社長に聞くと、こんな答えが返ってきました。
「パーツを組み合わせるのではなく、完全なひとつの姿として機械から出てくるという意味がホール。『完全なる衣服』です」
日本語では「完全無縫製型コンピューター横編み機」と呼ばれるこの機械は、全自動で1本の編み糸から1着のニット服を丸ごと編み上げるという驚きの技術を実現しています。島社長は、ホールガーメント製の衣服を地図にたとえて説明してくれました。
「この機械が作り出すのは、完全なる球体の地球儀です。一方で、縫い合わせて作る一般的な服はメルカトル図法の地図。地球を平面で表したものですが、平面の反物から完全な球体を作ることはできません。人体に完全に沿った服は、縫っている限りできません」
洋服は前身頃、後ろ身頃、左右の袖といったパーツを縫い合わせて作られますが、ホールガーメントは違います。原料の糸を投入すれば、完全な立体物として衣服を作り上げます。切ったり縫ったりする手間が省かれ、省人化によるコスト削減は計り知れません。
「いわゆるセカンドスキンです」――島社長は耳慣れない言葉を口にしました。ホールガーメントが作り出す服のイメージは、裸体を覆う「2番目の皮ふ」という意味だそうです。

「東洋のマジック!」イタリアデビュー

「魔法の機械」を生産する島精機の本社工場は、和歌山市の中心部に位置する和歌山城から南東へ3.5キロのところにあります。敷地面積は20万平方メートルと甲子園球場の5倍の広さ。1990年に株式を上場し、創業以来、和歌山での一極生産を守り続けています。
本社2階のマシンルームで、ホールガーメントの機械を見せてもらいました。遠くから見ると、ピアノかオルガンのような形状です。
最新機「SWG-XR」だと横幅が約3メートル、重さが1.4トンもあります。約3600本の針(スライドニードル)を並べたニードルベッドという部品が4体内蔵してあり、そこにさまざまな糸が供給され、ピアノが鍵盤をたたくようなイメージで針が糸を操ります。素人には内部の細かな動きを想像することすら難しいものです。
島社長は「何千人もの小人が編み針を1本ずつ持って、この中で一生懸命、編んでいる姿を想像してください」と話しました。
同社が商標登録した「ホールガーメント」は1995年、イタリアのミラノで開かれた国際繊維機械見本市でデビューしました。現地のデモンストレーションでは、衣服のデータが入ったメモリーを差し込むと約30分でセーターが出てきました。「東洋のマジック」と、驚きの声が上がったそうです。
1995年にイタリア・ミラノで開かれた国際繊維機械見本市(提供:島精機製作所)
以来、幾度となく改良を加えて更新され、1998年度から2022年度までに1万3199台が出荷されました。このうち海外輸出が77%。出荷先のベスト5はイタリア、香港、ベトナム、韓国、スペインの順になっています。
同社のウェブサイトを見ると、25社のブランドがホールガーメントのユーザーだと紹介されています。
「ウェブに載せているのは、ユニクロさんとか先方の了解を得て一緒にプロジェクトをやっているところに限られています。結構いろいろなところで使っていただいているんですけど、われわれが把握しているのはごく一部なんです」(島社長)
公開されてはいませんが、ユーザーにはラグジュアリーブランドを含め、誰もが知る有名ブランドが数多く名を連ねています。

宇宙飛行士の「普段着」に最適な理由

ホールガーメント製の服の活躍の場は、地球上にとどまりません。2008年と2010年、国際宇宙ステーションやスペースシャトルのプロジェクトに参加し、宇宙に飛び立ちました。搭乗した日本人宇宙飛行士の船内普段着に採用されたのです。
同社のショールームには、実際に使われたものと同じ船内普段着が展示されています。ホールガーメント製が、宇宙船内の普段着に適している理由について、島社長は次のように教えてくれました。
「宇宙飛行士は筋力を維持するために毎日のトレーニングが欠かせません。重力のない状態では、体の下にたまった体液が拡散されて上半身が大きくなります。そんな状態でも、ぴったり体に合う伸縮性に富んだ服が求められました。さらに運動を続けると縫っているところがほころびやすい。ホールガーメントの服は縫っていないから、そもそもほころびが出ない。また、縫い代がないぶん、重量が軽くなるんです」
宇宙船に搭載するものは軽量化が最重要課題。その点でホールガーメント製は最適だったといえるようです。実際、プルオーバーのニットシャツを例にあげると、縫い代部分を合わせた面積はA4判の半分ぐらいになり、余分に使う糸は10グラムにもなるといいます。

NASAの画像処理技術でデザインシステム実現

島精機の驚くべき創造性は、ホールガーメントの機械だけではありません。CG(コンピューターグラフィックス)を使ったファッションデザインシステムも他社の追随を許しません。このシステムで、ホールガーメントが作る服をデザインすることができます。
ホールガーメントがハードなら、デザインシステムはソフト。この硬軟両面の独自技術が、同社を横編み機の世界シェアトップ企業に押し上げたといえます。そこは、島社長の父で、創業者の島正博さん(現会長)の先見性抜きには語れません。
(提供:島精機製作所)
アパレル業界では、商品化する前の「サンプル」づくりが重要です。たとえば、アパレルブランドの下請け工場は、デザイナーが描いた絵に応じて、生地を選び、色柄をつけて試作品を示さなければなりません。
「丈を1センチ短く」「色はバイオレット系がいい」などと注文がつくと、工場側は何度も作り直しを迫られます。5回、6回のやり直しもあり、時間も4カ月、5カ月と過ぎていきます。製造コストの2割がサンプル代ともいわれ、採用に至らずに経営に苦しんだ工場もあるそうです。
そうした問題点に1980年ごろから気づいていたのが、正博さんでした。サンプルの“可視化”の手法を探っていたのです。
米航空宇宙局(NASA)が、宇宙ロケット「ボイジャー」を打ち上げたのは1977年のこと。太陽系の惑星探査を主目的としたボイジャー計画では、土星のCGを作成するため画像や映像を処理するグラフィックボードという基盤が使われました。
正博さんは1979年、NASAで不要になったグラフィックボードが払い下げで入札にかけられるとの情報をつかみ、手に入れました。1枚1500万円もする基盤の取得に、当時の社内から「いったい何を考えているんだ」とあきれた声が聞かれたといいます。
1981年に開発したシマトロニックデザインシステム「SDS-1000」(提供:島精機製作所)
正博さんは、このグラフィックボードを使って1981年、シマトロニックデザインシステムを開発しました。サンプルを作らずともデザインを確認できるシステムをつくること、ひいてはデザインコストを下げることで少量多品種生産を可能にすることまでを見据えていたのです。
これには島社長も、「一見、クレージーと思える父の先見性はすごかった。特に、デザインシステムをやり切ったときは」と舌を巻きます。
サンプルの可視化を目指す島精機のデザインシステムの開発は、このときに始まり、挑戦が続きました。そしてさまざまな製品を出しながら改良を重ね、2007年、3次元に画像処理できる高精度のデザインシステム「SDS-ONE APEX」が完成しました。
最新の「APEX4」は、世界中の糸を検索できる「yarnbank」を導入、糸の素材や色選び、柄選びが瞬時にできて、画面上に現物そっくりの3Dの試作品を描き出すことができるようになりました。そのデザインデータをメールで世界中へ送れば、ホールガーメントは短時間で製品を編み始めるのです。
可視化されたバーチャル画像によって、サンプルづくりに費やされる材料や時間、労力といったコスト削減に道を開きました。
最新の「APEX4」(提供:島精機製作所)
そして、こうしたデジタル技術はいま、XR (クロスリアリティー) 技術やメタバース技術と連動して、バーチャル空間でのサンプル作成や、消費者向けのバーチャルショールーム、ファッションショーといった新たな可能性に向けた取り組みにつながっています。

「紀州のエジソン」はガンコ親父

さて、ホールガーメントの生みの親である島精機の創業者、島正博さんの話に移っていこうと思います。「紀州のエジソン」と呼ばれた「発明家」である父・正博さんは、長男・三博さんにとって、どんな存在だったのでしょうか。単刀直入に聞きました。
「子どもから見たら、めちゃくちゃガンコ親父で独裁者。優しそうな顔で写真に写っていますが、家族に対しては非常に厳しかった。一方で、ビジネスマンとしたら、よくもこんなにチャレンジングなことができたなと本当に感心します」
2017年に社長を三博さんに引き継ぎ、正博さんは現在、会長として一歩、身を引いています。
創業者と2代目。多くの企業にとって、カリスマの初代がいると後継者を誰にするかは、深刻な課題となります。半世紀以上、社長を務めた正博さんから後を継いだ三博さんは、若いころの“親子の確執”について、「それは壮絶でした。勘当されたこともあります」と言います。
それは、1985年3月の出来事でした。
Vol.2に続く