PTA不要論が「教職員」にも広がる納得の理由、先生が“退会”希望する学校も - 大塚さん、PTAが嫌すぎるんですが
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娘が小学校に上がる前の2月末に、行く予定の学校のPTA執行部の人から執行部にリクルーティングされ、第1子1年生の時にPTA執行部に入りました。現在は執行部2年目です。
小学校に上がる前までは、PTAなんて不要じゃない?と思っていました。会員名簿を見ると、先生も半数近くが加入しており、このときはじめて、先生方もPTAの会員だということを知りました。
執行部に入って、運動会、学芸会、卒業式、入学式をはじめ、さまざまな活動にPTAがサポートに入っていることを身をもって体験し、改めて、うちの学校にはPTAは必要な組織などのだと思いました。
運動会も学芸会も学校の先生方だけでは回しきれない。そこに親がテント設営だの保護者観覧のための受付だの来賓対応だのをしているのです。親がサポートで入ることで、先生方は設営のために早朝来なくてもいいし、片づけで居残りをしなくてもいいのです。受付・来賓対応等に先生方のリソースがとられないことで、先生方は子どもたちのサポートに集中できます。
PTAがなくなることで、そのような活動がすべて先生方に行くとなると、回り切らなくなるか、子どもたちがやる活動の規模を縮小しなければならなくなるでしょう。
もちろん、1年間PTAの執行部にいて、「これって本当に必要な業務だろうか?」「これってもっと効率よくできないか?」と感じることは多く、幸い、会長・副会長と改革推進派のため、他校事例をベースに、仕事でやるくらいの勢いで業務効率化を進め、それを続けるために2年目も執行部に残りました。
子どもたちのためになるものか?
という目線で全業務を洗い出し、やるべきことのみを残すことで、本当に学校に必要なPTAの組織になるのではないかと思います。PTAもそうですが、自治組合なども見直す必要があるかと思います。今までは仕事などと並行したり奉仕するのが当たり前だったかもしれませんが、共働きが増え家族構成が違うため、PTAや町内会などの住民自治組織なども任意参加、ボランティアもしくは、仕事として給与を与えて雇用しないと難しい時代になってきていると思います。地方では子供会として地域の父母会が運営する催しや清掃活動などありましたが、そうした動きも少子化と共に風化してしまったことは記憶に新しいかと思います。
慣習として残っているそうしたローカルな団体、組織はもう難しいでしょう。少々厄介なことは(厄介という表現が事実失礼に当たる方々もいるかもしれませんが、あくまで個人的な考えとして発言します)、このPTAをやりたい人がいる、という事実です。
そのように思う背景には、まず、PTAの活動の中には、ベルマーク集め、缶のプルタブ集め等、令和とは思えない超絶非効率的な取り組みが多くあることです。
それでも、そのPTAに「帰属意識」や「自身の存在意義」を見出す方々が、事実存在し、事実出会ったことがあります。その方々の生きがいとも言えます。
そのような活動に生きがいややりがいを見出すこと自体は、否定できません。個人の価値観です。ただ、旧態依然とした、かつ、困っている方々多い事実からも目を離すことはできません。
やはり、中庸は、やりたい方々でやる、その方々への感謝は忘れない、足りないリソースは民間をうまく活用する、行政はその仕組みを考え、税金をうまく使う、みんながハッピーになる、という絵を「自治体」として考えることではないかと思います。いち校長が検討・判断するには、構造的課題が多すぎます。