2023/1/25

過労で倒れて知った、「自分が不在でも成果が出る」組織の大切さ

フリーライター
安価な酒主体の経営から伝統的な酒づくりへと事業を大きく方向転換させ、経営を回復させた8代目「新政酒造」蔵元、佐藤祐輔さん。現在は、広く全国に日本酒の魅力を発信するなど、その活動範囲は広がっています。(後編)
INDEX
  • 現場に裁量を与える方法に転換
  • コロナ禍の変化で酒文化が危機に
  • 酒づくりも個性を追求する時代
  • 自分の蔵だけ良くなっても意味がない

現場に裁量を与える方法に転換

佐藤さんが新政の酒づくりだけにとどまらない視点をもつようになったのは、ある出来事がきっかけでした。酒づくりを始めて4年ほどたったころ、当時はやっとの思いで赤字を解消したばかり。まだまだ余計なコストを削減しなくてはならない状況から、佐藤さんは何日も蔵に泊まり込んで、作業に没頭していました。
「そんなやり方をしていたある日、過労で倒れました。体も動かず精神的にも参ってしまったとき、強い危機感を覚えました。そこから、『自分が関与しなくても、成果を出す組織にしなくては』と、考えが大きく変わったのです。自分がすべてをコントロールするやり方から、現場に裁量を与えて思い切って任せるように変えたら、予想を超えた形で結果が出ることもありました
蔵内にある明醸蔵(みょうじょうぐら)の入り口。扉に描かれているのは、6号酵母をモチーフにした印章「六道印(りくどういん)」。酒づくりの長い歴史や永遠性を表現するため一本線を編み込んだ形状になっている。
「今では、酒にまつわる新しい取り組みをする際には、年齢やキャリアにかかわらず、可能性ある社員に全権を与えて、チャレンジしてもらうようにしています。裁量を与えることのメリットは、僕自身の負担が減るだけではなく、余白ができること。その分、他のことに頭を使えるようになって、手掛けられる分野や活動が一気に広がったのです
現在新政では、すべての酒を木製の桶で仕込む「全量木桶仕込み化」の実現に近づいています。さらには、独力で木桶をつくるための工房の建設にも着手しました。その木桶は自分たちで使うだけでなく、広く発酵産業全体に供給することも予定しています。
メンテナンスだけでもかなりの労力を要する木桶仕込み。秋田杉を使った木桶の製造を自社で行う予定。新政酒造木桶責任者・相馬佳暁氏(左)と。
「一度体を壊して倒れ、会社が健全に動くように体制を変えたら、会社のビジョンや日本酒業界全体のために何ができるかを考えるようになりました」

コロナ禍の変化で酒文化が危機に

佐藤さんは、新政の酒づくりにとどまらず、日本酒・本格焼酎の魅力を発信する活動にも熱心に取り組みます。50の蔵元からなる団体、一般社団法人J.S.P(ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォーム)を立ち上げ、毎週木曜日の20時から、YouTube「UTAGEチャンネル」でライブを配信。「蔵元が語る酒づくりへの思い、地域の魅力を聞きながら呑む一杯がおいしい」と、日本酒・本格焼酎のファンの間でも話題になっています。ここで紹介した酒は、放送終了後の21時からECサイト「UTAGE」で販売。即完売が続くという現象も起こっています。
代表理事としてこの活動に取り組むきっかけは、酒業界に大打撃を与えたコロナ禍でした。
「コロナ禍になり、酒業界の生産側へのダメージは想像以上に大きかったです。しかも、それはウイルスの終息と共に終わるものではないと思います。今後、生活様式が変われば、酒を呑む文化自体がネガティブな影響にさらされるだろうという大きな不安もあります。
この事態を前にして、蔵元としてできる事があるはずだと模索しました。そして、本格焼酎も含んだ“国酒”というくくりで活動を始めたのがJ.S.Pです。蔵元が積極的に、自らの考えや取り組みをインターネットを通して訴えかける。こうして直接ユーザーに伝えることは、お客さんとの距離を縮めるはずだと確信しました」
佐藤さん自身も、活動を通してさまざまな気づきがあったと言います。
「UTAGEサイトで酒の販売をする直前まで、リアルタイムのYouTube番組を放映しています。人気がある蔵、これからの若手蔵に関係なく、しっかり作り込んだ番組は、その後の販売も好調な傾向が見られますね。そういう地道なサービスで、良質なお客さんをちょっとずつ増やしていくのが大事だなと改めて思いました。『良い製品ができたので自分の仕事は終わり』と思っていたら、これからはダメなのでしょう
蔵元自ら商品の魅力を紹介するライブ配信。視聴者からは「後ろの秋田杉の木桶がかっこいい!」「素晴らしい光景をありがとう」などのコメントが続々。
どんなお客さんに届けたいか、またお客さんがどんなふうに酒を飲み、飲んだあとはどんな感情を抱いたかまで想像すること。自社でデザイナーを抱え、ラベルやボトルのデザインも含めたトータルのものづくりを行っているのもそのためです。

酒づくりも個性を追求する時代

現在、千何百社もの蔵がある中で、それぞれが生き残るために必要なのは、「蔵の個性や固有の風土の表現」だと佐藤さんは考えます。
「これまでの酒づくりのあり方は、画一的な製造方法に流れていっていたと思うんです。いわゆる良い酒という暗黙のモデルがあり、みんなそれを目指して競争する。その場合、不利にならないように、誰もが評価の高い原料米や酵母を使う。もうその流れは卒業して、その蔵ならではの個性を追求するべきではないでしょうか。
どこでも似たような酒をつくっても、お客さんだってきっと飽きてしまうし、世の嗜好が変化したときなどに、すべて見捨てられてしまいます。現在のお客さんは、さまざまなアルコール飲料を嗜んでいるので、幅広い嗜好性をもっています。つまり現代の日本酒には、もっと多様なあり方が許されているのだと思います
変化してゆく世相に合わせて、酒蔵も流通業者も新しい自らの役割を見いだす必要性を感じている佐藤さん。酒を運ぶことなら運送業者に依頼することで解決できるし、情報もインターネットで誰もが発信できる今。酒蔵も流通業者も、それぞれの新しい役割を見出していかなければなりません。
「見識ある酒販店が、価値ある取り組みをしている酒蔵を正当に評価し、市場に認めさせてゆくという流れは、今後も必要」だと、佐藤さんは強調します。
「最近は酒蔵が自社ECサイトで直接商品を売るようになってきました。しかし、安易に始めてもうまくいく例は少ないようです。私が代表理事を務めているJ.S.Pの『UTAGE』はおかげさまで好調ですが、酒の販売を目的としたサイトではないのでうまくいっているのだと思います。各蔵とも年に1回程度の登場で、毎週100〜200本の販売です。J.S.Pにとって重要なのは、その酒にまつわるYouTube番組を見ていただくことです。そして、その情報をWeb上に蓄積していくことなのです。
蔵も酒販店も、お互いが得意なやり方で酒文化に貢献していくことが必要なのだろうと思っています」
左:秋田の酒米の個性を味わえる火入れシリーズ「Colors」は全5種。写真はコスモス。
中央:新政の代表銘柄とも言える「No.6(ナンバーシックス)」。
右:革新的で大胆な手法を用いて醸される「PRIVATE LAB」ラインの中の「陽乃鳥(ひのとり)」。
「PRIVATE LAB」ラインのデザインは風水の象徴で4つの方位を司る神がモチーフ。ラインナップ中で日本酒離れした酸味が楽しめる「亜麻猫(あまねこ)」(上)と、低アルコール発泡性清酒の「天蛙(あまがえる)」(下)。専用グラスとともに。

自分の蔵だけ良くなっても意味がない

佐藤さんは、秋田県の蔵元5名からなるユニット「NEXT5」の立ち上げメンバーでもあります。合同イベントを開催したり、長年にわたり共同醸造にも取り組んできました。
「地域特産品というのは何社もあってこそ盛り上がります。1社だけでは地域ブランドはつくれませんし、そこでお客さまが“選ぶ自由”がなければすぐに飽きられてしまいます」
新政を継いだ時から変わらない佐藤さんの思い。それは、自分の蔵だけが良くなれば、ではなく、日本酒全体の魅力を広めたいということ。
「日本酒業界のためにも、これ以上蔵の数は減ってほしくありません。また新規参入にしても、スタートアップのメーカーが出てくることで業界全体が良くなるなら、それは老舗にとっても刺激になると僕は思います」
「ジャーナリスト時代、日本酒全体が好きになって、日本酒文化をもっと広めたいと思っていましたが、今でもその思いは何も変わっていません。1社だけ利益が上がっていい思いをしたところで、業界全体が衰退していたら何の意味もありません。今後も自分なりのやり方で日本酒の魅力を広めたいと思います」
J.S.Pがはじめて実施するオフラインイベント「秋のUTAGE2022」は、10月29日、30日開催予定。(詳細はこちら
ジャーナリスト時代、記事の社会的な影響を考えて発信するのが当たり前だったという佐藤さん。発信するものが日本酒に変わってもその姿勢は同じです。
J.S.Pは初のオフラインイベントも開催。さて、今後はどんな角度からどんなやり方で日本酒の魅力を語ってくれるのか、さらに期待が膨らみます。
(完)