2022/12/21

【兵庫】衰退しつつあったハンガーが新しい市場で躍進

株式会社ソトエ代表、フリー編集者・ライター
「洋服だけでなく幸福もかけてほしい」という思いから、「中田工芸株式会社」の3代目社長が立ち上げたのは、“ふく(服・福)をかける”というコンセプトの自社ブランド「NAKATA HANGER」。そのコンセプトが大当たりし、結婚式の引き出物や卒業式のお祝い品として選ばれるブランドに成長しました。

しかし当時は、安価なハンガーしか流通していない時代。そんな中でも発売から約15年で「NAKATA HANGER」は高級路線ハンガーとして、唯一無二の存在感を示すことに成功しました。なぜそのような独自戦略に踏み出せたのでしょうか。3代目社長の手腕に迫ります。(全2話の前編)
INDEX
  • 質の良さが認められネット販売躍進に
  • ダイレクトマーケティングを開始し、個人消費を狙う
  • 福を呼ぶコンセプトで結婚情報誌に広告出稿
  • 一生モノの記念品としての提案

質の良さが認められネット販売躍進に

「ないと困るけれど、特別な思いを持って購入しない。その代表格がハンガーではないでしょうか」。こう語るのは、日本唯一の木製ハンガーを製造販売する中田工芸3代目社長の中田修平さんです。
「質の良いモノづくりをしている企業として中田工芸を紹介したい」。このように、中田社長がネット販売大手のアマゾンジャパンから連絡を受けたのは、2020年の夏。コロナ禍で大口取引先である百貨店やホテル業界の注文が減り続けている最中でした。
職人技が生きるメイドインジャパンのハンガーの良さがネットショップでも伝わり人気が出た(写真提供:中田工芸)
アマゾンの企業理念である「顧客第一主義」。それを体現しているモノづくり企業を同社のプラットフォームで取り扱い、企業の姿勢をCMで紹介したいという依頼でした。
その動画は半年間ほど全国ネットで配信され、「NAKATA HANGER」の売り上げは堅調に推移。創業以来、初めて個人消費者向けの売り上げが、法人向けの売り上げを上回る機会になりました。

ダイレクトマーケティングを開始し、個人消費を狙う

中田工芸は1946年に創業(当時は有限会社中田要商店)。もともと百貨店やアパレルブランド、ホテルなど向けに、備品としてのハンガーを生産していました。
立ち上げ当時の様子(写真提供:中田工芸)
それから半世紀以上が経過し、2007年、現3代目社長の中田氏が28歳のときに考案したのが「NAKATA HANGER」。自社ブランドを立ち上げ、個人向けの販路を拡大することが狙いでした。
「私は日本の大学を卒業後、アメリカの大学へ進学し、そのままニューヨークの人材会社に就職しました。その後、親の会社を継ぐべく日本に戻ることを決意したのです。その際、自社ブランドの立ち上げが急務だと思いました。なぜなら、当時の弊社の経営課題は、業界の景気に左右されてしまうことでしたから。経営の安定のために、受注生産だけではなく、もう一つ売り上げの軸が欲しかったのです」
中田社長が入社する7年前の2000年、中田工芸は「ハンガー情報総合サイトHanger-Network」を立ち上げ、ネット販売に乗り出していました。ただ「ないと困るけど、あることを意識しない商品」の代名詞とも言えるハンガーを、わざわざネットで探して買うほどではないというのが当時の状況。ハンガーの有名ブランドも存在していませんでした。
中田工芸 代表取締役 中田修平氏
1978年生まれ。千葉大学を卒業後、米国アリゾナ州立大学に留学。ニューヨークで現地企業に就職後、2007年に家業に就き、青山に開店した「NAKATA HANGER」の立ち上げに参画する。1946年創業の3代目。(写真提供:中田工芸)
長く経験を積んだ職人たちがこだわりのハンガーを作り続ける(写真提供:中田工芸)
中田社長は「NAKATA HANGER」の発売と同時に、東京のど真ん中、港区の青山一丁目駅のビルにショールームを新設。ショールームには人の目に留まるように、色とりどりのハンガーを壁一面に並べました。社員たちが手作業で壁にドリルで穴を開けてフックをつけ、「NAKATA HANGER」の認知向上のために自分たちでウェブサイトも立ち上げました。
「外部に頼んだ方がきれいに仕上がるなど、いい部分もあります。でも、新規事業だったこともあり、あまり予算がかけられなかったこともありますが、まずは自分たちでやってみることを大事にしました。それが、今でも『どうやったら自分たちの製品がよく伝わるか』と考え続ける原点になっています」
東京都港区にあるショールーム。カラフルなハンガーが目立つようなディスプレイにした(写真提供:中田工芸)

福を呼ぶコンセプトで結婚情報誌に広告出稿

強いブランドを作るためには強いコンセプトが必要。
そう思い「ハンガーは、何のために必要なのか?」という根本を問い直すことも重視したという中田社長。
「お気に入りの洋服は、お気に入りのハンガーにかけたいのではないでしょうか。であれば、服をかけることで感動を届けることができるはず。そんなことを思ったときに、先代の中田敏雄が考案したキャッチコピー『ハンガーはふくかけ』という言葉を思い出しました」
このコピーには、「洋服」という意味と「幸福」という2つの「ふく」がかけ合わさっていました。根本を問い直し、「物事の本質を突き詰める」姿勢は、アメリカ留学時代に培ったものだと中田社長は振り返ります。
「NAKATA HANGER」を購入すると付いてくる、メッセージカード。名入れも可能
「海外でいろんな人に接する中で、日本の価値観が通じない現実に幾度となく直面しました。自分が『当たり前』と思っていることが正しいとは限らない。だからこそ、当たり前を疑う。『主体が洋服』が当たり前の発想なのであれば、ハンガーを主体にして、その価値観を捉え直して、視点を変えてみる。ギフト向けにもぴったりのコンセプト『ふくをかけるハンガー』は、そういった経緯で決まりました」
「NAKATA HANGER」を結婚式の引き出物に選んでもらえないか。そんな斬新な発想も「根本を問い直すこと」から生まれました。
ブライダル市場で勝負しようと、結婚情報誌『ゼクシィ』への広告出稿を決行。当時はゼクシィ編集部の中でも「引き出物にハンガー!?」と懐疑的な声もあったそうです。
しかし、ギフトとしての意外性の一方で、家にないと困るほど実用性が高いものであること。さらにコンセプトが「ふくをかけるハンガー」なので、お祝いの場にもふさわしい。こうしたストーリーがハマり、ゼクシィの広告を見た顧客の反応は最初から上々だったそうです。
今では、ハンガーは漢字の8の字(=「八」)にも見えるため、「末広がりで縁起が良い」贈り物とされ、ギフト市場で支持を獲得し続けています。

一生モノの記念品としての提案

中田社長のアイデアは止まりません。次に狙ったのが記念品市場です。
小学校の卒業記念品として「NAKATA HANGER」を売り出したのです。
「卒業記念品はどんな時勢でも需要が発生するものです。コロナ禍でブライダルマーケットが落ち込んだ時も、卒業記念品は注文が途切れることはなく、ありがたかったです」
最初は、中学から制服を着るという子も多い小学校卒業式での引き合いが中心でしたが、今では、中学校や高校からも注文が来るようになり、今では多くの注文が寄せられています。
卒業記念品の提案用に作成した小学校の記念ハンガーのサンプル
ブライダル、記念品分野など、ハンガーの既存市場の枠を超えて、新たな市場を開拓してきた中田社長。その実現には、中田社長の発想力もさることながら、「NAKATA HANGER」が持つ高い技術力も生かされています。
オリジナルカラーの染色や名入れ・ロゴ入れは、職人が一本一本手仕事で入れていきます。特に名入れ・ロゴ入れは大変な作業。でも「そこまでやることで、世界で一本のハンガーとなり、それがお客様の喜びになるのです」と中田社長は断言します。
自分の名前が入った一本だけのハンガーは特別感が出る(写真提供:中田工芸)
「たとえ1本でも顧客が望むカラーで作る場合もあります。それが、国内で製造している強みだと自負しています。時には、富士山をイメージさせるカラーの注文もあります。こうした高い要望に応えることで、職人のレベルがさらに上がり、より富士山らしい配色になっているのです」
富士山をイメージして塗装したハンガーは、海外の人にも好調(写真提供:中田工芸)
長く存在していたハンガーのコンセプトから新たに見直し、新たな価値をつけたことでギフト商材にまで昇華させ、そのブランド力を高めました。後編では、コラボ依頼が途切れない「NAKATA HANGER」の高い技術力と今後の展開を紹介します。
後編に続く