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田上富久氏、不出馬の意向 来年4月の長崎市長選

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  • 専修大学・経済学部(国際経済) 専任教員

    まずは御疲れさまでした,とお伝えしたい。
    記事内にもあるように,田上市長が出てきた当時とは,それこそ伊藤市長が長崎市長選の最中に暴力団に襲われて亡くなったとき。今年,安倍元首相が銃殺されたときに「先例」としてよく取り上げられたあの事件である。要人が亡くなる事例というのは1960(昭和35)年の浅沼社会党委員長(当時)の刺殺事件までさかのぼることになるが,地方まで目を向けると要人が亡くなっている事例だけでも2007(平成19)年のこの段階には起きている。
    そして,当時は急遽出てきた娘婿が後を引き継ぐはずだったのを待ったかけた形だったのが,長崎市の職員だったこの田上さんだった。当時は数十人抜き(田上さんはNo.4ではなくもっと下だったから)と言われたものである。
    長崎市長は日本の中でも平和への理解がとりわけ必要な市長でもある。そして,伊藤市長は選挙の際にも亡くなって無効票になる状況でもなおお名前が出てくる状況であった。その状況をピンチヒッターでよくここまで引き継いだとは思う。
    安倍元首相の襲われた事件が尾を引いた2022(令和4)年後半であることを思うと,政治家が襲われる話というのは過去のものではなくなった。その中で長崎市長というのはとりわけ年に1度大事なメッセージを発信し,そしてそのメッセージが今この媒体の発信元である読売新聞などを初めとする新聞にも厳しい目を向けられる,という立場である。当然,他の市長よりも思想面を理由にした襲撃を受ける危険性は高い。
    その中で,あの伊藤市長の事件のあと,ということを思うとよくここまで立て直したな...ということを思う。
    長崎という都市はどうしても核とは切り離せない都市である。そして,この4期の間に世界の核をめぐる情勢もさらに混とんとしてきた。日本が核に関するリーダー的な発言が最早出来る状況ではないだけの恥ずかしい状況にもなる一方で,現実の戦争で核の使用を当事者が大っぴらに言及し出すだけの恐ろしい時代にもなった。
    田上市長には「元・長崎市長」として,その後も色々できることをやってほしいものである。次の市長が誰になるにせよ委縮するようなことにはならないように配慮して,ではあるが。そして,次の市長は田上市長とは異なる政策を掲げる可能性も有る。ピンチヒッターのあとなんだからフラットに考えて政策を選挙で闘わせればよい。


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