2022/11/29

アナログな日本ルールをハックせよ。「攻めのバックオフィス」のすすめ

NewsPicks / Brand Design 編集者
 DXブームから約3年──
 ビジネスの場面では、もはや日常語となった「DX」。だが、その成果はどうか。
 先日発表された、世界主要各国のデジタル化を評価する「IMD 世界デジタル競争力ランキング2022」によると、日本は63カ国中29位と、過去最低順位を毎年更新している。
 そんな中、「脱ハンコ」は、未だ解決しない、日本のDXにおける象徴的な課題の一つ。
 リモートワークが浸透する中、紙の契約書でのやりとりが行われ続けるのはなぜなのか。そして、契約書というビジネスの根幹を司るバックオフィス部門は、いかに変わるべきなのか。
 元日本マイクロソフト業務執行役員で、現在は株式会社圓窓代表の澤円氏と、電子署名サービス「DocuSign eSignature」(以下ドキュサイン)を提供するドキュサイン・ジャパン株式会社 カントリーマネージャーの竹内 賢佑氏との対談を通し、後方から経営を支える「攻めのバックオフィス」への転換方法を探る。

DXは始まってすらいない

──澤さんは、国内DXの現状について、どう見られていますか。
澤 実は始まってすらいないのではないか、という印象です。
 DXとは、「デジタルでトランスフォームする」こと。情報がデータ化されたり事業部全体がデジタル化されていなければいけない状態ですよね。でも、実際の現場では、それとはほど遠い現状があります。
 特に、バックオフィス部門では、未だ紙での契約書がデフォルトになっている会社は多い。僕は独立して、そうした事例のなんと多いことかと驚きました。
──なぜ、紙をやめないのでしょうか。
澤 大きな理由の一つとして、そもそも疑問に思うことがなかった、という点があると思います。
 紙の契約書でのサインを求められた時、「紙以外の方法はありませんか?」と聞くと、先方は社内で渋々確認を取る。すると、数日経ったら、「上司からどっちでもいいと言われました」と(笑)。
 もともとのルールを変えることは怖いことです。内側でモメたくないから、負担を外部に押し付けてしまうことも多々あります。
 別に、支払いを倍にしろと言ってるわけでも、会社の規模を半分にしろ、という話でもありません。単純に面倒なことが減るのだから、DXの時代だし良いんじゃないですか、と伝えるとやっと重い腰を上げる。
 社内で本気でやろう、という気概が全く足りていないのが、現在のDXの現状ではないでしょうか。
──そうした現状について、竹内さんはどう思われますか。
竹内 今の澤さんの意見に共感しますね。実際に会社をデジタルでトランスフォームして、企業体や提供価値そのものが変わるまでいっているところは、非常に少ないと思います。
 今は、その前段の既存プロセスをデジタル化するところで止まっている。両者には、大きな幅があり、それを埋めるためには多くの時間を要します。そして、その割を最も食っているのが、バックオフィスです。
 経営者の方にとって、契約書は最後に回ってくるもの。つまり、ポンとハンコを押せば仕事は終わるので、デジタル化をする手間のほうが彼らにとっては面倒なんですよね。
 だけど、コロナ禍によってリモートワークも徐々に浸透し、これまで通り契約書が経営者の手元に回ってこなくて焦って電子署名を取り入れる、ということが起きたのが2020年です。
澤 たしかに、バックオフィス部門も会社によってはリモート化していますよね。僕は2008年あたりからすでにリモートワークを取り入れていて、特にそれがマイナス評価になる会社ではなかったので、会社に行くことと仕事は切り離していました。最後の2年くらいはほとんど会社に行っていなくて、「はぐれメタルスライム」なんてあだ名が付いていましたね(笑)。
 移動をなくすことで生産性を上げることに早めに気付けたのですが、周囲は「そのうちね」という雰囲気で。会社への移動時間に全く疑問を抱いていませんでした。
竹内 分かります。2006年頃は僕もインド企業でリモートワークを実践していましたが、そうした価値観が浸透するのはグローバルでもずっと後でしたね。

目黒のさんま理論とDX

──バックオフィス部門をデジタル化しようとしない経営者は、なぜDXを否定するのでしょうか。面倒、以外の理由はありますか。
澤 多分、彼らもDX自体を否定しているわけではないと思います。ただ、疑問を持たない経営者に対して、周囲が異議を申し立てる勇気が持てない。つまり、従業員も「そういうもの」だと、諦めてしまっている。
 僕はこの構造を、「目黒のさんま理論」と呼んでいます。
 落語の古い演目に、「目黒のさんま」という噺(はなし)があります。お殿様が鷹狩りに出かけた際に、腹が減ってたまたま立ち寄った民家で食べたさんまの味が忘れられず、帰って家来に調理させるが、庶民の無造作な作り方ではなく、骨を全部取るなど丁寧に調理したらなぜか不味い。家来は築地で一番いいさんまを買ってきたはずだが、殿様は自身の成功体験から産地を山の中の目黒と勘違いして、「だめだ、さんまは目黒に限る」というオチです。
 仮にこのまま話が進めば、家来に目黒で池を作らせて、さんまを養殖できるようにしてしまう、なんて展開も考えられます。
 トップの無邪気な一言が、組織全体をあべこべな方向に向かせてしまう、ということは江戸時代から続いているわけですね。
竹内 日本のDXにも当てはまる象徴的なお話ですね。まさしくエンタープライズ企業など、階層が深い組織では、これがたくさんあるんだろうなと思います。
 あと、経営者と従業員との世代間の認識ギャップもあるでしょう。
 オンラインで仕事ができるのか、在宅で顔が見えないと不安だ、士気が保てるのか、そんな恐怖に対して安心を得るために出社を強制する、なんてことは結構よくみる光景です。
澤 たしかに、不安を目の前に見えるもので補おうとしているのも大きいでしょうね。集団心理としても、上に意見が言えず組織が停滞する危険性もあります。

バックオフィスは企業の内臓

──バックオフィスがDXで、より活性化していくためには、どうすればいいのでしょうか。
澤 僕が必要だと思うのは、とにかく、感謝を伝えることですね。
 まず言いたいのが、バックオフィスの人たちをめちゃくちゃリスペクトしているということ。知っている方も多いかもしれないけど、僕はバックオフィス系の仕事が大の苦手なんです。予定調整すらできないし、カレンダーも見間違える、お金の計算だって3桁の足し算すら間違える始末です。外資系企業にいた時には、ずいぶんお世話になりました。もはや介護状態(笑)。
 そんな時にできることはただ一つ。心の底から「ありがとう」と言うことです。自分から手伝えることはした上で、バックオフィスにちゃんと感謝を伝えられる組織は、絶対にうまく回ります。
 自分は特定の分野では能力があるつもりでしたが、サラリーマンとしてできなきゃいけないことが何もできなかった。でも、それを支える仕組みがあるのが会社の素晴らしいところです。
 バックオフィスはその性質上、できて当たり前と見られることが多く、なかなか感謝を言ってもらえない立場にあります。忘れてしまいがちですが、経理や総務、法務がいなければ会社は成り立ちませんよね。経営者の仕事はまず、彼・彼女らに感謝を伝える仕組みをつくることです。
 あと、何のために今の仕事をしているのかを伝え、フロントメンバーとも共有し合うことも重要だと思いますね。それが、組織の改善を加速させます。
竹内 ケアが大切、という意味では、僕も同じ意見です。
 僕の見立てでは、バックオフィスとは、人体でいう内臓だと思っていて。お金が血液ですよね。外向きのことをやる営業組織は筋肉です。でも筋肉ばかりを鍛えて栄養も偏れば、内臓組織の調子は悪くなります。
 脳みそである経営層は筋肉の痛みにはすぐに気付きますが、内臓の悲鳴は聞こえにくい。健康な身体は、常に筋肉と内臓がセットであるように、会社も内臓=バックオフィスの重要性をより理解して常にケアするべきでしょう。
澤 その比喩、今度使わせてもらいます(笑)
 先日亡くなったボディビルダー出身のプロレスラーの方は、内臓不全が原因だったと聞きます。
竹内 自分自身、ボディメイクをするのでよくわかります。私たちのサービスはある意味で、吐きそうになった体内に投入する「胃薬」のような存在なのかもしれませんね。

脱ハンコを阻むもの

──今、まさに日本の社会に胃薬を投入されているわけですが、実際に内臓の調子=脱ハンコの状況はいかがですか。
竹内 食道を超えた辺りで、まだ胃まで届いていない状況ですね。
澤 薬としてドキュサインのソリューションがある場合は、まだまだですよね。食べ物のような形で当たり前に存在しているようにならないと。でも実現したら、安心して筋肉をデカくすることができる。
竹内 おっしゃる通りです。薬がサプリになり、サプリが食事の栄養素になってくれたら嬉しいです。
澤 実際のところ、電子署名は今、どの程度国内企業で浸透しているんですか。
竹内 弊社が今年日経BPコンサルティングと行った調査では、約30%の人の勤務先で電子署名サービスが導入されていると回答しています。ただ、現場でどれくらい活用されているかについては、まだ課題も多いのが現状です。
 契約業務は双方向性が必要なため、契約する側が電子署名をOKしなければ、なかなか浸透していきません。
澤 2社間のうち、より力を持つほうに引っ張られることはありますよね。「紙なら、お宅とは取引しません」の一言が言えないことが、電子署名を阻んでいる一因な気がします。
竹内 はい。結局のところ、大きい企業の社長様レベルの方に「やるんだ」という覚悟が必要で、これはクラウド化によるDXでも何でも、改革という意味では一緒だと思います。
──電子署名はクールだ、というイメージをレガシーな企業に持ってもらうことも重要ですね。
竹内 そうですね。「ドキュサイン・モーメント」とよく言うのですが、僕の場合だと趣味のサーフィンをしている時、海へ飛び込む直前に契約書にサインすることもあります(笑)。
 これまではオフィスに来てハンコを押すのが当たり前だったけど、電子署名ならいつどこで何をしていてもサインができる。それをイケてると思うのか、はたまた「けしからん」と否定するか。
澤 それは多分、オフィスに行く=仕事であるという概念に囚われすぎていると思っていて。電子署名なら、移動時間も全て業務時間に化けて、対人の仕事に100%費やせるわけです。
 そもそも今は、コロナ禍によってマインドがアップデートされて、対人はプレミアムな体験となりました。事務作業に対面の時間を使うのはもったいない。顔を合わせた時は、仕事の話なんか抜きにして、人間関係を構築するとか信頼関係を醸成するために時間を使ったほうが良いのではないか、という話をよく経営層にも伝えています。
竹内 結局、ビジネスの現場ではどれだけ印象に残るか勝負みたいなところもありますよね。僕もお客様へ訪問する時は、どう笑いを取って思い出してもらえるかばかり事前に考えています。
 一方で、実際に電子署名を導入しようとする際に、実物のハンコがないと不安、怖いというリアルな課題もあるため、そこにも手を加えています。
──どんな施策ですか。
竹内 シヤチハタさんと組んで、デジタル上でシヤチハタの印鑑が押せる仕組みです。紙に実物で押したものとそっくりで、画面上で見ているのが分からないくらいのデザインに仕上げています。
 しかも、ハンコの「おじぎ機能」も付いてます。10度、20度、30度と変えられるので、係長、課長、部長とだんだん下げたり上げたりできます。
澤 それも必要な機能なんですか(笑)。
竹内 はい、必要だと思っています。デジタル署名をする側の心理的な障壁を一つずつ消して、ストレスフリーでシステムに慣れてもらう努力をしている最中ですね。
ドキュサインのおじぎ機能。傾きの角度を自由に変えられる。
澤 完全に電子署名を最初から自分の生活に取り入れている人からすると、そういうのは、ちょっと言葉が悪いですけど、滑稽に見えるんですよね。だけど、それが人を安心させる効果があるとするなら、これはある意味、投資領域になりうる。導入しなければゼロなので。
 今の時点では、大いにアリな施策かもしれないですね。
竹内 結局は、変化への耐性なんですよ。ガラケーからスマホに変化した時のように、変わる時には学習コストというストレスが掛かります。
 紙とハンコも同様です。印影そのものはただの画像なので、必須ではありません。でも、それがあることによって採用いただけた、という話は多くあるので、今はその過渡期にあるのかなと思いますね。

電子契約を定着させる「お膳立て」

──不安はハンコが見えること以外にも、電子署名の法的効力を懸念する経営者も多いと思いますが、最新の状況はいかがですか。
竹内 たしかに、電子署名は紙での契約と比べて劣る、と見られる方もいますが、現在では、ほとんどの契約は電子署名で対応可能です。例えば、行政手続き(中央官庁)の99%以上は押印廃止になっています。
 2022年5月にも法改定があり、不動産契約でも電子署名が全面解禁されたんです。
 その一方、企業の法務担当者は、過去の判例や事例に基づき判断を下します。
 なかなか細かな法改定については能動的に把握してもらえないケースも少なくなく、法改定に気づかず「以前は電子署名が違法だったから」と棄却されるケースもあるんです。
 バックオフィスの方だけでなく、企業の法務関係者や弁護士に十分周知するためにも、官民連携で電子署名の導入率が上がれば、と期待しています。
 また、SDGsの観点でも、世の中の電子化は進んでいくはずです。あらゆる企業が紙の契約書を廃止し、電子化することの方が資源保護につながりますから。
 実際に、ドキュサインと私たちのお客様はこれまでに、660億枚の紙や250万トン以上のCO2排出を削減してきました。途方もない数字に聞こえますが、一社一社、一人ひとりが電子化を進めたことの積み重ねで大きな成果につながっているんです。
 実際に脱炭素を理由にドキュサインの電子署名を契約しようと検討する経営者の方もいらっしゃるんですよ。
澤 そうした環境の変化に対する周知活動もDX化においては重要ですね。
──組織に新しいサービスを導入する際には、どのような点に気をつければ良いでしょうか。
澤 インセンティブとペナルティの、両方を用意することが大切です。
 たとえば、電子署名で契約を取ってきた営業はボーナスが2%アップする、というインセンティブを用意するとします。だけど、それだけでは人によっては「別に得しなくていいから面倒なことは避けよう」というマインドになってしまう。
 そこで、契約のうち50%以上を電子化できない場合はペナルティが課せられるようにするとどうでしょう。「やったら得、やらなかったら損する」状況に陥ると、人は必ず「やる」を選びます。
竹内 たしかに。上からの圧力だけでは、なかなか変わりませんよね。
 しかも、印紙を発行する必要がなくなることでコストが浮く。その分をインセンティブとして活用するのは合理的だと思います。
 特にバックオフィスのようにインセンティブが発生しづらい組織では、働くモチベーションを生む新しい仕組みとしての可能性もありますね。

バックオフィスは概念化していく

──DX化によりバックオフィスは今後、経営の中でどのような存在になっていくと思いますか。
澤 バックオフィスは、概念化されていくと思います。これは、人がいらなくなる、という意味ではありません。
 そうではなくて、業務というものが一つあり、そこに対して抽象化されているバックオフィスの人たちが、好きな時間に好きなようにお手伝い可能な仕組みが出来るようになる。その時に絶対条件なのが、デジタル化なんですね。
竹内 具体的には、どんなイメージでしょうか。
澤 はい。ここで僕が導入している「オンライン秘書」の働き方が参考になるのでご紹介したいです。
 僕は予定調整が苦手なので、そうした秘書業務は、すべて専門企業にアウトソーシングしています。外部の方がうちにメールを送ると、僕の会社の事務局メンバーである「加藤さん」が対応してくれるのですが、実は、その加藤さん、実在しないらしいのです。
 裏で複数人のスタッフが時間帯ごとに「加藤さん」役を担っていて、チーム編成でサポートいただいている、とその会社の方から伺いました。
 作業がすべて「デジタル化」されているからこそ、こういった業務形式が成立するんですよね。
 バックオフィスがこういった業務形態へと進化すると、フルタイムで働けない人や、移動を制限されている人も、個々のスキルを活かした働き方ができるようになります。
 少子高齢化、労働人口の減少が危惧される現在、有能なリソースを活用できる仕組みだと思うんです。
竹内 面白いですね。法的にクリアして、アウトプットさえあればビジネス上は全く問題ありませんよね。
澤 そうなんです。抽象概念化できるところを省力化・デジタル化すればバックオフィスはより自由になるし、経営者は本当にやらなきゃいけない仕事に集中できるようになります。
竹内 そこはまさに、私たちがドキュサインの製品で、ダイレクトに市場に貢献できる部分だと思います。
 最終的に人が介在しなければいけない部分は大切にしつつ、日本のバックオフィスの概念化や、啓蒙活動を通して、今後も積極的に日本のDX化に貢献していきたいですね。