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【削除されました】養殖物2022年9月28日(水)

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  • 加藤さんが指摘されている「全体主義的思想」というフレーズで思い出したんですが、まさに昨日の国葬に反対する人々を諫める体裁のコメントで、選挙で選ばれた政府が構成する内閣が決定したことは普通行われる、それが議会制民主主義だ…、といったような主張に多くのLikeがついていました。
    んなわけないじゃん、ナチスの授権法じゃあるまいし(ちょうど今読んでる芝健介著「ヒトラー」でこのあたりが出てきた)、と思ったのですが、今のところ全体主義が公然と主張されているわけではないものの、それに向けた下地は整ってきているのかも、と思った次第です。昭和初期の日本も政党は対立党との足の引っ張り合いばかりで、分断と政治不信が極まっていたという話ですし、人々が分断に呆れ疲れたあたりでポッと出てくるのが全体主義なのかもなあ…と身構えている感じです。

    〈追記〉
    fukudaさんのご指摘はたいへん私の言いたいところの芯を突いていまして、今くらいの分断ぐあいになると「一つにまとまる」というファシズムの本来の言葉の意味っていうのが良さげに聞こえてきかねないと思うんですよね。例えばこのくらいの主張は出てくるかもしれない:
    「20世紀の全体主義は対外戦争とセットになっていたから悪かったのだ。本来の全体主義は『難局にある国民が一つにまとまる』ということであって、そこにはポジティブな意味が含まれていることに私達はもうそろそろ気づくべきだ。絆を大切にし、日本人としての一体感をすべての価値の中心に置くことで、しなやかに逞しく、一丸となって歩み出す…これが日本の全体主義2.0だ!」
    どうでしょう、今やQアノンみたいな主張を真顔で言う人もいる時代ですし、それよりは相当マシに聞こえないでしょうか?このくらいのソフトタッチの全体主義はこれから浸透してきて十分おかしくないんじゃないかなと思うのです。
    こういった主張が何につながる危険があるのかは、まだそこまでに到っていない今のうちに十分考えておく必要があると思うのです。(そもそも本当に危険なのか?という問いから向き合う必要がありそうですね)


注目のコメント

  • physical therapist

    おはようございます!

    昨日行われたサッカー日本代表vsエクアドル戦を私なりに少し。

    『繰り返された愚行と代表内格差』

    古橋と南野の同時起用はダメだ。
    まして縦関係は余計ダメだ。
    優秀なパサーとの呼吸で絶妙に裏へ抜け出してゴールを狙う古橋と、起点となる最前線の周囲を衛生的に動いてゴールを狙う南野。
    控えめに言って相性が悪すぎる。
    それは今回だけでなく、過去の試合でも明らかだ。
    南野の劣化は大きな損失だが、古橋の使われ方はあまりに不憫だ。
    (南野が左サイドで使われていた頃は同様に激しく同情した)
    古橋&鎌田、上田&南野ならアリだ。

    三笘と長友のセット。
    ネットでもテレビでも「長友いいね」論が巻き起こっているようだが、それはあくまで「相手のアタッキングサード内における1対1の守備」という限定的なもの。
    逆を言えば、それ以外の守備は物足りない。
    特に攻撃時、三笘がワイドレーンでボールを受けると、長友は三笘より前かつその横のレーンでポジション取りを繰り返していた。
    「5レーン理論」に基けば、トライアングルを形成する必要があるが、そういう感じではなかった。
    しかも、あそこに立たれると、三笘のカットインは選択肢から外れることになる。
    であれば、外のコースを切れば“三笘封じ”は完了する。
    まして、インナーラップもオーバーラップも出来ないサイドバックがコンビでは厳しい。
    三笘を活かすなら中山だろう。

    柴崎と田中のセット。
    強度と推進力に乏しい二人がセットでは中盤が全く安定しない。
    柴崎がもう闘えないことは十分承知しているが、田中の劣化は気掛かりだ。
    チャレンジングなパスもBOXへの侵入もカバーリングも減退した田中は、最終予選の彼とはまるで別人だ。
    中盤は遠藤・守田・鎌田に怪我をされたら危機的状況に陥る。

    レギュラー組とサブ組の格差は大きく、個に超絶依存した攻撃パターンで自滅しやすい中で、本番を想定した闘いをしなかったことがどう出るか。

    本大会まであと1試合しかない。


  • 【迷いつつ書いてみた】
    政治についての意見表明は、丁寧な説明を要すると考えているためリアルに留めるようにしていますが、ちょっと…いや、かなり危険な方向に流れているなぁと感じたので、ここで頭の整理をしながら呟かせてください(前置き長っ)。

    昨日の国葬儀について、正直な感想を書いてしまうと『またしてもこの流れか…』です。直近で言えば五輪ですね。

    大義名分(国葬儀であれば安倍氏追悼、五輪で言えば選手活躍)を盾に内輪でドンドン話を進め、『合意形成を取りながら進める』という大切なプロセスをすっ飛ばしてしまうアレ。
    経過に口を挟むと『何でも反対するヤベェ奴』扱いをされてしまうアレ。

    本来は大義名分への感情と開催に向けたプロセスは別に考えなければならないのですが、ここが一緒くたにされている部分に、ワタクシは気持ち悪さが否めません。かたい言い方をすれば、全体主義的思想が強まっているようにみえるんですよね。

    物事は円錐だからこそ、自身から見える解だけではなく、様々な角度からの見え方を聞き、最適解と思われる判断をするのが本来必要なプロセスだと認識しているのですが、最近は賛否のみに注目が集まり、国葬儀なら、参加や黙祷や献花の有無が、忠誠度をジャッジする踏み絵のようにワタクシには感じるのです。

    社会で起きている事象って、様々なものが複雑に絡み合って起きています。だからこそ、様々な角度から話を聞きすり合わせながら落とし所をつけることが肝要なわけで、本来は簡単に是非をジャッジできるものではないのですよね。

    長々と書いてしまいましたが、故人への追悼の気持ちとは別に、今一度、国が行う様々な物事決定プロセスに注視して、安易に賛否を意思表示するのではなく、『ホントにその決め方で大丈夫?』と考えたり、多様な意見に耳を傾け『そういう考えもあるのか』と学びつつ視野を広げることが、今の時代には必要なのかなぁ〜と思いました。

    上下左右 一度なくして 是々非々で

    今日は野暮なコメントですみません。


  • 株式会社 草林舎 代表取締役

    おはようございます。

    昨夜とあるピアニストの方の演奏をYouTubeで聴き、カッコええーー!っと大興奮しました。

    技術もさることながら、その方の垣根の無い性格が演奏に現れていて、グーっと心が惹かれて行きました。

    そしてきっと身体のどこを切っても(実際に切らないけど笑)、音楽を愛する気持ちが溢れ出てくるんだろうなと。

    素敵でした(((o(*゚▽゚*)o)))

    この世に音楽があって良かった!

    それでは今日も皆さんにとって良き一日でありますように。おやつタイムもお忘れなく^_^


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