2022/9/9

【滋賀】大手銀行支店長のレールを蹴り、廃業予定の農園後継ぎに

滋賀・近江八幡市、浅小井(あさごい)にて最先端のハウス栽培に取り組むGAP認証農場「浅小井農園」。ブランド名は「朝恋トマト」。「浅小井」から転じたキャッチーなネーミングと、安定して届けられるこだわりの美味しさがファンをつかんでいます。後継ぎのないトマト農園を継承したのは、元銀行員・関澤征史郎さん。世襲ではない、第三者継承です。第1回は農業への転身、継承した理由をうかがいます。(全4回)
INDEX
  • 農業にはチャンスがある
  • お金の可視化で妻を説得
  • 廃業はもったいない!
関澤征史郎(せきざわ・せいしろう)/浅小井農園 代表取締役社長
1981年生まれ、兵庫県出身。立命館大学卒業後、みずほ銀行にて大企業・中堅中小企業担当融資課長等を務める。2018年退職し、農業を志して、滋賀県近江八幡市の浅小井農園にて農業研修。2020年、第三者継承により、二代目を受け継ぐ。
http://asagoi.com/

農業にはチャンスがある

滋賀・近江八幡「浅小井農園」でトマトを栽培する関澤征史郎さんは、元銀行員。大手銀行で中堅中小企業の融資などを担当していました。真っ黒に日焼けした現在の精悍な姿からは、想像できません。
「35歳の時、渉外課長を務めていました。その後、順当にいけば、次長・副支店長・支店長…というステップアップになります。昇進しても仕事内容がほとんど変わらない。決して悪いキャリアではなかったのですが、面白味を感じられなかったんです。
40代、50代は社会経験を積んで、まだまだ元気がある年代。銀行員でいれば収入は安定しますが、充実した時期をこのまま費やすのか、一念発起して頑張ってみるか、そういう選択でした」
仕事を通して出会った経営者たちにも触発されて、転身を決めた関澤さん。やるからには、好きなことがしたい。起業を考える中で、中心に置いたのが「食」でした。
「もともと食べ歩きが好きだったので、起業するなら『食』に関する仕事がいいなと思っていました。とはいえ、料理ができるわけではないし、レストランを経営した経験もない。何ができるか模索する中で、農業は国のサポートが手厚いことがわかりました。補助金や助成金、金融機関等の融資制度もすごく充実している。
つまり、それだけ人が足りていないということなんです。浅小井農園もその一例ですが、引退する人に比べ、就農する人が圧倒的に少ない。国に働き手を求められている業界だということです。独立して最初に始めるビジネスとして、やりやすい業界なんじゃないかと思いました」

お金の可視化で妻を説得

金融業界から農業へ転身。未経験の業界に飛び込むことは、安定した生活を変えるということ。案の定、妻から大反発を受けた関澤さん。プレゼン資料をつくり、説得にあたりました。
「今後10年間の我が家のキャッシュフローを一覧表にして見せたんです。貯金の残高がどんなふうに推移するか、収入が月どれくらいになるか。うまくいかなかった場合、貯金残高が1000万円切ったら辞めると宣言して、失敗したらどうするかも明確にしました。
妻にとっては、ズルズル失敗し続けて借金を背負って辞めるのが最悪のケースだったんです。だから、『そうなる前に辞めて会社勤めに戻るから、その心配はしなくて大丈夫』と伝えました。
どんな業種であれ、資金繰りや事業計画において、お金が重要になる。気合と根性で、ただ『頑張ります』と言うだけでは説得力がないし、失敗しかねない。『ダメだったら辞めるから』と言われても、その時点で貯金がゼロだったら生活が立ちゆかないですからね。
たとえば仮に貯金残高が1500万円あったとしたら、『700万円を切った時点でギブアップします』というように、数字でしっかりと示すこと。それが安心につながると思います」
家族の理解は、転身への第一歩。キャッシュフローを明確にすることで、心置きなく、新しいことにチャレンジができます。

廃業はもったいない!

起業するにあたって拠点に選んだのは、妻の実家がある滋賀県。栽培技術を学ぶため、近江八幡市の「浅小井農園」に研修に入りました。2008年、地方公務員を早期退職した松村務さんが創業。環境制御システムを導入した最新鋭のハウス栽培を実践していました。
「太陽光や温度、二酸化炭素濃度等をコンピューターで自動制御し、光合成を最大限促進。8月に植えて10月から7月まで10カ月にわたって、質の高いトマトが収穫できます。人間が植物をコントロールできる環境システムに魅力を感じていたので、県内No.1の技術を持つ浅小井農園で学びたかったんです」
1年半にわたって研修に通い、「浅小井農園」の栽培技術をつぶさに見てきた、関澤さん。あとひと月ほどで研修が終わるという頃になって、創業者・松村さんに後継ぎがないということを知ります。
「松村さんに会社をどうするか尋ねると、『後継者が見つからなければ更地に戻して地主に返す』と言うんです。
浅小井農園は設備投資に1億円以上かけている。それなのに取り壊してしまうなんて。朝恋トマトのファンも、従業員もどうなるんだろう。廃業はあまりにもったいない。居ても立っても居られなくて、プレゼン資料を作成し、『事業を継がせてもらえないですか』とダメ元で話しました。松村さんはふたつ返事で、『ぜひやってくれ』と言ってくれました」
すでに起業のために農地を確保していた関澤さんですが、思いがけない展開で話が進み、「浅小井農園」を事業のメインに置きました。
後継者不足が深刻な中、注目を集めるのが、第三者継承。親から子へという世襲ではなく、志ある第三者に事業を継承します。農業を辞める人にも、始める人にも、地域にとっても、意義のある選択です。
「親子代々続く農家の場合は、『先祖から譲り受けた』という感覚がありますから、第三者継承になかなか踏み切れないところがあると思います。浅小井農園は創業者の松村さんが新規就農だったことが大きかった。事業としてどうするか、合理的な判断をしてもらえました」
銀行員時代に蓄えた知識で事業計画を立て、法律的な部分は税理士や司法書士といったその道の専門家に助けてもらって、滞りなく事業継承が進みました。
完熟したものだけを朝摘んで出荷する
2020年、関澤さんは代表取締役社長、松村さんは会長に就任。その後、人員を増やし、現在では収穫量も大幅に増えました。
「研修時代から人員不足を感じていたのですぐに補充し、収穫量は先代の頃の倍近く増えました。以前に比べると海外からの資材や燃料にコストがかかるので利益率が良くないのが課題ですが、それでも一次産業はやりがいのある仕事だと思います。思った通りにつくれた時の達成感はすごく大きい。
銀行員時代は東京の大都会で働いていましたが、やっぱり息が詰まる。こういう場所で働いていると気持ちが落ち着くし、毎日が豊かになりました」
安定した生活からやりがいのある人生へ、舵を切った関澤さん。結果は言わずもがな、手をかけただけ喜びが返ってくる充実した日々です。
Story2「朝恋トマトのブランド化へ続く