教養を「知っているだけの人」と「使いこなす人」決定的な差
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注目のコメント
>知識だけでなく、どうやって「つなげていけるか」「つなげる力」みたいなものが必要
単に知っているだけでは記憶に過ぎず、個人的な想い出にも等しいです。
なにかにつなぐことで記憶に意味を付与して、教養として発露させることが可能になります。
つなぐ対象やつなぎ方に正解はないので、突飛な発想であっても、つなぐ道筋で他者に対する納得性を作り出すことは可能ですし、そのような発想の方法が個性にも結びつきますね。
日常から意識しないとなかなか実践できるようにはなれませんが、実践しないことには身につきません。この違い、大切ですね。
日本ほどハウツー本が溢れている国はないと思うし、それらの本を読みまくって「あ、それ知ってます」って言ってしまう人、めちゃくちゃ多いです。
でも、知っているというのとそれを活かしてXXXができます、というのは全然次元が違います。すぐに「知ってます」と言ってしまう人は、できるようになるための苦労を経験したことのない人なのだと思います。
最近投資ファンドが花盛りで、その周辺で仕事している人によくお会いします。その人たちはいろんなベンチャーを見ているために、うまく行ったケースとか失敗のケースをよくご存知です。それはいいんですが、その知識を以て「私何でも知ってる」みたいなことを言うのはやめてほしいです。
だったら自分でやってみればいい。そんな評論家発言がいかに虚しいかがわかります。内容は確もっともなんだけど、わからないことは、
「詳しくないんだよねー」
「ちょっとわからないなーでもこれなら知ってる」
とかで、意外となんとでもなりますよ。
確かに世界のエリートでは同じ教養を相手に求めてくる人はいますけど、それに無理に合わせていると、どのみち長い付き合いにはならないですし。
教養もコミュニケーションのほんの一部なんだと今では思っています。