障がいも不登校も関係ない 阿蘇の大自然で行うインクルーシブ教育
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子どもたちの輝く目が印象的な記事でした。
九州をホームにするようになって8年。独特の風土や植生はありますが、日本的なランドスケープであることは関東と大きく変わらない中で、阿蘇という土地は日本のスケール感を超えた、人間の手が及ばぬ神々しさを感じさせられる場所です。そんな場所で、こんな営みが展開されていることがとても印象的で、いつか現地に赴きたい気持ちが高まりました。
「インクルージョン (包摂) 」というと、無意識のうちに「健常者」 (この言葉は嫌いであまり使いたくないのですが…) が「障害者」を受け止め、思いやりの心を持つことだと誤解されている節があります。健常者が障害者の上に立ち、施しを与えているのだという思考が、やまゆり園事件などあってはならない悲劇を引き起こす元凶になっています。そうではなく、そもそもすべての人間が違っていることをお互いが認識し、その多様性の下に人間社会の繁栄があることを皆が認識し、リスペクトすることが本義なのです。ただ、インクルージョン=障害者の社会参画とされている現実は確かに存在します。
solの活動が素晴らしいのは、障害児の療育からスタートしているのですが、そこからどんどん裾野を広げて、生きづらさを抱える多様な子どもたちを引きつけていくところにあります。どうしても制度の壁に阻まれて、障害者は障害者、不登校児は不登校児、学校教育は学校教育と、その壁の内で試行錯誤がなされるのですが、この壁を取り払い、真のインクルージョンの実現に向けて意義ある実践を続けていることは、阿蘇の風景の神々しさに通ずるものがあります。
子どもたちの包摂の先に、solの皆さんの次の展望がどう実現していくのか、とてもワクワクしています。良記事。
野外体験・インクルージョン・親たちに焦点を当てることなど、本質を見抜いた方による、最良の教育の好例。
もとより正解はないのが教育なので、このような「熱くて素晴らしい個人」が、各々の「学校」を作るのが、良いのではないかと、思っている。こういう気持ちで溢れる大人がつくる学び場が、子ども達にとっては一番ですよね。
「子どもたちとの時間はもう幸せでしかなくて。どんなに大変なことがあっても、子どもたちと一緒にいるだけで元気になるんです。」
「子どもがそう(=自分が好き)思えるためには、ありのままの自分がまわりの人に受け入れてもらえる安心感や信頼感をもてることが必要です。それは身近な大人がどれだけその子どもの持っている力を信じられるかにつきます。」
恐らく学校の先生を目指す人は、特に初等教育は、子どもと一緒にいる事が好きで、成長を支援したいという思いの方がほとんどだと思うのです。この気持ちを忘れてしまったら、リハビリができる制度があると、どんな学校もきっともっと先生にも子どもにも居心地の良い場所になるでしょうね。
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