1970年の大阪万博の跡地には、各国館があった場所に、「○○館」と記された石板が地面に埋め込まれている。そして、当時の中国館、すなわち中華民国館があった場所にあるのは、「台湾館」と記された碑文である。子供のころ、私が万博に行った時、そんなものは実在しなかった。歴史は、書き換えられる。
頼副総統の訪日は、弔問とはいえ、なかなか政治的に微妙なところ。それでもあえて訪日することで、日本に対する強い思いを表現するとともに、中国の言いなりにならないという意思を感じる。とはいえ「私人」であることを徹底しているが。
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