2022/6/30

新しい対話の可能性。VRは現実をステレオタイプから解き放てるか

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 企業経営におけるD&Iはいま、「DE&I」へと変わりつつある。Diversity(多様性)とInclusion(包摂性)を担保するためにも、どうやって「Equity(公平性)」を実現するかが問われているのだ。
 性別や年齢、人種や国籍などの属性によって機会を損失することなく、あらゆる人が活躍できる組織や社会。それを実現するには、誰もがアクセスできるツールやインフラの整備だけでなく、われわれがそもそも意識すらしていない慣習や価値観の歪みを認識し、そのバイアスをリセットし続ける必要がある。
 この難題に取り組むために、Metaと電通、セプテーニグループが共同制作した「DE&I Training in VR」は、VRヘッドセット「Meta Quest 2」とVR空間「Horizon Workrooms」を使って組織のメンバーが対話するための新しい試みだ。
 VR空間で、アバターを介して行うワークショップは、われわれがとらわれているステレオタイプやコミュニケーションにおける心理的安全性にどのような変化をもたらすのか。企画・運営に携わる三者に聞いた。
「DE&I Training in VR」は、Meta、電通、セプテーニグループの3社が企業組織におけるDE&Iについて考えるために、「Meta Quest 2」とVR会議室「Horizon Workrooms」を使って行うワークショップ。3社の有志社員を募ったトライアルイベントが2022年5月31日に開催された。(※記事内のインタビューはイベント開催前に行いました)

メタバースは新しい対話を生み出せるか

── DE&IについてのワークショップをVRで行うのは、おもしろいと思いました。立場や属性から離れた対話ができそうですね。
富永久美 ありがとうございます。私はエンジニア×クリエイティブを軸としてテクノロジー分野で20年ほどキャリアを積んできましたが、この業界にはさまざまな可能性がある一方で、ジェンダーバランスが取れていません。
テック領域で活躍する女性を増やしたいと思い、メンタリングなどさまざまなイニシアチブに携わってきたので、Metaでもこのような取り組みを通じてジェンダーギャップに関する会話ができることをうれしく思っています。
宮崎陽子 私も広報部の仕事と兼務して、D&I推進活動を続けてきました。当社グループでもサステナビリティ活動の重点テーマとしてD&Iに取り組んでいますが、そのなかで難しさを感じていたのが、「なぜD&Iを推進するのか」についての理由を一人ひとりに腹落ちさせること。
 それぞれの従業員が、組織の多様性や包摂性を実現した先にこんないいことがあると実感してもらえると、もっともっとドライブがかかるんだろうと思っていて。VRというこれまでと違う角度からのアプローチで、どんな変化が起こるか楽しみです。
林 孝裕 私は2011年に、「電通ダイバーシティ・ラボ」という電通内の組織横断型タスクフォースに立ち上げ直後から参加しており、社内外の多くの方々とDE&I推進戦略の構築や調査・研究、また実際にサービスやコンテンツを開発しアウトプットするところまでお手伝いをしてきました。
 そういった対話においては、直接の接触がとても大事だと感じていますが、コロナ禍によってそれも難しくなってしまっています。この状況のなかでVRという新しい環境をどう活用できるのか。まずは3社で試しながら、企業や社会に広げていきたいと考えています。

組織におけるDE&Iの壁

── 企業や組織の中でDE&Iを推進するうえで、今どんな課題がありますか。
宮崎 私たちが特に重視しているのは、ジェンダーギャップへの意識です。
「女性」というジェンダーの問題は、いわば“マイノリティのなかのマジョリティ”。長年議論され、多くの人が知っていながら、一向に改善されない根深い社会課題です。ここにまず取り組むことで、それ以外のさまざまなマイノリティや社会的なギャップについても目を向けられるようになると考えています。
 マイノリティや公平性の取り組みは、いまだに「弱者に手を差し伸べる」というふうにとらえられやすい。そうではなく、あらゆる人にとって働きやすく、生きやすい環境や社会を実現するためのアプローチなんです。
── 日本はジェンダーギャップ指数が先進国のなかでも最低レベルです。この要因はどこにあるでしょうか。
 それこそ、ありとあらゆるところにあるのではないかと考えています。学校教育、家庭環境、日本の家制度、あるいは企業や政治の構造にも。あまりにも当たり前で見過ごしてしまいやすいところに、実は不公平な偏りが存在している。だから、多くの人が違和感を持てないということが根本的な問題なのでは、と感じています。
 私も男性ですが、ダイバーシティというテーマを取り上げて深く考え始めるまで、今では問題だと感じることの多くに疑問を持たないまま大人になってしまったと思います。社会的なポジションにおける男女比や、家庭内での役割など、「男だから」「女だから」という無意識のバイアスが自分のなかにもあります。
 この刷り込みはとても強く残っているので、少しずつ解きほぐしていくしかない。まずは前提を疑い、「正しく違和感を持ち始める」ことが重要だと思います。
世界経済フォーラムが経済・政治・教育・健康の四分野のデータを集計し毎年公表する男女格差の指数。2021年は156カ国中120位だった。
富永 日本が抱えるわかりやすい問題は、意思決定層に女性が少ないこと。女性にフェアでない意思決定がなされるのは家父長制の悪い名残でもあります。グローバルでは男女比率を均等に近づけるための制度化が進んでいますが、リーダー層の女性の数を増やすことは、国や企業が制度的に行える有効な手段です。
 そのときに「自分のポストを取られる」と考える人がいるのですが、それは違います。
 女性を含めた社会的マイノリティを包摂することは、椅子取りゲームの競争相手を増やすことではなく、社会全体の席を増やし、テーブルを大きく広げていくことなんです。
 これまで才能を活かしきれていなかった人たちが、社会や経済に参加し、活躍する。そのことによって企業活動が活性化すれば、日本も世界ももっと豊かになっていく。それがインクルーシブな社会のあり方です。
「DE&I Training in VR」でも、DE&Iの前提を問うイシューについて対話がなされた。Quest 2を使うと、身体ごとこの空間にいるような没入感がある。
宮崎 そのとおりですよね。当社の社外取締役の入山章栄さんは「企業の持続的成長には、なるべく遠くの知と知を掛け合わせることが大事」だとおっしゃっています。
 異なる価値観を持つ人同士を掛け合わせると、最初は必ず分断が起こる。でも、その分断を埋めて、誰もが臆することなく声を上げられる「心理的安全性」を担保したビジネス環境をつくれたら、イノベーションが起こりやすくなる。
 DE&Iが目指すのは、「一人ひとりの強みが発揮される環境」だと思います。
 私はよくDE&Iにおいては「関係人口を増やす」という話をするのですが、そもそも企業は、「一人じゃできないことをみんなの力でやっていく仕組み」なんですよね。さまざまな個性を持つ人たちの掛け算によって新しい社会価値を生み出していく強力なシステムです。
 だからこそ、ダイバーシティが担保されていなければならない。
 同じような人を揃えるのが目的なら、究極的には全く同じスペックのロボットを大量に並べることを目指すのかもしれない。しかし、それによって現在の人間社会が抱える複雑な課題が解決され、世の中がよりよくなるための新たな価値が次々と生まれるかというと、大きな疑問が残ります。

自分の中のバイアスと向き合うには

── DE&Iのなかでも「Equity(公平性)」の扱いが難しいと感じます。
富永 Equityは、個人の環境や特性が障壁となって機会を得られない場合に、その障壁を取り除いて公平に機会を与えるという概念ですよね。なぜ難しいかというと、私たちはさまざまなステレオタイプ(固定観念や先入観)によって、社会的な不公平や障壁の存在にすら気づいていないから。
 それも、まわりが気づいていないだけではなく、当事者自身も不公平な社会を当たり前のものとして受け入れてしまっているからです。
 私は長らくテクノロジー領域で仕事をしてきましたが、日本では特に、こういった理系分野に女性が少なく、イノベーションや成功の機会損失が起こっています。
 その背景には、そもそも女性のロールモデルが少ないこともありますが、子供のころからテレビや映画で見てきたエンジニアが男性ばかりだったことの影響も大きい。
 これはマーケティングや広告の表現にかかわる私たち3社にとっても、真剣に考えないといけない課題です。
アバターを介すと見た目からの印象によるバイアスが減る。話し方や内容から相手がどんな人なのか、どんな環境からこの場に参加しているのかを想像しながら話を聞いた。
宮崎 そうですよね。私は二児の母で、子育てしながら働いています。パートナーとは「家事育児がなるべく半々になるように役割分担しようね」と話していますが、やはり自分のなかにも、育ってきた時代や環境によってつくられたステレオタイプがあるんです。
 些細な家事や雑用でも、「これは私が担当したほうがいいことなのかもしれない」と感じてしまったり、そう感じている自分の言動を見て、それが子供たちのステレオタイプになってしまうのだと、悶々としたり(笑)。
 こういった固定観念はジェンダーだけでなく、人種や家庭環境、身体的特徴などさまざまなところに隠れているんでしょうね。
 もうひとつ質の悪いバイアスには、「自分のまわりには問題がない」という思い込みがあるのではないかと思います。
 公平性や心理的安全性を議論するときに、「自分たちはフェアにやれている」「本音を言い合えているから大丈夫」と、考えることを停止した瞬間にDE&Iが遠のきます。
「うちは大丈夫」という言葉が出ると、実際に不公平や働きにくさを感じたり、違和感を持ったりする人がいても口をつぐんでしまう。するとまわりも、「やっぱり大丈夫なんだ」と現状への肯定を強めていくことになります。
── そうしてバイアスは強化され、悪循環が続くわけですね。
 ビジネスシーンでは、空気を読む能力が問われやすい。それがバイアスを隠し、ステレオタイプを正当化することにつながっている気がするんです。
 ただし、「バイアス=悪」と単純に言い切ってしまうことも危険なのではないかと考えています。すべての人に、さまざまなバイアスがある。それを持っていることを否定し、排除して終わりにするのではなく、なぜそうしたバイアスが生まれたのか、その前提から考えることが重要なのだと思います。
富永 文化的なものでもありますからね。たとえば日本語の「男女」という言葉は、男性が先で女性が後という序列を刷り込みます。こうした偏見を全部壊していくのは大変ですが、偏りを意図的に中和していくことはできると思います。
 たとえば「男女」と言わず、「女性、男性」と言う。「父母」と言わず、「親」と言う。こうしたエクササイズを行うことで、自分自身もバイアスの中和を意図的に考えるようになりますし、話す相手にも違和感を持ってもらって、固定観念に気づいてくれるといいなと思います。
 今までの型やステータスクオ(現状)を壊す、つまり「ディスラプション」をもたらす必要性が、今の日本には求められていると思います。

VRはリアルのDE&Iをどう進化させていくか

── 皆さんが取り組む「DE&I Training in VR」でも、今日のようなテーマについてディスカッションするんですよね。VR空間でのコミュニケーションには、どんな可能性があると思いますか。
宮崎 これまで電通やMetaとプログラムの内容について話し合い、トライアルイベントとして3社の社員を対象にしたワークショップを行います。
 セプテーニグループでは定期的にDE&Iについて考えるイベントを開催していますが、今回、社内で参加者を募ったところ、これまでそれほど積極的にDE&Iイベントに参加してこなかった社員たちも手を挙げてくれました。これもVRの効果かなと思っています。
 先ほどテーブルを広げ、関係人口を増やすという話が出ましたが、VRのような新しいテクノロジーとDE&Iのようなイシューを掛け合わせることで、興味を持って参加してくれる人が増える。物理的なテーブルを大きくするには限界もあるけれど、VR会議室なら比較的容易に拡張できますからね。
富永 今回、Metaが提供しているVR会議室「Horizon Workrooms」は、何より遊び心のある楽しい空間です。Meta Quest 2を使って入室することで、参加者が同じ場所にいるような感覚を共有することができます。
「Meta Quest 2(旧・Oculus Quest 2)」2020年10月に発売したVRヘッドセット。
 ユーザーが自分自身でパーツを組み合わせてつくる「アバター」を通じたコミュニケーションは、実社会で初対面の相手に抱いてしまうジェンダーや年齢など外見によるバイアスを和らげてくれるかもしれません。
 Metaが考えるアバターとは、アイデンティティを表現するものであり、仮想空間における自己表現の選択肢は現実の世界と同じく多種多様にあります。
 顔や髪の特徴、ファッションはもちろん、体型、肌の色、人工内耳まで、インクルーシブな選択肢がたくさん用意されています。また、Quest 2の設定メニューには「アクセシビリティ」というタブがあり、色弱の方の視認性を高める設定もできるようになっています。
 自分のアバターを選ぶときは、好きに何でも選べるというだけでなく、どうしてこのような「インクルーシブ」な選択肢があるのだろう、誰のためにあるのだろうと、DE&Iについて考えるきっかけにしてほしいと思います。
宮崎 リモートワークによって生産性や心理的安全性が高まったという声もありますが、一方で、人と会えない状況や自宅の環境で働くことをストレスに感じている方もいます。
 私はこのHorizon Workroomsを使ってみて、オンライン会議よりも近くで人と触れ合っている感覚と、現実よりも気軽にコミュニケーションを取れるメリットがあると感じました。
 たとえばこれをチーミングの場として活用できれば、実際に会ったときに「あのときの!」と盛り上がると思います。初対面の仕事相手とハイタッチする機会はあまりないと思いますが、Horizon Workroomsでは自然とできてしまうんです。
 これからVRでの自己表現やコミュニケーションの方法、空間の楽しみ方も、大きく変わっていくのではないでしょうか。
各自が考えるDE&Iの処方箋を、付箋に書いて貼り付けていく。机上のパッドはホワイトボードと同期している。
 こうしたDE&Iのセッションは、「楽しい」ことがいちばん重要だと思います。
 なぜなら、先ほどのステレオタイプやバイアスの話にせよ、公平な仕組みづくりにせよ、DE&Iには「ここまでいったら終わり」というゴールがなく、ずっと続いていくものだからです。問いかけることや、対話すること自体が楽しくなくては持続しないんですよね。
 そのうえで、VR空間で感じられたDE&Iの課題や可能性を現実世界でも諦めず、むしろそれを積極的に持ち帰ろうとすることも大事です。そうすることで、バーチャルの世界から生まれた種が、現実の社会にも新たな可能性を生んでいくことになる。
 これから展開していくトレーニングでも、参加する皆さんが「楽しかった」とその経験を単にありがたがるだけではもったいない。
 もっとわがままに「自分にはここが使いにくい」「もっとこんな機能がほしい」「自分を表現するにはこのパーツが足りない」「どうすれば、もっと現実世界と結びつけられるのか」と、Metaさんにどんどん要求するようなことが起こってほしいですね。
富永 そうですね。そうして希望や要求を発信していただくことで、メタバース空間はよりインクルーシブに進化し、その進化を現実の世界にフィードバックできます。
 Horizon Workroomsはオープンなビジネス会議の仮想空間です。さまざまな業界の企業や行政、教育、研究機関の皆さんに体験していただき、現実社会の課題や希望を顕在化させるような多様な意見を聞きたい。
 この新しいコミュニケーションの場を、DE&Iを推進する対話の場として進化させる方法を、一緒に考えて実践していきたいですね。
ディスカッションを終えて振り返ると、いつの間にか南の島に。隣のDaisukeさんとハイタッチしたら手から星が飛び散りました。