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震災被害の検証は「達成感があった」と自画自賛

子どもに自己責任論を押し付けた、検証委員会

2014/11/25
私たちの生きている社会はいま、圧倒的に弱い立場にある当事者たちの痛みや思いを感じとり、きちんと耳を傾け、丁寧に寄り添えているのだろうか。立場ある者が、目先の営利や名誉、効率性ばかりを優先していないか。これから記そうと思っていることは、長く当事者たちに接してきたジャーナリストとしての自分自身への問いかけでもある。
前回の連載に引き続き、学校管理下にあった児童74人、教職員10人が東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の惨事はなぜ起きてしまったのか? そしてなぜ、その後の検証が適切に行われなかったのかについてリポートしていく。

東日本大震災の大津波で、児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の大川小学校。

なぜ学校管理下で大川小だけが突出した犠牲者を出したのか。

その原因を探るため、文科省が委託した検証委員会は、今年2月に最終検証報告をまとめた。

当日、新北上川沿いにある標高わずか1メートルほどの学校で、危機が迫っているにもかかわらず、子どもたちの命を預かっていた教職員は、津波が来るまでの50分近く、校庭に待機し続けた。

子どもたちは結局、学校のすぐ裏手の山への避難ではなく、民家の裏の路地を回って河川堤防へ向かったとされ、ほぼ全員が津波にのまれた。

遺族が求めていたのは、「なぜ50分も留まったのか?」と「なぜ狭い路地を川に向かったのか?」の2点を徹底的に検証することだった。

ところが、今年2月、検証委員会は最終報告で、「避難開始の意思決定が遅かった」ことと、「避難先を河川堤防付近にした」ことの2点を直接的な要因と結論づけた。なぜに対する答えは、そういう行動をとったからという、遺族がすでにわかりきっているものだった。

しかも、この日、出席した委員は10人中、わずか4人だった。欠席の主な理由は「体調不良」だという。

検証委員会は、設置に当たり、「徹底的になぜを繰り返します」「背後の要因に踏み込み、すべて明らかにします」「責任の所在を明らかにします」などと力強く遺族に説明した。

しかし、この方針は最後にはなくなり、結局、踏み込むことはなかった。

「子どもが自ら判断・行動する能力の向上」

そんな最終検証報告を突きつけられた遺族側が、100項目以上にわたる疑問を指摘している前で、検証委員会は「限界があった」「不十分であった」ことを認める一方で、「ささやかな達成感があった」「勉強になった」などと自画自賛してみせた。

さらに、検証委員会は「事実は明らかにならなくても提言はできる」などと開き直り、24の提言を発表した。

そこに並んだ提言は、「監視カメラを設置する」「衛星電話等によるシステムの確立」など、一般的なものばかり。

「監視カメラがなければ、大川小は助けられなかったのか…」

当時小学校6年生だったみずほちゃんの遺族で、「小さな命の意味を考える会」代表の佐藤敏郎さんは、首を傾げる。

「沿岸・沿川部の学校の立地に当たっては、津波や風水害を意識した立地条件を考慮する」「地域の災害考慮を十分に考慮し、起こり得る災害の種類別に危険性を考えて、これを校舎設計に反映する」

これらの提言も震災のずっと前からわかっていたことだった。

とくに遺族たちが許せないと言っているのは、「子どもが自ら判断・行動する能力の向上」という文言だ。

なぜなら、あの日、子どもたちは、校庭で「ここにいてはダメだ」「先生、山へ逃げよう」と口々に訴えていた。

「大川小の課題を踏まえた提言ではない」

遺族の佐藤敏郎さんはそう言う。

そもそも遺族たちは、このような第三者に丸投げの検証を望んでいたわけではない。

記者会見に臨む大川小学校事故検証委員会

記者会見に臨む大川小学校事故検証委員会

「たまたま親子だった」

遺族は元々、市や市教委との話し合いを求めていた。

ところが、2012年6月、遺族も市教委も入らない、第三者に丸投げするという検証委員会設置の予算2千万円が市議会に突然、計上された。

遺族は、検証委員会のことを報道で知った。市議会も、予算を凍結した。

その後、文科省が乗り出してきて、懸念を示す遺族に「責任を持ってやりますから」と押し切るようにして委員会を設置。

市の予算の凍結が解除された。

当初、入札で検証委員会の事務局を選定する話だったのに、いつのまにか随契で防災コンサルタントが決まっていた。

2000万円の予算は、検証が始まると、いきなり5700万円に増額された。

検証委員の委員と事務局は、親子だった。遺族が懸念を伝えると、文科省の担当者は「たまたま親子だった」と釈明した。

「どう考えても、支障があった。他の委員たちは、やりにくそうにしていました。血縁関係は、まず排除するべきだったのではないか。たまたま入ってしまったのなら、なぜどちらかが辞退しなかったのか」

遺族の佐藤敏郎さんは、そう疑問を投げかける。

検証委員会は、パブリックコメントをこっそりと募集。それでも全国から69人の意見が寄せられた。著名な学者からの検証への分析もあった。しかし、それらの声がどこにどのように活用されたのか、まったくわからなかった。

すべてが「形」だけの儀式のような検証。

「検証委員会を毎回傍聴してきましたが、子どもの顔が思い浮かばない。子どもの命とは、関係のない話ばかりしていた」

遺族の佐藤敏郎さんは「大川小学校の検証委員会を反省することが、これからにつながる」と訴える。

この最終検証報告案が示されたとき、委員会に急きょ設けられた意見交換会でも、遺族側から強い異論が噴出した。

遺族:「(最終報告案に)最大の被災地の血税を使った5700万円の価値がありますか?委員長」

室﨑益輝委員長:「私としては、その5700万円という金額を言われるとちょっとイメージができないですが、価値のある報告をつくったと思っています」

遺族:「それは委員長が思っているだけですよね?ここにいるみんなは誰も思いませんよ。違いますか?」

室﨑委員長:「私は、価値のある報告はできていると思っています」

発足から1年経って、最終報告を提出する直前の段階になってもなお、遺族とまったくかみ合わないやりとりが交わされていく。これが、学校管理下で多くの犠牲者を出した大川小学校において、文科省の推し進めた「第3者委員会」の真実だった。

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