2022/5/31

【提言】令和に伸びる企業の条件は、正しく「人に投資」することだ

NewsPicks Brand Design Editor
 経産省は2020年に「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書〜人材版伊藤レポート〜」を発表した。2023年には有価証券報告書への人材情報の開示義務付けが予定されている。

 これを契機として、上場企業を中心に「人的資本経営」への関心が急速に高まっている。だが、そもそも「人的資本経営」とは誰が、何のために、どのように実装するべきものなのか。具体論が語られることはまだ少ない。

 人を起点とした企業変革を請け負うエッグフォワードの代表であり、人的資本経営実践の第一人者である徳谷智史氏と、世界に先駆けて“非財務指標“に注目してきた投資家・渋澤健氏との対話から、「人的資本経営」の本質をひもとく。
INDEX
  • 見えない企業価値とは、すなわち「人」
  • 「人への投資」に失敗してきた日本企業
  • 「研修=人的投資」と勘違いしていないか
  • 測定や開示が「目的化」してはいけない

見えない企業価値とは、すなわち「人」

──「人的資本経営」という言葉は広まっていますが、具体的に誰が何をすればいいのか、どんな成果を目指せばよいのか。お二人はどうお考えでしょうか?
徳谷 まず「人的資本経営」について私なりに説明させていただくと、本質的には次のような経営の考え方を指していると思っています。
人財こそが企業における価値創出の源泉(=資本)であると位置づけ、戦略的な「人への投資」によって人材価値を最大化させ、事業成長へとつなぎ、企業価値を高めていく経営。
 古くから日本企業が「人材こそが財産」「人を大事にする経営」と語ってきたのと同じように聞こえるかもしれませんが、それとは明確に一線を画するものです。
 人的資本経営においては、“企業の存在意義であるパーパスを頂点として、経営戦略→事業戦略→人財戦略が一気通貫して連動していること”が極めて重要だと考えています。
 経営戦略を丁寧にブレイクダウンし、事業の各指標に落とし込み、それを実現するための組織設計をして、人材ポートフォリオを組む。そして、そのために必要な人材育成・採用の方針を設計する。
 また、企業視点だけでなく、多様化する「個人」のあり方を踏まえて、適切なモチベートとともに学びと経験の機会を提供し、キャリアの可能性を最大化していくデザインも同時に求められます。
 人事部門で新しいツールを導入すればよいとか、いくつかの指標を追えばいいといった単純な話ではありません。
 組織と人の関係、いわば企業のあり方そのものが問われる、抜本的な組織変革の取り組みだと捉えるべきなのです。
渋澤 非常に面白いですね。私が2008年にコモンズ投信を立ち上げたとき、強く感じていたのは「企業価値として可視化できているのは『氷山の一角』に過ぎない」ということでした。
 今まで、企業価値の指標とされていたのは、あくまで数値化できる「財務的価値」のみ。ですが氷山の下には、数値化できていない無数の「見えない価値」が隠れている。
 ならば、それらを可視化すれば、長期的で持続可能な「本当の企業価値」がわかるのではないか。そして、見えない価値とはすなわち「人」に集約されるのではないか。
「我が社の最大の財産は人です」と言う企業は多いですが、人は財務諸表で資産として計上されません。むしろ経営の実態においては、人件費=コストと考えられているくらいです。
 企業の最大の財産であるはずの人をコストとして削り取ることで、単年度の利益を上げて企業価値を高める……。短期的に見れば正解かもしれませんが、長期的に考えるとまったく腹落ちできなかった。だから、コモンズ投信は「世代を超えた長期投資」を目指しました。
 ただ、「人的資本経営」に注目が集まっているように、やっと日本でも人への投資の機運が高まってきました。
 明らかに風向きが変わったのは、ESG投資がグローバルで注目されるようになってから。ESG投資ではさきほどお話しした非財務的な「見えない」企業価値の可視化が重要です。
「費用としての人件費から、資産としての人的投資へ」を掲げて、2022年1月には内閣と経産省の主導によって『非財務情報可視化研究会』というワーキンググループも発足しました。今後、この流れはさらに加速していくでしょう。

「人への投資」に失敗してきた日本企業

渋澤 「企業の財産は人だ」と言われてきましたが、実はグローバルで比較すると、日本企業はまったく人に投資していないことがわかる象徴的なデータがあります。
 厚生労働省が発表したレポートによると、アメリカやヨーロッパに比べて、日本の能力開発費の割合は圧倒的に低水準です。しかも、数値は1995年から下がり続けている。
 能力開発の費用が可視化できていなかったのも問題でしょうが、要因として考えられるのは、終身雇用や年功序列で「背中を見て学ぶ」文化があまりにも根強かったこと。
 そもそも「人に投資をする」という考え自体がなかったのかもしれません。
 またバブル以降、経営者が長期的な目線での経営から、短期的な利益を求める経営──コストを下げて利益を確保する考えにシフトしていったことも原因の一つでしょう。
 それを繰り返しているうちに全体的なデフレになり、日本企業はゆっくりと沈んでいった。
 「人への投資」を疎かにしていた結果が過去30年で失われた日本の競争力につながっているので、日本企業はこの問題を直視せざるを得ないと思います。
徳谷 企業が持続的な成長をするのに不可欠な、人材の「獲得」と「維持」が一層難しくなったことも、「人の価値」が注目されている背景の一つですね。
 働き手は減っていくのに、外部環境は劇的に変化し続け、あらゆる業界・業種・規模の企業に、ビジネス構造の変革や新規事業の創出が求められています。
 そのときに必要なのは人のクリエイティビティであり、そのようなシーンを支えるリーダーに他なりません。
 さまざまな企業の支援を通じて痛感するのは、伸びる企業はおしなべて経営者が「人への投資」を重視している点が共通する、ということです。
 私たちエッグフォワードは創業以来、「企業価値の起点は『人』にある」と信じて、大企業からスタートアップまで多くの企業の組織設計・人材育成を支援してきました。
 その根幹にある思想は10年以上前の創業時から変わっていませんが、まさに冒頭でお話しした“人的資本経営の本質”と大きく重なり合っています。
 パーパスやミッションを頂点として、事業から組織、人材までの各戦略を「縦軸の一貫性」でつないでいくこと。
 そのうえで、人材の採用・育成・評価・活躍支援といった「人へのアプローチ」を横軸として組み合わせることで、企業に大きな変革のうねりを起こすことができると確信しています。

「研修=人的投資」と勘違いしていないか

──「人への投資」ができている企業、できていない企業の違いとは?
徳谷 何をもって「人への投資」と考えるか、という点が重要です。
 たとえば経営者の方々に「きちんと人に投資していますか」と聞くと、「採用活動や研修費には一定投資している」とご意見をいただくことが多いです。
 しかし、人への投資とは「採用」や「研修」だけを指すのではないですし、KPIの設定次第では、本質から外れてマイナスに働くことすらあります。
 採用であれば、事業やバリューに応じて、どんな人材をどういった割合で採用するか?
 育成であれば、人材にどんな動機づけをして、何を学ばせるか? どんな経験を積ませるか? その結果を企業成長にどのようにつなげるか?
 これらを検討し、設計し、実践することすべてが「人への投資」といえます。
 また、若手であれ、中堅以上であれ、新たな挑戦がなければ人の可能性は最大化しません。人材育成において最たる投資といえるのが「機会提供」だと考えています。 
 トレーニングはもちろん大切ですが、個人のWILLや成長を事業の成長と結びつけて、挑戦できる環境にアサインすること、つまり機会提供の仕組みをセットで設計することが、企業にとって最も重要な人的投資といえます。
渋澤 そのとおりですね。たとえば、所属部署で活躍しているエース人材を他部署に異動させる。これは短期的には経営にとってダウンサイドを生みますが、中長期では経営の中核を担う人材に成長するかもしれない。
 まさに投資であり、その意思決定ができるかどうか。経営者の意思と覚悟が問われるのだと思います。
徳谷 同じ理由で、人材育成を「人事だけ」に任せている会社は、きちんと人に投資できていないケースが多いと感じます。
 人事の方を否定する意図はまったくないのですが、人材育成に経営視点が入らないと、人とカルチャー、人と事業の接続がどうしても弱くなってしまう。
 研修ひとつとっても、「何のためにやるか」が曖昧なまま、毎年やっているからという理由で、何年次研修といった全員一律の研修を継続している企業は少なくありません。
 やはり、経営者やCHROが全社視点を持って組織と人材に関わることがとても重要です。
 企業の「根っこ」の部分をカルチャーや事業などからひもとき、それにひも付いた組織戦略や人材戦略を導くことが大切だと考えています。
渋澤 とても大切なことですね。経営と現場の「適度な近さ」は、すべてのセクションにとって必要不可欠です。

測定や開示が「目的化」してはいけない

──今後、上場企業は人的資本経営に関する情報の開示が求められる見込みです。実践の視点から、企業はどう考え、取り組むべきでしょうか。
徳谷 実際、大手各社からの支援依頼は増えていますが、大前提として「開示そのもの」が目的化してしまってはいけない、と強く感じています。
渋澤 なるほど、と言うと?
徳谷 ある企業の例ですが、いわゆる「従業員エンゲージメントサーベイ」の結果を情報開示すると定め、そのスコアを上げることが至上命題になっていたケースがあります。
 「サーベイスコアの向上」をKPIにしたために、経営陣やマネジメント層は「エンゲージメントが低い人」をケアするべく、モグラ叩き的な個別対応に追われていました。
 結果として、本来は事業・組織を牽引するべき人材への投資や機会提供がおろそかになり、組織がじわじわと停滞。ひいては事業の停滞にもつながっていきました。
渋澤 そういった話はよく耳にします。本質的ではないKPIが目的化すると、組織が誤った方向へ進んでしまう。
 重要なのは、何のために人に投資するのか、企業として何を目指しているのかを明確にして、意思と覚悟を持って人材と向き合うことに経営者が心から腹落ちしていることですね。
 逆に、腹落ちしていない経営者がうわべだけのキーワードを拾って「人的資本経営」をやってもうまくいかないでしょう。
徳谷 同感です。経営陣が、その腹落ちを言語化して、他の経営メンバーや現場のマネジメント層、社員に正しく伝えられるかが肝になると思います。
 そもそもなぜ事業をやるのか、そして人に投資するのか。その意図がきちんと示されなければ、いつまでも「やらされている感」が拭えません。
 昨今は「パーパス(企業の存在意義)」という言葉もよく聞きますが、企業活動の根底にある「何のために会社があるのか」を、スタートアップに限らず、すべての企業が問い直す必要があるでしょう。
 そして、パーパスにひも付いて一気通貫した事業・組織・人財戦略を描くことが、経営の本質になっていくのだと思います。
渋澤 企業と同様、これまで以上に働く側も自分のパーパス、つまり「なぜここで働くのか?」を考える必要が出てきますね。
 どの組織に属そうが、一人一人が短い人生の中で何をやりたいのか、何を得たいのかを考える。その上で、自分にとって最適な場所を都度選択していくのです。
 そして、個々人の「パーパス探し」をサポートするのも、企業の役割のひとつでしょう。
 最初から「やりたいこと」や「成し遂げたいこと」が明確な人はほんの一握り。多くの人はいろいろなことを経験するなかで、少しずつその輪郭をつかんでいくのです。
 だからこそ、「人的投資=機会提供」という話に通じますが、一人ひとりに挑戦の場を用意できるかが重要になります。
徳谷 労働環境を良くしたり、福利厚生を充実させたりといった“守り”の働き方改革はもちろんですが、社員の働きがいや本質的な満足を追求する“攻め”の改革も必要ですね。
 どんなに素晴らしいパーパスを掲げたとしても、組織にいる人々が自分のパーパスとの重なりを見つけて「自分ごと化」できなければ、絵に描いた餅になってしまいます。
 そうならないためにも、経営者主導で自社の存在意義を問い直し、強い意志を持って「人への投資」に踏み切る必要がある。
 私たちエッグフォワードとしても、企業が目指す姿、つまりパーパスやミッションの実現と、個人の自己実現が高次元で両立できるよう、全力で支援し続けていきたいと思います。
  本特集では、エッグフォワードのクライアント支援事例から、大企業・スタートアップ・専門家集団という異なる組織の変革例をひもとくことで、「人的資本経営の実装」について掘り下げていきます。