「お金をかけなくても学力は伸びる」高学歴家庭の会話によく登場する"接続詞"2つ
コメント
注目のコメント
知識基盤社会では、思考力が格差をつくる核であることに違いありません。
高所得家庭では会話や蔵書、経験の機会のスケールも質も桁違いです。
では、その日の暮らしに不安がある低所得の家庭で、数年先を思い描く戦略的な投資ができるかというと難しいですよね。まず日銭を稼ぐために短期的にリターンのある仕事を選ぶのが戦略なのです。この思考がベースにあると、記事にある長期的な戦略を考えることがいかに難しいか。
また、新たな経験より、今できることを仕事にするので、「例えば」の数も増えないし、「つまり」という要約をする必要もない。ですから、具体と抽象を往来するという思考回路で子どもと接する機会も相対的に少ないでしょう。
結局、思考力格差は再生産されていくので、話し方といった小手先の技術だけで、学力が上がるなどと言うのは危険だと考えます。低所得だとしても、長期的に生活が保障されることが先でしょう。これを可能と言っていいのか?実質不可能と捉える人の方が多そうなメッセージ
“子の意志を尊重すること、
親が子にかける言葉を適切に選ぶこと、
親が精神的に安定していること、
ガミガミ言わず穏やかな家庭環境を維持する、
親が読書や勉強している姿を見せる、
論理的な会話を心掛ける、
子が自分で考え自分で判断するよう促す、
挑戦を称える、
失敗を許容する、
好きなことに没頭できるようサポートするなどで、
日常的に思考する習慣ができ、高学歴になる(ないしは自己責任で自分の進路や生き方を選択できる)ような育て方は可能なのです”「考えさせる」というアクションを小さい頃から習慣にさせるのは良いことです。
これを親がしたいように命令して萎縮させると考えるチカラは育まれない。子どもがどんな行動をしているかを良く観察し判断するのは親の役目だし、家族の役目でもある。
私、生まれて3ー4ヶ月、生存のために箱に入っていました。親は知能のを心配したそうですが、遊びに行った先の叔母さんが私の行動を見て「大丈夫だね」って言ったそうです。言った言葉は聞いていないのですが、遊びに行ったことは覚えています。行くたびにお菓子くれました。
それにしても、世間では買い物している親子を見ていると、「こうも違うか」と思うことはある。j