2022/5/31

【広島】モノではなく「お好み焼き」というコトを売る

ノンフィクションライター
「お好み焼きといえばオタフク」と連想する人は西日本に行くほど増えるのではないでしょうか。製造する「オタフクソース」が創業の地・広島で、原爆投下後の復興を支えたソウルフードがお好み焼きです。

オタフクソースの歴史は、お好み焼きを普及させてきた歴史そのものです。2022年で創業100周年、現在の経営陣は佐々木家の親族8家による同族経営で、非上場を維持してきた実像はあまり知られていません。

グループの売上高は約250億円、社員数600人あまりと、広島の中核企業に成長しました。8代目の佐々木孝富社長が語る経営哲学は、斜め45度でほほ笑むシンボルマーク「お多福」に込めた「多くの人に福を広める」という願いそのものでした。(全4回)
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INDEX
  • ソースだけではない総合食品メーカー
  • 鉄板でこぼれるウスターソースがヒント
  • 「チクロ」問題で創業以来初の赤字
  • 広島の屋台から全国へ、カープ優勝も契機
  • モノではなくコトを売るビジネス
  • コロナで右肩上がりの成長足踏み
佐々木孝富(ささき・たかとみ)/ オタフクソース代表取締役社長、オタフクホールディングス専務取締役
1968年5月17日生まれ。1992年3月に慶應義塾大学商学部卒業、同4月に三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)入行。1995年4月オタフクソース入社。営業本部マーケティング部長、同本部長を経て2005年取締役、2014年オタフクホールディングス常務、2018年同専務、2020年10月から現職。

ソースだけではない総合食品メーカー

「お好みソース」が有名なオタフクソースですが、他にも焼きそばやたこ焼きといった「鉄板・粉もの」向けソースを製造しています。また、とんかつソースや中濃ソース、ケチャップ、醸造酢など各種調味料、小麦粉などお好み焼きの関連材料をセットにした「お好み焼きこだわりセット」、トッピングになる「天かす」、ソースの原材料の果物「デーツ」を食用に販売するなど、実はカテゴリーが多岐にわたる食品メーカーです。
提供・オタフクホールディングス
広島では「各家庭に必ず、オタフクソースとマヨネーズがセットである」と言われるほど親しまれています。2022年11月に100周年を迎えるにあたって、佐々木孝富社長が打ち出したのは「原点回帰」でした。
佐々木 「『100周年』には、皆さまへの感謝しかありません。次の100年をめざすにあたり、自分たちが大事にしてきた本質は何かを再確認し、新しい時代に何を打ち出すかを考えて、進化しようと考えています。
これまでの『鉄板・粉もの』文化を普及させる取り組みが、どこまで機能したか。お客さまの要望を最大限、取り入れるとしても、そこから得られる情報をフィードバックする仕組みが中途半端になっています。そうしたことを、きちっと中期的に行うことが、ひいては会社のため、お客さまのためになるはずです」

鉄板でこぼれるウスターソースがヒント

オタフクソースの歴史は1922(大正11)年、広島市でしょうゆ類の卸と酒の小売業「佐々木商店」として始まりました。その後、醸造酢メーカーに転じ、1938(昭和13)年にブランド名を「お多福酢」とします。
昭和35年頃の工場(提供・オタフクホールディングス)
そして1945(昭和20)年8月の原爆投下で製造設備が全焼。戦後に再開し、「これからは洋食の時代が来る」と、1950(昭和25)年からウスターソースの製造販売を開始します。でも競合他社がすでに多く、問屋で扱ってもらえません。「他と違うことをしなければ生き残れない」と起死回生で取り組んだのが、焼け跡に立ち並んだ屋台にひんぱんに足を運び、「御用聞き」をすることでした。
戦後の混乱期、当時は鉄板の上で小麦粉を溶いて焼く「一銭洋食」、お好み焼きのルーツとなるおやつが親しまれていました。味付けとして当時、一般的だったのはウスターソースをかけること。でもサラサラで、すぐ流れ落ちてしまい、焦げやすく蒸発しやすいことが各店の「お悩み」と分かってきます。
ある時、八宝菜にのった「あんかけ」を参考に、ソースにとろみをつけるアイデアが生まれます。これなら流れ落ちないし、おいしく食べていただけると、専用の「お好みソース」が誕生しました。1952(昭和27)年に発売開始。屋台という「ブルーオーシャン」を見つけ、お好み焼き専用のソースという「高付加価値」をつけたのです。
昭和37年頃の工場内の様子(提供・オタフクホールディングス)
「祖父、佐々木清一の仕事はすごかったと思います。酢からソースに行き、お好み焼きに進出したのは大転換で、よく決断したと思います。社員ができる限り現場に足を運び、取引先に直接お会いし、スーパーなどでお客さまの前で実演販売をするなど、『顔が見える仕事をする』というオタフクの原点は、屋台の時代に培われたものです」

「チクロ」問題で創業以来初の赤字

野菜の甘みを引き出した「お好みソース」で、佐々木商店は順調に売上高を伸ばしていきました。ですが1969(昭和44)年、大激震に見舞われます。ソースの原材料としてきた人工甘味料「チクロ」に、発がん性の疑いがあるとして米国が使用を禁止し、日本でも食品添加物としての指定が取り消しとなりました。これを受け商品の自主回収と交換を決断、創業以来初の赤字決算となりました。
「100年の歴史の中で会社が一番しんどかったのが『チクロ問題』です。大幅な損失が出たうえに、お客さまとの信頼関係をつくり直すのには時間がかかりました。ただ、その時の迅速な対応が後に評価され、よりお客さまとの関係性が深まりました」

広島の屋台から全国へ、カープ優勝も契機

昭和30-40(1955-65)年の広島では、お好み焼き店は屋台ではなく、住宅の一部を改装した店が増えていきます。「〇〇ちゃん」という屋号の店が多く、戦争や原爆で夫を失った未亡人が開いた店が多かったからともいいます。
広島のお好み焼きは小麦粉を鉄板に薄くひき、キャベツや天かす、モヤシ、豚バラ肉などの食材をのせ、さらに麺や卵を重ねるのが特徴です。麺をのせる文化は、関西や関東とは異なります。戦後の屋台の時代に、近くの店と材料を融通しあっているうちに生まれたスタイルといわれています。
昭和30年代のお好み焼き店を再現したオタフクの展示(提供・オタフクホールディングス)
1975(昭和50)年に社名を「オタフクソース」に変更、広島県外への本格進出は1980年(昭和55)前後になりました。「顔の見える仕事をする」ことと、商品の品質を保持するため、広島県内と中国・四国地方を中心とせざるを得なかったためです。その後、品質を長く保つ技術が進み、徐々に商圏が広がります。
1975年に広島東洋カープが、球団史上、初のセ・リーグ優勝を果たしました。2021年11月に惜しくも死去した名将・古葉竹識監督の指揮の下での快挙でした。この時、広島市内のお好み焼き店で歓喜する顧客の様子がテレビで全国中継されたことで、広島のお好み焼きの知名度が一気に高まり、それと合わせてお好みソースも広がりました。

モノではなくコトを売るビジネス

近年は広島名産のカキ、天かすなど具材も豊かになりました。「野菜がたくさん入ってヘルシーな、広島のソウルフード」として、オタフクソースは普及します。
オタフクソースは1987(昭和62)年には東京に「お好み研修センター」を開設しました。お好み焼き店の開業を検討する事業主に、お好み焼きの焼き方を指南する施設で、その後も研修会は全国で定期的に開催しています。ソースのメーカーが、そこまでお好み焼きにこだわる理由とは何なのでしょうか。
gyro / iStock
われわれのビジネスは『モノ』ではなく『コト』を売るためにあります。お好み焼きを提案し、付随する調味料や食材、ソースを売るのです。社員たちには定期的に、お好み焼きを焼く研修を受けてもらっていますが、われわれが自ら『お好み焼き店』に進出することはありえません。
社員たちには、磨いた技術を店頭でのデモンストレーションや、学校での食育活動など教育現場で伝えてもらい、普及とさまざまなビジネスの提案につなげる努力をしてもらっています」

コロナで右肩上がりの成長足踏み

コロナ禍はオタフクソースにも大きな打撃となりました。グループの売上高は約250億円で、国内事業の売上高が前年割れ。このうち、家庭用は「巣ごもり需要」などで堅調だったものの、業務用が落ち込みました。これまでの右肩上がりの成長が、やや足踏みとなりました。
「2020年前半、3-5月は家庭用でたこ焼き用やお好みソースが供給しにくくなるほど伸びました。巣ごもり需要でお子さんたちが家にいたからでしょうね。コロナ禍で、家族で団らんして食べる楽しさが見直されたように思います。そうした層に向けた新しい商品を考えていく必要はあるでしょうね。
前回落ち込んだのは2012年9月期で、前年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『てっぱん』で急伸した分の反動減でした。『てっぱん』は広島県尾道市出身の少女が大阪に出てお好み焼き店を開業する物語でした。当時は私が営業本部長だったので、責任を感じたものでした」
オタフクソースは2021年に創業100年目を迎え、創業記念日の11月26日から、2022年の100周年に向けて、周年期間としてさまざまな施策を行い、盛り上げていく予定です。商品のパッケージに「100周年」のロゴを入れる、記念誌の発行、「お客様感謝の会」などイベントも計画しています。
Vol.2に続く(※NewsPicks +dの詳細はこちらから)