2022/5/24

【石川】過疎地の「小さい、弱い、遠い」が新規事業のメリットに

ライター
東証一部上場の医薬品商社「アステナホールディングス」は2021年6月、本社機能の一部を能登半島先端の石川県珠洲市に移転しました。コロナの流行以前から取り組んでいた「テレワーク」の経験がその決断を下支えしました。
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INDEX
  • 五輪をきっかけにテレワーク
  • 本人の希望で社員6人が珠洲へ
  • 「小さい、弱い、遠い」が新規事業ではメリットに
  • 10億円のファンド、持続可能な事業に投資

五輪をきっかけにテレワーク

東京五輪開催をひかえた2018年、アステナホールディングス・岩城慶太郎社長は社員に呼びかけました。
「五輪期間中は都心部への通勤ができないから本社をクローズします。今後はできるだけ家で仕事をするように」
社長みずから率先してテレワークを実践しましたが、2018年の在宅勤務率はわずか2パーセントでした。
「家だとテレビがあって集中できないって社員が言うんです。『それは君の問題だ!』と叱ってしまいました」
その後、次第にテレワーク化がすすみ、役員会はオンラインになり、本社の人事や営業部門の在宅勤務率は9割を超えるようになりました。
岩城社長はそもそも本社にいるのがきらいでした。社長室に座っているぐらいなら、工場や顧客を訪ねるべきだからです。
接待やゴルフ、出張があるから一定期間は東京にいなければなりませんでしたが、2020年春からのコロナウイルスの流行によって、接待もゴルフも出張もなくなり、岩城社長の労働時間は1/3に減ります。
「めちゃめちゃ不安になりましたが、労働時間の7割が、移動(出張)と会食とゴルフに占められていたことに気づきました。コロナが原因で本社機能を移転するわけではないけれど、コロナでひまになって、なにか新しい働き方ができるのではないかと考えるようになりました」

本人の希望で社員6人が珠洲へ

一般にテレワークやサテライトオフィスは、管理や営業の部門に導入することが多いけれど、アステナは珠洲本社を「新規事業の研究センター」と位置づけています。また、障害者の雇用を担う部門も設けました。
珠洲市中心部にある「珠洲ESGオフィス」
珠洲の社員は2022年2月現在6人です。
そのうちの1人は、本社の部長に岩城社長が声をかけました。
別の元課長は、珠洲に来てすぐ定年になり再雇用になりました。再雇用だと給料は削減される仕組みなので東京では生活が大変です。珠洲ならば以前からあこがれていた農業も手がけられます。勤務のかたわら、広大な畑を耕しています。
珠洲で働く人たちの様子を聞いて、「僕も行ってもいいですか?」と1カ月後にやって来た情報システム部の社員もいます。
冨田遼太朗さんは転職組です。
転職組の冨田遼太朗さん
冨田さんは当初、「珠洲」がどこにあるのかも知りませんでした。妻と4歳の子とはじめて訪れた際、空は真っ青、大好きな沖縄と同じくらい海が透き通っている。なにより魚がおいしい。「ふるさと」のイメージにぴったりでした。
東京の会社では、1時間半かけて電車で出勤して、家に帰ると午後9時半。子どもとはほとんど顔を合わせられませんでした。珠洲では通勤時間は車で3分です。
自然のなかで遊びたくても、東京ではお金と時間をかけなければならない。珠洲では、目の前に山や海が広がっています。
なによりうれしいのは食事がおいしいこと。タラ、ブリ、アジ、イカ……。関東では手に入らなかったり高かったりする魚が、珠洲では毎日食べられます。しかも、新鮮で歯ごたえがあって脂ものっています。
「そんな魅力が伝わったら、珠洲に移住する社員さんが増えると思いますか?」
私(筆者)が尋ねると冨田さんは答えました。
「本当に大切なのは何だろう、何を大事にして生きていけばよいのだろうって真剣に考えると、いろいろ見えてきます。その延長に移住があるのかなと思います」
岩城社長は「30人くらいは珠洲に来るんじゃないかなぁ」と予想しますが、転勤は強制せず、あくまで希望者のみに来てもらうつもりです。

「小さい、弱い、遠い」が新規事業ではメリットに

アステナに入社して珠洲に赴任した冨田さんに割り当てられた仕事は、健康食品の原料となる霊芝(れいし)などの植物の栽培でした。
農業の知識はゼロだけど、いずれは農業を経験したいと思っており、2022年は、「6次化」やマーケティング、ブランディングを進める予定です。
霊芝栽培の様子=提供写真
「今までかかわってきたビジネスは、お金があるところからいただくという感じでした。今は、本当に大切なものは何? 本質って何? と意識しながら働いています」と冨田さんは話します。
珠洲本社ではこのほか、大学などの研究機関と連携して農産物のブランド化をはかったり、能登への移住希望者を対象にした転職支援サイトづくりも手がけようとしています。
新規事業を都会ではじめようとすると、役所や利害関係者との調整が大変です。
たとえばドローン(小型無人機)を使った薬品の輸送を実験するにも、東京ではあちこちの許可を取らなければドローンを飛ばすことさえできません。珠洲では一定の手続きを踏めば飛ばせる範囲が非常に広いです。
交通量が少ないから、車の自動運転の実験をするにも適しています。
大規模な自治体では、新しいことをしようとすると縦割り行政が壁になります。人口1万3000人の珠洲市役所にも縦割りの弊害はありますが、調整ははるかに簡単です。
「小さい、弱い、遠い、という特徴が、新規事業を立ち上げるうえでは全部メリットに変わっていくんです」
岩城社長はそう実感しています。

10億円のファンド、持続可能な事業に投資

自社で新規事業を立ち上げるだけではありません。2021年7月にはファンド総額10億円以上の「のとSDGsファンド」を地元の金融機関と協力して創設しました。国連の提唱する「持続可能な開発目標(SDGs)」に適合する事業に投資するのが目的です。
たとえば2021年には、能登町の老舗の鍛冶屋「ふくべ鍛冶」への投資を決めました。
市販の包丁の9割以上が一回も研がれないまま廃棄されています。一本の包丁を大切に使ってもらうため、「ふくべ鍛冶」は「包丁研ぎの通販:ポチスパ」をしています。包丁を研ぐ作業の一部を機械化することで、生産性を向上させる取り組みに出資しました。
また、アニマルウェルフェアの取り組みとして競馬の引退馬を活用するプロジェクトなども候補にあがっています。
岩城社長は、外貨を獲得する「エクスポーター」と内需に依存する「サーバント」を峻別します。補助金行政は典型的な「サーバント」です。内需依存型では、人口が減って内需が減ればさらに補助金に依存する人の割合が増えて財政に負担が重くのしかかります。
「地方の多くでは10人中7、8人がサーバントで、外貨を獲得するエクスポーターは1人か2人しかいません。外貨を獲得するビジネスをしなければ価値は生み出せません。ふくべ鍛冶さんは外貨を獲得しエクスポーターになろうとしている。そういう取り組みを応援したい」
アステナが能登で新規事業を手がけるには若手社員の存在が欠かせません。彼らが個人的に珠洲移住を希望しても、配偶者を説得するには大きな壁があります。子どもの教育です。
Vol3に続く(※NewsPicks +dの詳細はこちらから)