東京ブラックホール “秘録” バブルの時代
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十代の頃、テレビでこの光景を見ていて、それは偏っていた部分もあったと思うけど、東京に対して大変な嫌悪感を持つようになった。地元にも居場所がないけど、東京にも何の未来もなく、どうしようかな、と。あと、カジノがどういう世界なのかよくわかる。
団塊ジュニア世代と呼ばれる世代に含まれる私は、バブル崩壊直後の就職氷河期と呼ばれた1995年に大学を卒業して社会人になった。少し上の先輩たちが滑り込んだバブル末期の最後の勢いも途絶え、就職活動もとても苦労したが、東京の小さいコンサルティング会社に拾ってもらった私は、東京にまだ残っていたバブルの残り香のようなものを感じて過ごした。
バブル崩壊直後とはいえ、金曜日の夜の六本木や青山は、まだまだバブルの狂乱を忘れられないし忘れたくない当時20代30代の先輩方が激しく遊んでいたが、そんな宴の最後の盛り上がりもほどなくして消えた。急速に景気が落ち込んでいくのを肌で感じ、大手銀行や証券会社に就職した先輩たちが次々に退職に追い込まれ、「一流企業に入ったらその後の人生安泰」というものが完全に幻想だったのだと知った時、しっかり自分自身を見つめ直して、自分自身に投資をしなければと思い、それまでぼやっとした願望でしかなかった「留学」というものを真剣に考え始めた。
そんなきっかけを与えてくれたバブル崩壊は、私自身にとってはその後の自分の人生を変えた大きな大きな転機だったと思うと、個人的にはありがたいとすら思うが、その後の20年、ここまで賃金が上がらず、社会全体が貧しくなっている未来は当時まったく想像していなかった。バブル世代ですが、不参加でした。物価も高く極貧生活でしたよ。ディスコもチェックアウトされ、入れるディスコしか行ってません。
一部の地域の一部の職種の人達の話し。結果、その時に真面目に仕事をしていたので今が有ります。