2022/5/10

【福岡】「無駄だらけ」の鉄工所で見つけたヒットの種

編集・執筆
福岡・柳川の乗富(のりどみ)鉄工所。2017年、大手造船会社で「カイゼン」の手法を叩き込まれた3代目が戻ってきます。

効率最優先の大手企業。家業は結果オーライ。そのギャップに苦労する一方、そこらへんの端材で道具を生み出す職人の手際のよさにほれ込みました。

工程管理は正直ユルい。でもそこから職人の自由な裁量と工夫が生まれるのだ。

そんな気づきから、未開拓の領域のプロジェクトに挑戦。試行錯誤の末、初のBtoC商品としてキャンプ道具を独自に開発、ヒット商品となりました。

その軌跡を同社3代目、乘富賢蔵取締役が振り返ります。
この記事はNewsPicksとNTTドコモが共同で運営するメディア「NewsPicks +d」編集部によるオリジナル記事です。NewsPicks +dは、NTTドコモが提供している無料の「ビジネスdアカウント」を持つ方が使えるサービスです(詳しくはこちら)。
INDEX
  • 大手企業で学んだ「効率最優先」
  • 減る工事、増える競争
  • 「なんてムダだらけの職場」
乘富さん(左から2番目)と「ノリノリプロジェクト」のみなさん

大手企業で学んだ「効率最優先」

乗富鉄工所は水郷の街・福岡県柳川市に本社があり佐賀など3カ所にも拠点をかまえます。
河川の水の逆流を防ぐ水門をつくる仕事がメインで、公共工事を多く手がけています。年間の売上11億円のうち、水門関連が売上の6~7割を占めています。
3代目が取締役の賢蔵さんです。大学院を卒業後、すぐには家業に入らず、いったん造船会社に就職します。
乘富:入社してから、生産管理をやってきました。最初は船をつくる最初の工程(切断、曲げ、小組立)の管理業務に3年。シンプルで効率的な手順を作業員に示す仕事です。そのあとは組み立て工程の担当。船の世界では花形ポジションです。
人不足で残業が多かったので、残業時間を減らすことに取り組みました。ムダをなくして作業時間を1分でも1秒でも短くして、1人あたりの作業効率を上げるのがミッションでした。
そのメソッドを確立できたころ、「そろそろ戻らんか」と両親に言われて。プロジェクトの成果を出せるタイミングで実家に戻りました。
造船所に7年勤めた乘富さんは、戻って初めて、家業が置かれた現状を目の当たりにします。

減る工事、増える競争

創業73年になる福岡の乗富鉄工所。社員60人余りの「大きめの町工場」(乘富さん)
乘富:鉄工所は職人だった祖父・清藏が1948年に始めました。70年代までは「大手の下請け」 兼「町の便利屋さん」でした。製缶からカントリーエレベーターの建設までなんでも引き受けました。好景気で地方出張も多く、半年ほど帰らないこともあったそうです。
80年代以降は公共工事にも積極的に参入し、水門の設計から据えつけ、保守点検の仕事が増えていきました。会社は成長し、私が生まれたころには60人の社員がいました。
でも、いま水門の発注は減り続けています。1億円以上の案件が年に1つとれればいいほうで、あとは数百万円の工事を積み上げて売り上げを確保しています。
うちが事業をはじめた80年代、水門は鉄製でした。さびるので15年くらいでつくり替えていたのがステンレス製になり、寿命が伸びていまは40年以上はもちます。
10数年に1回、点検や部品の交換工事がありますが、水門をいったん外すなど人手がかかる割に売り上げはそれほどでもない。公共工事なので「価格破壊」は起こらないとはいえ、競争は激しくなっています。
福岡県大川市にある調整堰。乗富鉄工所が手がけ、1996年に完成した
乘富:繁忙期と閑散期の波もあります。水門づくりの工期は1~2年。ところが田植えが始まる5月以降は、水路の管理が始まるので工事ができないんですよ。
私の入社前から、夏の仕事を増やすことが課題でした。ただ、夏だけ仕事をさせてくださいというのは、なかなかむちゃな話です。
一方で冬は人手が足りなくなって、せっかく受注した仕事を断ることもあります。そんなアンバランスが30年来の課題です。

「なんてムダだらけの職場」

乘富さんは、造船所での業務改善とは真逆の現場にも戸惑います。
乘富:入社当初は、職人の仕事を手伝いました。
鉄工所の仕事の流れは、職人に材料を渡して「1カ月で仕上げてね」でおしまいです。管理のスパンがめちゃくちゃ長いうえにお任せなんです。
工程は、工場長の頭の中にしかない。すべてがユルユル。「意味分かんない、なんてムダだらけの職場」「全然管理されていないじゃん」と最初はあきれてました。
もっと効率的にやれるはず、と自分で進捗状況を整理しようとしたこともあります。でも、まったく書けませんでした。
というのも、職人1人ずつに裁量があり、自分たちで図面を書き、つくり、顧客と交渉までしてペースをつくるからです。
職人たちはジェネラリスト集団です。案件ごとにチームを組み、自分たちで手順を考え、現地調査をして、ペース配分も自ら決めています。
私は彼らを「モノがつくれる総合職」と呼んでいます。担当を細かく決めず、総がかりで仕事を進めます。ユルユルなんですが、このプロセスだからこそ、工夫や機転、発想が生まれることもある。
対して、造船所では分業が当たり前でした。1分1秒でも早く、きちんと仕事をこなすスペシャリストが求められていました。2~3時間単位で作業を管理して「これだけの人員を投入したら赤字になるからやめよう」という世界です。
このユルさが、大手にはない私たちの強みなのだと、働き始めて1年ぐらいで気づきました。
乘富さんはもう一つ、職人のすごさに気づきました。
工場には職人たちがつくった道具があちこちに。台車も図面なしでつくる
乘富:60代のベテラン職人と一緒に、熊本で起きた地震の復旧工事に入ったときのことです。資材もないような状況で、そこらへんにある端材を溶接し、道具に仕立てて使っていました。感心しました。
工場にも、やたら鉄製の補助道具が多い。椅子やついたて、台車、棚。ぜんぶ、職人が自分たちのためにつくっているんですよ。しかも図面なしで。驚きでした。
「これはすごいことではないのか」「何かに生かせるんじゃないのか」と思うようになりました。
職人は「DIYの王様」だと気づいたのです。
Vol.2に続く(※NewsPicks +dの詳細はこちらから)