「Netflixとアマプラに絶望した」人気アニメ脚本家が明かした「本音」
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注目のコメント
これは音楽で売れるものを作るには、曲を短く、最初にサビを、という話と同じで、さらに極論にすると、良いものではなく大衆受けのために意図的にメロディックなものにしたいということも同じ。
つまり芸術と商業はゴールが違えば手段も変わるということ。
それを使う側からすると、嘆くのではなく、それを踏まえて対象を分析することができる面に気付かないといけない。
ここに書いてあるような展開のドラマは商業目的の作品であるということ(芸術的でもある可能性はあり)。
最初からダラダラ系は商業目的ではないということ(芸術的でない可能性もまたあり)。『Netflixとアマプラに絶望した』と意見の人は、自分の周辺の狭い世界ですが、ほぼ皆無で便利になったと喜んでいる人がマジョリティです。
なので、こういう意見は、むしろ、『そんな人もいるんだ』的に映りました。全体的にフワッとした話と感じた。
例えばNHKアニメはCM入らないが民放での再放送も考えて基本同じフォーマットにしているし
逆に朝ドラなどは非常に特殊なフォーマットで特殊なノウハウがあると感じる。
30分フォーマットのテレビアニメの配信での成績は国産ドラマより良いが、鬼滅の刃が劇場版である無限列車編を分割してテレビ放送したがやはり盛り上がりに欠けた感があった。
上記からおそらく、試聴体験や視聴層の変化の部分も大きく一概に尺だけの話では判断できない、というところかと思うが
一番危機感を感じるのは、上記の高精度なデータをNetflixや Amazonが独占していて、精度の高い判断を制作サイドができないという点。