プロ経営者という働き方

前任者が残した負の遺産を一掃

組織再生の鍵を握る「正しいことをする力」

2014/11/5
冷凍食品製造の京食の再建に成功した徳山氏は、その後、いくつもの企業の経営を任される「経営のプロ」になった。ではなぜ、彼の元には、様々なオファーが舞い込んできたのか。(連載第5回「冷凍食品『京食』、再建請負人になった元商社マン」はこちら)
株式会社KRフードサービス 取締役会長 徳山 均氏

株式会社KRフードサービス 取締役会長 徳山 均氏

正しいなら嫌われてもやる

徳山氏はいわば、組織を活性化する「匠」だ。彼がその経歴の中、アルゼンチンなどで現地社員の心を掌握してきたのは前回お伝えした通り。実は、中国でも同様の話があった。

徳山氏は大手商社の社員として中国・大連にあるカニの工場の運営を任されていた。

このときも彼は、現地社員の話を聞き、問題点を把握し、改善し、というサイクルを繰り返し、現場の活性化に成功している。

トップが社員の共感を集め、さらにはトップ本人がよりよい結果を残すため必死で仕事に取り組む姿を見せれば、社員達はついてくる。のみならず、いつしか自ら業務を改善するようになる――。

すると、工場の生産性が上がり、規則の遵守が徹底されるようになった。そして、このさまを隣の工場の株主が見ており、徳山氏を京食の社長へと招いてくれた。

このように、彼はいつも「人はなぜ懸命に働くか」を考え、より多くの人が一生懸命になる組織をつくろうと四苦八苦してきた。

こうして、組織マネジメントの技を身につけていったのだ。さらに、自分が「正しい」と判断したことは断行する。正しいと思えば、時には自分にとって損になるようなこともした。

外資日本法人トップが続かなかった理由

京食の再建後、外資系企業の日本法人の日本人トップを務め、2011年にオリックスに入社したが、そのきっかけは東日本大震災のときに徳山氏がとった言動が、海外本社の不興を買ってしまったからだ。

「震災の時、務めていた外資系の日本法人の仙台の駐在員が被災し、マンションに住めなくなってしまった。そのとき(海外の)本社から(原発事故の影響を避けるため)『例外なく大阪に移れ』という指示が来たのだが、私は被災した社員を放り出して大阪に行くことなどできないと思った。そこで私が自ら山形へ行き、被災した社員のマンションを確保するための手続きをすると主張した。しかし、私が取った行動は彼ら(海外本社の幹部)にとっては、面白くなかったのかもしれない」

「正しきを踏んで懼れるなかれ」という言葉がある。

徳山氏は長い職歴の中で、人間として、ビジネスパーソンとして正しい振る舞いは何かを、毎日のように考え続けてきた。

その結果、正しいと信じることは果断に実行したのだ。彼が取材中にサラッと話した言葉に、その信念が横溢する。だから、彼には願っても無いオファーが次々にくるのだ。筆者にはそうとしか思えない。

その後、彼はオリックス入りを打診された。

ヘッドハンターに「徳山さんもいろいろな会社で修羅場をくぐり抜けてきて、もうコンサル的な立場でゆっくりされたらいかがですか?」と言われ、同社への転職を果たした。徳山氏は、元々、オリックス創業者・宮内義彦氏に敬意を抱いていた。

2人とも元商社マン。徳山氏は、宮内氏が常に外部の意見を取り入れ、グローバル経済の動きに合わせてビジネスモデルを変えながら社を成長させてきた経験に共感した。

外資の本社の意図に逆らったことが、願ってもないオファーを呼び込む形になった。

前のトップが残した負の遺産

2011年10月にオリックス入りしたあと、徳山氏は2012年4月に、オリックスが株主となったキンレイの役員へ就任した。

キンレイは『かごの屋』などを擁する外食部門で約150億円、冷凍の鍋焼きうどんを主力とする食品部門で約70億円の売り上げを持っていた。

徳山氏が役員に就任した理由は、食品部門の利益が伸び悩んでいたから。当時のキンレイ社長は、株主のオリックスに利益を約束しても、期待される数字を出せずにいた。

なぜ、利益が出なかったのか? 筆者は具体的な話を聞くため、元キンレイの匿名の人物に、徳山氏就任以前の話を聞いた。すると、いくつかの事実が見えてきた。

まず、徳山氏の前のトップも、大手調味料の企業などでも幹部を務め、ファンドから送り込まれた「経営のプロ」だったことがわかった。そして、この人物が、あまり評価が高くないこともわかった。

匿名の人物は、前のトップを批判的に語った。

「株主に報告する数字に、言い訳やごまかしが多いのです。利益が少なく、目標が未達成だと、部下に無理難題を押しつける。しかも経理上で数字を整え、文字通り、うまく帳尻を合わせようとしていた」

「前のトップはマーケティング部長を兼ねており、彼が企画を提案すると、みんな通ってしまう。逆に社員は言いたいことが言えない雰囲気だった」

「上から文書で指示をするタイプだった。社員と積極的にコミュニケーションをとることをしないから、現場の実情に対し、無知だった」

この意見をそのまま徳山氏に伝えると、彼は状況を語った。

「そうですね……。先のトップは鍋焼きうどんとアニメキャラクターのタイアップを実施し、株主に『これで飛躍的に伸びます』と言ってもいた。でも、実を言うと私は危ういと見ていました。社員が『こんなことウケないですよ』と嫌々やっていたからです」

前回で徳山氏は、「企業はみんなが乗った船と同じ」と語った。

「同じ目標を共有し、同じ方向へ向かおうとすることが大事で、1人でもそれができていない組織は、どこかがおかしい。結局、アニメキャラクターとのタイアップの結果は、残念ながら失敗と呼ばざるを得ない」

その後、2013年の2月に徳山氏が社長へ就任、と同時に「匠の技」を見せ始める。

徳山氏がすぐ発見した課題とは?

まず、商品開発部がつくったものと、営業が売りたいものが乖離していた。これでは「同じ船に乗った」状態ではない。

そこで徳山氏は新たに、商品開発部と営業とを結ぶ「事業推進部」を設置。部長には、「彼こそ適任」と心から思える生え抜きの若手を抜擢した。

「その彼は、商品開発部のナンバー2でした。当時の開発部長(ナンバー1)も優秀でしたが、コンビニ向けの商品を開発するため、東京にいることが多かった。そんななか、ナンバー2は大阪(のキンレイ本社)で『このままではダメだ!』と危機感を持って、会議で積極的に発言をしていた。その彼を抜擢したのです」

徳山氏はまず、プロ経営者としての引き出しの中から「組織の改編」、「若手の抜擢」という道具を出した。

彼は役員として企業を見ていた中、問題を把握していたのだ。生産部門は泉北・筑波の両工場を初めしっかり機能して良い製品をつくっているのに、正確なマーケティングができておらず、だからこそ営業は積極性に欠けた。

ならば、商品開発部と営業をつなげればよい、と考えた。

すると「ナンバー2」氏は徳山氏の意をくみ、実力を遺憾なく発揮し始めた。

夜遅くまでオフィスにこもり、商品開発の知識を活かしつつ営業の話を聞き、新商品の企画を立て始めた。

たとえば、少子高齢化を見込んで『10種具材の具だくさん鍋 寄せ鍋うどん入り』など高付加価値の商品の開発に着手。さらには、徳山氏が社長就任以前から開発していた『つけ麺』もヒットさせた。

これは、あるコンビニのプライベートブランドで、インターネットの『NAVERまとめ』で人気化するや、火がついたように売れ始めた。

この姿を見て営業も動いた。

自社商品をコンビニに置いてもらうべく営業を開始、小売店の要望を次々と持ち帰ってくる。事業推進部は、この要望をとりまとめ、さらに的確な商品開発を行っていく。徳山氏率いるキンレイは、ここから、胸がすくような快進撃を始めた。

(次週に続く)

※本連載は毎週水曜日に掲載します。