授業が簡単すぎる「吹きこぼれ」を伸ばす本場米国の教育が日本へ
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注目のコメント
ギフティッドへの教育と言うと特別な感じがしますが、長所を伸ばす教育と考えるとわかりやすいと思います。
私のいるフィリピンもそうですが、世界では弱点を補う教育よりも長所を伸ばす教育が主流になりつつあります。
全部の学校がそうなる必要はないのかもしれませんが、選択できるようになると良いと思います。
私は長所を伸ばす教育が一部のギフティッドだけでなく、だれでも選択できる教育になって欲しいと思っています。落ちこぼれ/吹きこぼれ、また通常学級に在籍する児童/特別支援級に在籍する児童などの垣根は関係なく、「個人の長所を伸ばす教育」と考えることができると思いました。
吹きこぼれ?
『浮きこぼれ』ではなかったか。
時々SNSで 「我が子がギフテッドだったことわかって育児の仕方を変えました。発達障害だけだったらあきらめてた」というようなコメント読むことがあります。
ギフテッドの定義に少しでも当てはまらないか 探してる姿は
やはり発達障害と一緒にされたくない願望が透けて見えることがあります。
しかしギフテッド部分を探しても何も生産的ではない気がします。
ギフテッドと発達障害は白黒で分けられるものではなくスペクトラムなので。
ラベリングなんてどうでもよいことで。
特性ゆえに困っていることに どう対応したらよいかに目が向くようになってほしいです。
ギフテッドだけが支援対象となると発達仲間の分断を生まないか危惧してしまいます。
現に親の間にはその雰囲気が漂っているので。
社会に出て困るのはそのどちらともだと思います。
『落ちこぼれへの支援は厚くなってきた』にも疑問が。
先生にとって困る対象の児童は加配がついたりするようになってきたということでしょうが。
静かな落ちこぼれである学習障害は気付かれてないことが多いです。
一クラスに二人ほど潜在的にいるとされてますが。
障害機序も複雑なので適切な支援はまだまだなのではと。
文面を整えるために落ちこぼれ対策はもう十分としなけれはまならなかったのでしょうが。
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