「どうせ」を「どうせなら」へ
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良いエピソードからの抽象化転用の思考。
自分も「どうせ」と考えがちだから、
ハッとさせられる。
それが自分の為のものであれば、
「どうせ」もまあ良しとして、、
それが他人の為のものであれば、
「どうせなら」に振り切りたい。
独り身の食事はフライパンからいくけど、、
誰かの為なら、素敵なお皿に盛り付けたいもんね。
「どうせ」
⇨諦めた状態。問題の放置。低い期待値。
「どうせなら」
⇨めんどくさいことに取り組み、期待値を超える。
〉中古なのに新品よりも人気のある、不思議な毛布があった。それには手紙が入っていた。「これは新品ではありませんが、気持ちよく使ってもらえるよう、3日間日に干したものです。こんなものでよろしければお使いください」その心遣いが、中古の毛布を「ケガレ」から「ぬくもり」へと変えたらしい。
〉それまでの看護師は「どうせ汚れるのだから」と、汚れた服を替えようとしなかった。しかしナイチンゲールは服だけでなく患者のシーツも、汚れたらすぐ清潔なシーツに取り換え、「どうせなら患者に衛生的な環境を」と努力を続けた。その結果、死亡率が劇的に下がった。
〉ある女子大生がトイレを卒論に選んだ。その卒論は画期的で、観光地にリピーターが増えるかどうかはトイレの影響が大きい、と分析していた。昔の観光地はトイレが汚く、女子トイレが少なかったりして、「二度とここには来たくない」という人も少なくないことを見事に指摘したものだった。
〉「どうせ」とバカにされていたものが、「どうせなら」心を込めて、大切に扱うようにした途端、その職業や製品が輝き始める、という事例は、かように数多い。人間は不思議なことに、バカにし、ぞんざいにしているものはさげすまされるが、心を込めた途端、聖化されて感じる感性があるらしい。記事読んだ後、とても幸せな気持ちになりました。
一方、昨日ショッピングモールで、ペットボトルを落とした赤ん坊を抱っこ紐で前で抱き抱えたお父さん。私が拾って、手渡しましたが、コロナ禍、他人に自分のものを触られたく無い、と思う方も多いはず。これまで親切心で行われていた行動、人々の心が、曇りマークになりませんように、ともこの記事から思いました^^『どうせ』を『どうせなら』へ。
日本人の気持ちのありようを表した言葉のひとつ。言葉は抽象的で伝わりにくい面がある。このようにイメージできれば、少しずつ良い方向に向かっていくと思います。
『どうせ』自分には無理と諦めず、『どうせなら』やり切ってみよう。その後考えればいいとね。
『また』。
また会いたいと思う時の『また』。
またあいつかと言う時の『また』。
気持ち次第で、考え、行動は変わっていく。
いい事を知りました。ありがとう!