2022/1/17

もっと芸人が“稼げる”世界に。カギを握る「D2C」プラットフォームの正体

NewsPicks, Inc. Brand Design Editor
あらゆる産業にD2Cの波が押し寄せている。 
特にエンタメ業界は、コロナ禍によるライブやイベントの制限をきっかけに、オンラインでのコンテンツ発信や演者とユーザーが直接つながるD2C型のビジネスモデルに変革する必要性に迫られた。 
そんななか、日本でいち早くこの変革に舵を切ったのが吉本興業だ。2020年6月にはオンラインライブ配信サービスを開始。
2021年4月にはライブ配信やファンクラブといった各種オンラインコンテンツをまとめたプラットフォーム「FANY」を始動した。
「劇場」でのコンテンツ配信やテレビ・広告を介したコンテンツ供給で成長を遂げてきた吉本興業は、なぜD2C型のビジネスモデルにシフトすることができたのか。同社のデジタル戦略を支援したアクセンチュアは、変革のパートナーとしてどう伴走したのか。
意外なタッグが目指すエンタメの未来について、吉本興業取締役の山地氏と執行役員の梁氏、アクセンチュアの中村氏と木全氏、さらに芸人の立場からどのように変化を実感しているのか、2020年「M-1」王者のマヂカルラブリー野田クリスタル氏、村上氏に話を聞いた。
INDEX
  • もっと芸人が「稼げる」世界に
  • 吉本が秘めるポテンシャル
  • 徹底的な「顧客分析」
  • 「感性」と「論理」を融合する方法
  • 「よしログ」誕生?

もっと芸人が「稼げる」世界に

──コロナ禍を機にオンラインコンテンツのニーズが急拡大しました。
山地 コロナ禍によるコンサートや舞台の中止、入場制限は相次ぎました。当然収入面の打撃も非常に大きなものでした。
大学卒業後、WEB制作会社を経て吉本興業入社。デジタルコンテンツのプロデュース、コミュニケーションロボット開発等、テクノロジー分野の業務を経て、現在、FANY事業本部本部長 プラットフォーム開発部長
 新たな打ち手を模索するなかで、社長から「お笑いライブをオンライン配信するのはどうか」というアイデアが出ました。それこそ、いまではオンライン配信は当たり前になりましたが、当初の私は「ライブはリアルだからこそ楽しめるもの」という固定観念があったので疑心暗鬼。
 そんななか、手探りながらも2020年6月に始動したのが、オンラインでお笑いのライブ体験を楽しむことができるサービス「オンラインチケットよしもと」です。
──以前からデジタルコンテンツの開発自体は注力分野として掲げていました。
 確かにそうですが、YouTubeのように無料でコンテンツを楽しむことが当たり前になった時代です。ライブをオンライン配信して、本当に1公演単位で課金してもらえるのか、当初は大きな不安を抱えていました。
──始めてみて、手応えはどうでしたか。
 それが想像を超えた反響でした。例えばマヂカルラブリーのある公演では、オンラインチケットが約1万8000枚売れました。
2021年1月1日に無観客開催され話題になった『マヂカルラブリーno寄席』。見逃し配信は当初1月3日まで視聴可能だったが、好評を受け1月10日まで期間が延長となった。累計約1万8000枚のチケットが売れる異例の大ヒットを記録した
 劇場だと約300名で満員になってしまうので、我々の想像を遥かに超えた売れ行きでした。
 しかも驚いたのは、事前チケットは1000枚しか売れていなかったこと。それにもかかわらず、ライブが始まってからSNSで話題になり、見逃し配信期間にどんどん売れていきました。
──オンラインライブだからこそ起きた現象ですね。
梁 またその購買データを見てみると、沖縄から北海道まで全国のお笑いファンがチケットを購入してくれている。関西のお客さんが関東の劇場を、関東のお客さんが関西の劇場公演を観にきていました。
 さらにはこれまで劇場には足を運んだことのない新規ユーザーも多数いました。
大学卒業後、吉本興業株式会社に入社。マネジメント部門でタレントのマネジメント業務を担当。その後デジタル部門の子会社でデジタルコンテンツのプロデュース業務を担当。現在は吉本興業株式会社のFANY事業本部本部長を務める
 吉本興業は劇場ライブが事業の根幹なので、これはユーザーの新しいつながり方になるのでは? 芸人がより稼げる世界を実現できるのでは? そう会社全体がデジタルへ舵を切っていこうと、目の色が変わった瞬間でした。
 そうした経緯を経て2021年の4月に「オンラインチケットよしもと」を含め、各種エンタメサービスをまとめてリブランディングしたのが「FANY」になります。
 これまで個別に運営していた映像配信やコミュニティ機能などを統合し、各種サービスの連携を強化することで、演者とファンがより深いつながりを構築できることを目指しています。

吉本が秘めるポテンシャル

──アクセンチュアは「FANY」事業を中心に吉本興業のDXを支援しています。
中村 これまで吉本興業は、テレビや代理店に対してのBtoBビジネスが主流でした。
 コンテンツの届け先は消費者ではあったものの、その中間にテレビや代理店が存在していた。だから誰を見て仕事をしているかというと、どうしてもテレビや代理店に意識が向くことがありました。
 ですがデジタルでコンテンツを届けられる仕組みが整ったことで、消費者に届ける主体は自分たち自身になり、BtoC向けのビジネスへの転換は不可欠でした。
大学卒業後、ITコンサルファームに入社。その後、戦略コンサルタントとしてローランド・ベルガー、BCGを経て、2016年にアクセンチュアに入社。 現在ストラテジーグループのマネジング・ディレクターであり、インダストリーコンサルティングの日本統括も兼務。
 そのためタレントのマネジメントにとどまらない、演者がファンにコンテンツを直接届けることをプロデュースできるようなプラットフォームの構築が必要だったのです。
 吉本自身も当初から、芸人がもっと儲かる仕組みを自前で作りたいと考えていました。我々も吉本が持つポテンシャルを知れば知るほど、より多くの人に吉本の世界観を届けることができるのではないか。そう確信を深めていきました。
──吉本が持つポテンシャルとは?
中村 タレント、劇場、コンテンツ(プロデュース・制作)、エンタメビジネスに必要な全てを自社で抱えている点です。
 そもそも「D2C」とは、企画・開発した製品やコンテンツを、仲介者を介さずに直接販売まで自社で一貫して行うビジネスモデルのことです。
 ですが多くのプロダクションやレーベルでは、スタジオはあるが配信基盤はない、ファンクラブは有するがプロデュース制作機能は弱いなど、自社で一貫して行おうとすると不足した機能やプロセスの分断があります。
 一方吉本は、D2Cでオンライン配信をやれるアセットがはじめから1社に全て揃っている。エンタメ業界でそれができるのは数少ない。まさに唯一無二の強みでした。
山地 D2C化のビジネスにシフトすることができれば、より消費者目線でのコンテンツ作りが可能になる。
 加えて、デジタル化により見逃し配信ができるようになれば、演者にも収益が入りやすくなります。より演者が稼げる世界を実現するためにも必要な変革でした。
──実際、演者としての実感はいかがですか。
マヂカルラブリー村上 芸人の間でも、見逃し配信は収入面で非常に助かっているという声は多いですね。
 特に駆け出しの芸人にとってお金を稼げるということは、「夢を追いかけるための時間」が確保できるということです。アルバイトの時間を減らしたり、やめたりすることができる。その空いた時間で、より芸に磨きをかけることができます。
 僕らもこれまでは劇場の出演で5000円もらうのに、10年はかかりました。でも、いまは1舞台のライブ配信で収入が10万円を超えることもあります。
マヂカルラブリー野田クリスタル あとはリアルの劇場だと、すごく手応えのあるライブができてもそれで終わりなんですよ。
 でも見逃し配信があれば、手応えのあったライブを多くのファンに届けることができる。ネタを作るうえでもモチベーションが上がりますね。
大学のお笑いサークルで活動していた村上が、ピン芸人だった野田クリスタルを誘い2007年1月に結成。2017年に初めて決勝進出した「M-1グランプリ」は10位に終わったが、2020年大会を制し「M-1」第16代王者の座に就いた。野田のシュールなボケと、村上の的確なツッコミで多くのファンを魅了している。

徹底的な「顧客分析」

──「FANY」事業を支援するうえで、どのような点を意識しましたか。
木全 吉本が保有している「顧客データ」を徹底分析することです。
 具体的には、顧客データ、購買データ、サイトへの流入経路などを全て可視化し、実際に劇場に足を運ぶ方、オンライン配信を購入する方、グッズを購入する方、ファンクラブに加入している方など、あらゆるユーザーの行動特性を分析しました。
 そうすることでファンに対する提案機会やユーザー体験を最適化する機会など、次のアクションにつなげる示唆を生み出すことを狙いました。
 吉本の皆さんは、非常に感性が優れていて、何が面白いかということを肌感でわかっています。その素晴らしい感性を、データに裏付けされた論理で後押しすることで、迅速に改革を進めることができると考えています。
通信・メディア業界を中心にクライアント企業の成長戦略立案や、新規事業立案に従事。近年は、スポーツビジネス、エンターテインメントビジネスの成長戦略策定と実行、ブランディング、デジタルマーケティングなど、コンテンツビジネスの成長に向けた支援を多数実施。 現在はストラテジーグループのマネジング・ディレクターを務める。
 購買行動のデータや調査会社によるアンケートにより、我々が独自に調査した結果、お金を払ってもお笑いを見たい方は日本に約3,000万人いることがわかりました。
 そのうちFANYのIDを持つ方が約300万人で10%。またそのなかで一定の期間内にログインしているアクティブユーザーは非常に少なく、マーケットに対して取り込めているファンの絶対数がほんの僅かだったということがわかりました。
 一例を挙げると、オフラインの劇場ライブとオンラインの配信をIDの新規登録から半年のうちに2回ずつ、計4回見た人は、その後の半年で休眠する確率がどちらか片方しか見ていない人よりも低くなる。
 これは言われてみると当たり前かもしれませんが、こうした潜在的に理解できていることを数字で可視化することで、思考がクリアになり、具体的な打ち手が考えられます
 アクティブユーザーを増やすためには、そのハードルを越えられるような施策を打てばいい。例えば「あの芸人が好きな人はマヂカルラブリーのライブにもよく足を運んでいる」など、データで一人一人の行動分析ができれば、より各々のニーズや行動に合わせた施策が可能になります。
梁 データをうまく使えていない実感はあったものの、改めて休眠ユーザーが多いという現実を突きつけられたときは胸に突き刺さるものがありました。
 これまで会員は自然と増えていたので、あまり戦略的なマーケティングは実行してこなかった。恥ずかしながら、演者頼みなところもあったと思います。
 薄々気付いてはいたのですが、どのような人材を雇えばいいかもわからなかった。そこへ我々に厳しい現実を教えてくれたおかげで、もう変わらなくていい理由がなくなってしまった。良い意味で逃げ道を塞がれてしまいました。
── 一方でFANY事業を推進するうえでは、どのような壁がありましたか。
山地 やはりデジタルに対するアレルギーや社員の理解不足は大きな課題でした。
 吉本は「感性」を大切にしている人が多いために、デジタルやデータに苦手意識を持つ人も一定数います。そうした人たちに難しい言葉で説明しても伝わらない。だから一刻も早く、まずは結果を見せる必要がありました。
木全 私たちとしても、いち早く結果を出すという点で目線が一緒でした。
 吉本との取り組みで強くやるべきことだと思ったのは、いわゆる戦略やプランニングフェーズと呼ばれるコンサルティングの最上流の検討段階から価値(=財務的成果)を生むということです。
 それぐらい芸人さんが持つコンテンツの強さを肌で感じていましたし、正しくマーケットに届けることができれば売上は増幅すると確信していました。そのためにも、以下の3つをプロジェクトの基本ルールとして推進してきました。
1,データによるアプローチを徹底する
2,明日から取り組めるソリューションを考え、スピーディーに実行する
3,失敗・成果を常に吉本とオープンに共有する
 もちろん、コンサル業界特有のカタカナ言葉を控える、時間ができれば劇場に伺う、そうした地道なことも大切にしていました。そんななか、マヂカルラブリーさんのチケットが1万8,000枚売れたことは、やはり吉本の中でデジタル化を一気にシフトするきっかけになりましたね。
マヂカルラブリー野田クリスタル つまり、原始人に電子レンジを教えるようなものですね。
マヂカルラブリー村上 まずは何かを実際に温めてみせないといけない。実際にこの目で見たり、体験したりしない限りは、イメージも湧かないですよね。
マヂカルラブリー野田クリスタル それにユーザー数が増えれば増えるほど、消費者を理解する難易度は上がりますもんね。
 もともと感性を重視してきた芸術側の集団だった吉本が、規模やユーザー数が拡大しすぎてデータを見ないといけないフェーズになった。でも誰もできる人がいないから、「アクセンチュアさん頼むよ」となったわけですね(笑)。

「感性」と「論理」を融合する方法

──アクセンチュアがもたらすデータによる「論理」と、吉本が大切にしてきた「感性」の部分をどのように融合させていったのですか。
木全 特に意識していたのは、現場で芸人さんに向き合う吉本の方々が「何を大切にしているのか」を理解することです。
 「Show must go on(何が起きてもショーは止まらない)」といった言葉がありますが、全くその通りで、コロナ禍でも吉本のエンターテインメントは止まりませんでした。
 戦前から110年も続く企業である吉本の強さの源泉を理解したかった。終戦から2週間後には焼け野原の東京浅草で演芸大会を行い劇場を再開させてしまうような会社です。そのDNAを根底から理解する必要があると思いました。
 そのため劇場やタレントマネジメントの部門と直接話しながら、3000万人のお笑いマーケットをとりきれていないという問題点やエンタメD2Cの可能性を理解してもらえるように何度も議論を繰り返しました。
 そうするうちに劇場スタッフの皆様の芸への向き合い方や観客の反応、劇場の雰囲気から、守るべきものと変えるべきものが見えてくるものです。
 そうでないと、ただデータに振り回されるだけ。データを並べて提案するだけであれば、コンサルタントに存在意義はありません。そのデータが意味している本質や裏側を理解しないと、吉本が大切にしている、変えてはいけない部分まで変えることになってしまいますから。
山地 木全さん、4人くらいいるのではと思うほど、いつも社内にいますよね(笑)。劇場も頻繁に通われていて、かなり現場に足を運んでもらっている。
 データやロジカルなイメージが先行していましたが、実際はかなり泥臭い部分もあって、いい意味でのギャップでした。
中村 加えて、お笑いといえば「感性」のイメージが強いのですが、実はネタ自体や舞台の振り返りを見ると、驚くほど論理的に構成されていますよね。
 例えば幕前・幕後の拍手の分析や、笑いと拍手が同時に起きたのはいつかとか、同じネタをやってお客さんの反応を比べるとか。それを吉本と芸人が一緒になって分析されている。感性を論理に昇華させるプロセス自体は、もともと行ってきたことだと考えています。
マヂカルラブリー野田クリスタル 確かにネタそのものは論理的に構成していますね。
 しかも『M-1グランプリ』(吉本興業と朝日放送テレビが主催する日本一の漫才師を決める大会)くらいになると、絶対にすべれない。だから感性を大切にしながらも、過去の優勝者やネタの成功パターンを分析するなどしてより論理的に考える必要があります。
 そうして計算し尽くされたのが、M-1優勝です。
マヂカルラブリー村上 あれは漫才か?の論争すらも計算かもしれないと言いたいですね(笑)。

「よしログ」誕生?

──アクセンチュアと吉本のタッグで、今後どのようなエンタメの未来を実現していきたいですか。
マヂカルラブリー村上 せっかく吉本という面白い会社にいるので、「これをやりたい」と思ったことが、仕事という形でちゃんとお金になる状態を目指せたら一番良いなと思いますね。
木全 芸能プロダクションにデジタルを掛け合わせると、より多くの人が笑い、より多くの芸人さんに新たな発想が生まれ結果的により稼げるようになる。
この良い循環をどんどん大きくしていくほど夢にあふれた仕事はないと思っています。芸人さんの無限のコンテンツ力が世界中に広がっていくような未来をご一緒できればと思っています。
マヂカルラブリー野田クリスタル 僕はお客さんがライブの感想などを語り合える、コミュニティがほしいと考えています。
 よくお客さんの反応を見たくてエゴサーチをするのですが、そこでみんなが気にしているのは、ライブの内容や反響です。つまり見逃し配信を購入するか、迷っているんです。
 既に見た人は逆に、感想をどこかへ書きたいと思っている。じゃあ食べログみたいに、ライブの感想や芸人を評価する「よしログ」を作ればいいんじゃないかと
梁 面白い。確かにお客さんとのコミュニティ機能の強化は必要ですね。いまより芸人とファンを深くつなげられるかは模索していて。
そういった機能もFANYに持たせて芸人の活躍の場を用意することで、吉本興業に所属していて良かったと思ってくれることを目指しています。
中村 お笑いって精神疾患や認知症、教育においても良い効果を及ぼすことが学術的に証明されていますよね。少し大きなビジョンかもしれませんが、吉本のお笑いの力とデータを掛け合わせて、日本社会の課題を解決していけると思っています。
 FANYは拡張性が高いプラットフォームなので、それができる。経済的価値だけではなく、社会的価値にもどんどん変えていきたいなと。それが芸人さんたちの喜びにもつながると信じています。
山地 もともと、吉本は1912年にできた大阪発祥の会社で、FANYの会員も関西の方が非常に多い。さらにオンラインのチケットも、大阪のよしもと漫才劇場が一番売れています。
 今年で創業110周年を迎えるにあたり、吉本の総本山である大阪、関西を中心に、FANYを通してもっとお笑いを全国や世界に届けていきたい。
 そうして関西を起点に盛り上げながら、日本や世界に「笑い」を届けることで、世界中に笑顔が一つでも増えると嬉しく思います。