「自分の文化」は選べるのか? デザインにおけるローカルのあり方とは
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最近は「文化の盗用」が問題視されて炎上するケースなども増えています。が、そもそも日本で洋服(=西洋の服)が広がったのは、最近100年ぐらいのこと。
そして、20世紀に世界のファッションの中心地はパリやミラノ、ロンドン、ニューヨークなどの西洋であり、そこにデザイナーが旅などでインスピレーションを得ながらフォークロア的なエッセンスを加えてシーズンのコレクションなどを発表してきました。
さらに、昨今、情報も学びや生活の拠点も軽々と国境を超える時代に、あらためてローカル・アイデンティティとは何ぞやを問うこの記事は、パラダイムシフトがあり、改めてローカル、文化のあり方を考える考える好機になりました。ポストラグジュアリー360°の風景、今回は前半を安西洋之さん、後半を私が書いています。
デザインにおけるローカルアイデンティティのあり方がテーマです。
これまでの「ファッション史」は西洋視点で書かれてきました。しかしそこに他文化の視点が入ると、それってどうなの?!と突っ込まざるを得ないことがあちらにもこちらにも……。サンローランや高田賢三の仕事も見え方が変わらざるを得なくなります。
これからますます「これまで弱者として声を封じられてきた側」の人の声が表に出てくることになるでしょう。そうなればファッション史だけでなく、世界の見え方が変わりそうです。