戦前、戦後、いつの時代も渋谷はメタモルフォーゼし続ける
PR: 國學院大學
83Picks
コメント
選択しているユーザー
渋谷は,青山,松濤,南平台,青葉台,代官山といった超のつく高級住宅地に囲まれた街で,若者の街になったのが不思議なくらい。
それは,西武系の渋谷進出の産物でしょう。渋谷の外から来る若者の街から,渋谷の周辺からくる大人の街へ。西武系の渋谷における地位の低下に伴って,大人の街への回帰は必然かもしれませんね。
そもそも西武が渋谷に進出するきっかけは,進出先を新宿にしようか渋谷にしようかという検討段階で,渋谷の落とし物ひとつひとつの金額の多さに引かれたからという話があって,周囲の高級住宅地に惹かれたといってもいいでしょう。
それなのに,西武は若者の街をつくってしまった。自己矛盾だったわけですね。
注目のコメント
今も続く渋谷の大開発のルーツは、渋沢栄一氏と東急の創業者・五島慶太氏の思想にあるとのこと。
僕も通学路として渋谷駅や東横線を使っていましたが、渋沢氏の「社会事業の精神」や五島氏の「乗客は電車が創造する」といった信念に基づいて開発されたとは知りませんでした。自分が慣れ親しんだ街にどんな想いが込められているのか、もっと調べてみたいと思った記事です。
戦後から現代までの開発ストーリーがまとまった続編も面白かったです。 https://www.kokugakuin.ac.jp/article/121654