2021/11/1

【養老孟司×SSAP小田島】ヒトはどんなときに、「新しいこと」を発見できるのか

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 テクノロジーによって社会や生活の形が変化し、ビジネスはその時代に合った新しい「創発」を迫られている。ソニーグループのものづくりや事業開発のノウハウを提供し、さまざまな領域で共創を仕掛ける「Sony Startup Acceleration Program(SSAP)」が目指すのは、その経験を蓄積したシステムを世の中に提供していくこと。

 だが、「新しい価値の創出」に型なんてあるのだろうか? 新規事業創出から成功パターンを抽出するうえで脳科学や解剖学に多くのヒントを得たというSSAP責任者の小田島伸至氏と、解剖学者の養老孟司氏の対談で、ビジネスの起こりを解剖する。
INDEX
  • 身体の設計図は「適当」に読まれている
  • 事業づくりの「型」をどう伝えるか
  • ビジネスパーソンが「生きる」には?
小田島 私は今、新しい事業が生まれるメカニズムに興味があります。国語や算数や理科、社会なら学校教育で習って身についていく。うまくできる人もいればできない人もいますが、みんなが一通り学びますよね。
 でも、新しい価値を生み出し、それを事業として世に出していくことは、社会に出てから突然求められます。手探りでやるからこそ新しいものが生まれますが、毎回真っ白な状態から始めるだけでは知見が共有されず、いいアイデアが埋没してしまったり成功しても再現性がないままになったりしてしまう。
 どうにか事業開発を科学して、新しいものが生まれる仕組みをつくれないかと日々考えているんです。
養老 僕はビジネスが苦手であまり考えたことがありませんが、難しそうなことをやられていますね。自分に必要な道具ならこしらえたりもするけれど、どうすれば世の中に広めていけるのか想像もつかない(笑)。
小田島 養老さんは、どんな道具をつくるんですか?
養老 つくるというより、すでにあるものを別の目的に転用するんです。
 たとえば、「傘」は本来、雨を除けるための道具ですが、あれは昆虫採集にちょうどいい形をしています。
 木の下に傘を広げて、葉っぱを叩くと虫が落ちてくる。どこでも買えるし、安い。それに、採集網を持ち歩くと目立ちますが、傘だと擬態できます。雨具を持っている人をじろじろ見たりしないから、カモフラージュとしても便利なんですよ。
 もっとも、僕の場合はニーズが先行しています。昆虫採集をやっていると、不便でしょうがない。「こういうものがほしい」とか「もっとこうだったらいいのに」という要求が、いくらでも湧いてきます。
 やることが具体的で明確だから、求める機能や形状もはっきりする。それに比べて、「事業をつくる」というのはもっと漠然としていますね。
小田島 そうなんです。事業を興すにあたって、養老さんのように強い目的や課題を持っている方は強い。それを明確にすることが、新しい製品や事業をつくるための最初の一歩ですから。
 でも、世の中には強いニーズを持っていても、解決策を思いつかない人もいます。アイデア次第でもっと便利にできるし、同じような不便を感じている人が1万人いれば立派な事業になるのに、その可能性に気づいていない。
 そういう方々にこそ、アイデアをプロダクトとして形にし、事業として社会に展開できることを知ってほしい。ものづくりやビジネスを通して、もっと新しいことに挑戦する人たちを増やしたいんです。

身体の設計図は「適当」に読まれている

養老 僕が知っているなかで似ているかもしれないのは、人間の発生過程で細胞が分化し、胎児が成長していく過程です。
 最初は1つの細胞だったものが、2つ、4つ、8つと分かれていく。それぞれの細胞に遺伝子(ゲノム)が働きかけることで細胞ごとに役割が決まり、そのプロセスが繰り返されて、目や胃や肝臓のような構造ができていくんです。
 遺伝子はよくプログラムに喩えられますが、よく見るとそこまで論理的なものではない。実は、かなり適当に読まれているんですよ。
小田島 適当なのに人体が完成するんですか。
養老 細胞がさまざまな臓器を形づくる過程で、それぞれの発達状態はどうなっているかを調査した人がいます。
 すると、あるときまでは本当にバラバラなんです。眼は50%くらい仕上がっているのに、胃は10%もできていない。出産までに消化器官は間に合うのかと、心配になる。
 ところが、一定の期間を経てホルモンが分泌された途端に、それぞれの器官の発達段階がピタッと揃うんです。なぜかはわからないけれど、最後に帳尻が合うようになっています。
 これって、ビジネスをつくるときにも似たところがありませんか。
小田島 たしかに、多くの人や企業がつくりあげるビジネスも、どの順番で何をやらないといけないかに正解があるわけではありません。新しいプロダクトが完成するまでのプロセスや、事業が成長する道のりもバラバラです。
 一方で、さまざまな企業の事業開発部門に併走していると、うまくいくときや失敗するときに、ある程度の条件やパターンはあると思えてきました。
 たとえば、事業の発端となるアイデアは、必ず誰かが思いつくんです。それを放っておくと、一人の脳にしまわれているだけで、世に出ていかない。
 どんな状態で着想が起こり、どんなコミュニケーションがあれば他のメンバーとの連想をつなぎやすくできるのか。
 SSAPでは、そういったテストを繰り返し、再現性を高めるフレームを考えています。
 私が養老さんの本を読んでおもしろいなと思ったことのひとつに、「大脳だけで考えちゃいかん」と。「大脳以外も脳なんだから、もっと身体を使って考えないといけない」とおっしゃっていて。
養老 そう思っていますよ。思考というと理屈ばかりで、フィジカルが軽視されがちですから。
小田島 本当にそうだなと思って、考えたり対話したりするときの環境設計やツールにも気を配るようになりました。話しながらちょっとスケッチするだけで、相手にイメージが伝わったり発想が膨らんだりもする。そういうことも含めて、事業創出のノウハウだと思うんですよね。
 大企業には、ある日大金を預けられて、組織を任せるから新しい事業をつくれと言われる人たちがいます。そのなかに事業づくりの経験がある人は本当に少ないし、経験があったとしても、せいぜい1回や2回。圧倒的に、経験知が足りていません。
 結果的に、すべてを暗中模索で行って、途中で溺れてしまうケースが多いんです。どこに再現性があって、どこにないかがわかるだけでも道しるべになる。いきなり海に放り込まれるよりも、先に泳ぎ方を教わったほうがうまく泳げる確率は上がります。
養老 なるほどね。新しい事業をつくるということは、最初はどこに価値があるかわからず、重みづけができない。アイデアのところは、結局はランダムです。その雑多なアイデアをどう拾って忘れないようにするかが、根本じゃないでしょうか。
 生物学でいうと「適応」です。状況に適応しないアイデアは、脳がどんどん潰していきます。でも、そのアイデアが何かの拍子にニーズや環境に適応すると、つながり合って進化していく。複数の人を伝われば伝わるほど、世の中に合うように改変され、ダメなものは淘汰されていきます。
 最近読んだ本にも、そういった生物進化をクリエイティブに応用するようなことが書いてありましたね。いわば、「創発」をアルゴリズム化するような考え方で、僕としては「計算されたクリエイションなんて、生命以外にあるのか」と疑ってしまうんですが、そういう時代になったんですね。

事業づくりの「型」をどう伝えるか

養老 僕の場合、若い頃はとくに、研究者が新しいことをやらなきゃいけないというプレッシャーに抵抗がありました。「そんなことよりも、きちんと物事を見て、きちんと考えるほうが大事じゃないの?」と思っていましたから。
 一般的に学問は「内容」を問われやすいけれど、僕は内容よりも「方法」のほうが重要だと考えています。ノーベル賞を受賞した動物行動学者のコンラッド・ローレンツという人が「自分の考えはすべてアナロジーだ」と言っていて、それにはとても共感しました。
※アナロジー/異なる物事から似ている点を探し、推し量ること。類推。
 言語自体がそういうものですが、うまくエッセンスを抽出し、アナロジーを使って書かれたテキストは、単語を入れ替えれば社会科学の本にも生物学の本にもできる。そこには確かに、広い事象に当てはまり、共有されやすいある種のパターンがあるんです。
小田島 今のお話は、私が取り組んでいる「共通化」にも通じるように思います。ジャンルの異なる事業開発を繰り返し経験し、そのなかからメソッドやパターンを抽出することに興味があるから、養老さんの本を読んでうなずくことばかりなのかもしれません。
養老 そもそも、誰かに教えられるのは「形」であって、中身や内容ではありません。日本の教育や伝統芸能は、「先生のやるとおりに写せ」と形式を重んじました。どこかでそれ以上真似のできないポイントに到達し、そこから先を「個性」と呼んだ。
 逆にいえば、形式があったから、その教育が成り立ったんです。小田島さんが今やっているのは、形式がなくなった時代に、より汎用性の高い「型」を抜きだしたいということなんでしょうね。
小田島 そうだと思います。養老さんだったら、どんなふうに取り組みますか。
養老 僕なりにアドバイスするとしたら、やはり「丁寧に見る」しかない。人体や臓器にわかりやすい境目がないように、事業や組織にもはっきりとした線引きはないでしょう。その区切りは、人間の脳がつくり出すものですから。
 それでも、丁寧に細部を見ていくと、わかるものです。このあたりで胃から腸に変わっていると感じたり、あるはずのものが欠けている気がしたり。欠けているものに気づくって、ある程度たくさん見てからじゃないと難しいんです。
小田島 なんとなくわかる気がします。私がやっているのも、まずは観察。いろいろな企業の方と一緒に事業をつくりながら、たくさんのサンプルを見ている感覚なんです。
 そうすると、うまくいく場合や失敗する場合の法則みたいなものが見えてくる。それを可視化して、次に適用して、うまくいかなかったら「これは違った」とやり直す。その繰り返しです。
 ただ、そういう知見を誰かに伝えるときには、型だけを教えてもピンとこないことが多い。型とあわせて「具体はこう」と例示しないと、ぼやけてしまってだいたいの人には響きません。
 身体で覚えるじゃないですけど、「やってみないとわからない」というのは本当だな、と思いますね。

ビジネスパーソンが「生きる」には?

養老 よくわかりますよ。私も最近、これまで自分が考えてきたことを基礎から徹底的に潰して、新しい経験を上書きしたいと思っています。
 この歳になってデジタルネイチャーのようなものに触れると、頭が固くなっていることを痛感するんです。これまでの認知や記憶と異なる体験に対して、「こんなことがあっていいのか」と脳が適応を拒否しようとする。仮想とはいえ、目の前にそれがあるにもかかわらず、です。
 この認知をひっくり返せると、また何か新しい興味や着想が起こる予感がします。これまで考えたことに依りすぎて予想がつくことばかりだと、どんどん生活がおもしろくなくなっていきますから。
小田島 たしかに何事も、固執するとうまくいきません。世の中を見ていても、昨日までやっていたことを今日もやるだけだと、不幸せに見えるんですよね。なんだか、やらされている感じがして。
 私は、自分のアイデアを事業として育てることは、働き盛りの20代や30代が「主体的に生きる」ことにつながると思っています。生きがいと生活の糧は両立する、自分がやりたいことをもっとやっていいんだという気運をつくりたい。
養老 それは大事です。僕がよく思い出すのは、ロンドンに留学した夏目漱石が、「人から聞いてもダメだ。自分でやるしかない」と結論づけたこと。日本人からはその過程が「神経質になった」と見られたけれど、そういうことじゃない。彼は海外に出て、「自立した」んです。
 今の日本の社会は、自立を遅くする。これは先進国に共通することですが、自立する必要がとくにないですからね。「給料をもらってなんとかやれているから自立している」という考え方の弊害として、不自由がないのにアンハッピーに見える。
 別に給料なんてもらわなくていいから「自分のことは自分がやるしかない」と開き直ること。そういう意味での自立支援かもしれませんね。今、必要なのは。
小田島 私が考える良いチームは、それぞれが自発的に動く放牧スタイルだけど、放っておいても前に進んでいくような状態。どうすればその状態を維持できるかを試していると、養老さんがどこかに書いていた「里山のメンテナンス」に近づいてきました。
 完璧を目指すんじゃなくて、必要なときに手入れするだけでいいんだ、と。そのほうが、結果的にスムーズに物事が進むことを実感しています。
養老 事業の「手入れ」っていうのはいいですね。その結果、自立し、自足する人が増えるといい。「満足」という言葉は、ビジネスではだいたい悪い意味で使われます。でも、「足りる」ことは本当に大事ですよ。
 僕がいちばん現代人の参考になると思うのは、「猫」の生き方です。彼らは勝手気ままに余計なことばかりして、必要最小限の労力で暮らしている。実にうらやましい。
 ビジネスのスピードを上げたり成長させたりすることもいいけれど、事業のほうが主目的になって、課題や不自由がないかを探し回るようだと本末転倒です。せっかく事業を興すのならば、人々が猫のように生きられる社会に近づけるアイデアを形にしてほしいですね。