2021/11/8

【技術の東レ】先端素材で気候変動の超難問に挑む

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 2050年のカーボンニュートラル社会に向けて、世界各国でさまざまな取り組みが進められている。環境問題のような複雑で大きな課題に、企業はどのように取り組めるのか。超長期的な研究・技術開発で社会を変える素材を生み出してきた東レグループの取り組みを、地球環境事業戦略推進室室長の野中利幸氏が語る。
INDEX
  • 地球環境とビジネスは両立するか
  • 未来に投資するための組織をつくる
  • 循環型社会へのイノベーション
のなか・としゆき/1961年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、東レ入社。フィルム事業の営業、新事業企画推進室長を経て2009年に設立された地球環境事業戦略推進室で主幹に就任。2016年より現職。内閣府「エネルギー・環境イノベーション戦略」委員や環境省サプライチェーン排出量の削減推進方策検討会WG委員など、多数の政府・業界団体の委員を歴任。

地球環境とビジネスは両立するか

── 「地球環境事業戦略推進室」、通称「地戦室」。すごい部署名ですね。
 気候変動を含む地球環境問題は、2030年や2050年の世界を見据えた複雑な要因が絡み合い、さまざまなシナリオが考えられる解決が困難なプロジェクトです。扱う領域も地球環境全般ですから、多岐にわたって大変です(笑)。
 コロナ禍の影響もありますが、近年では世界各国・各地域でカーボンニュートラルやサーキュラーエコノミーなど、長期的な観点に立った「あるべき未来像」の議論が活発になっています。
 また、世界の人々の価値観も変化し、「サスティナビリティ(持続可能性)」の意識が高まっています。こうした地球規模の課題に対して大きなインパクトを持つ公共システムの重要性を再認識し、「消費財をどう売買するか」から「どう資源を採取して、生きるために必要なものに変えるか」という経済の核心に回帰する議論が必要です。
 脱炭素社会へのシフトを目指す国際的な枠組みであるパリ協定では、可及的速やかに温室効果ガス排出のピークアウトを目指し、産業革命以前の水準と比べて2050年の平均気温上昇を1.5℃以内に抑えることを世界共通の長期目標として掲げています。
 この目標を達成し、脱炭素社会を実現するには、これまでの温室効果ガス(GHG)削減の取り組みを延長するだけでなく、技術的難度の高い非連続的なイノベーションが必要です。2050年までにいくつもの技術革新を積み重ね、人類の英知を結集してもなお、膨大な努力が求められます。
 地球環境問題は、世界規模の人口増加や、エネルギー・資源問題、食糧問題などが複雑に絡み合っています。その解決には、経済成長と環境問題のように対立関係にあったものを並存させ、世界全体で持続的な成長の道を探索する必要があります。
 たとえば、GHG排出量を削減するには、経済発展に不可欠なエネルギー電力分野が大きな影響を与えます。ところが、世界中の発電ユニットを調査したところ、化石ベースの発電ユニットの若年化は驚くべきもので、現在稼働中の49%が2004年以降に新設されています。
 とくに中国とインドで稼働している石炭火力発電所の平均年齢は11年と12年。40年の米国、33年の欧州と比べて新しい施設が多く、石炭火力発電が今後も長期間にわたって稼働し続けるものと考えられます。
── 脱・石炭へとエネルギーをシフトさせるには、まだ使える発電所を止めないといけない。経済合理性とぶつかるんですね。
 そう。難しいのが、脱炭素に向けたビジネスモデルの変革やイノベーション推進などに取り組む際に、産業や企業によっては先行投資に高い負荷がかかること。
 東レは1991年の長期経営ビジョンで自社を「地球環境保護に積極的な役割を果たす企業集団」と定義し、「地球環境研究室」を設立。翌1992年には地球環境委員会を設置して経営陣が積極的に環境問題に取り組む姿勢を示しました。
 以来、30年かけて素材メーカーとしてできることを考え、短期的な企業業績への影響も考慮しながら次世代に向けた研究・技術開発にリソースを投入し続けてきたんです。

未来に投資するための組織をつくる

── 営利企業である東レが1990年代から地球環境問題を経営課題として捉え、継続的にアクションを取り続けることができたのはなぜでしょうか。
 ひとつは、東レが先端素材で社会課題を解決する「技術」の会社だからです。
 環境問題のような複雑で難解な問題に先んじて取り組むことで、オンリーワンの技術やノウハウを蓄積できる。イノベーションが起こったときには大きな市場が生まれます。
 ただし、東レの研究開発のDNAである「超継続」は、個人の意志だけで実現することはできません。いくら一人が頑張ったとしても、それがビジネスとして実を結ぶのは10年後、20年後のことですから、そのときには所属する部署が変わっているかもしれない。
 先人たちが蓄積した研究のなかから使えるものを参照し、自らの研究成果を後進に伝える。そうやってさまざまな領域の技術を融合させ、次世代に引き継ぐことで数十年単位のR&Dが可能になるのです。
 東レは、企業や経済界がただ世界の潮流に迎合し、気候変動や環境に配慮をしているかのように装う「グリーンウオッシュ」といわれるような見せかけの対策には疑問を呈してきました。
 本当に有意義で実効力のある温暖化対策は何かを考え、10年、20年かけてしっかり根を下ろせる製品開発、技術開発に、1990年代から取り組んでいるのです。
── それはまさに環境問題に求められていることですよね。いまの取り組みが地球環境に影響を及ぼすのは早くても2〜3世代は先ですから。
 そうなんです。さまざまな事業を持つ企業が技術を融合させ、長期間にわたる研究・技術開発を継続させるには、組織的な仕組みがなければうまくいきません。
 たとえば、複数の事業部を持つ企業ではカンパニー制を採用するケースが一般的だと思います。カンパニー制は、責任の所在を明らかにして、それぞれの事業本部が独立採算のもとで徹底的に利益を追求します。
 しかし、東レはカンパニー制を採っていません。研究・技術開発部門を事業本部に紐づけてしまうと、技術の横断や融合が生まれないからです。
 東レは高分子化学、有機合成化学、バイオテクノロジー、ナノテクノロジーをコア技術として、高分子設計、繊維やフィルムの成形加工、微細構造の制御・複合化技術を追求し、さまざまな分野で先端材料や製品を送り出してきました。
 また、各分野の専門家が技術センターに集結し、ひとつの事業分野の課題解決に多くの分野の技術・知見を融合させ、総合力を発揮していることが特徴です。
 2050年のあるべき社会に向けて、長期的なイノベーションの方策を示すためにも、東レグループの技術・研究開発の枠組みは重要だと認識しています。
 東レが過去から未来へ引き継いでいく資産は、製品だけでなく研究・開発によって蓄積された「技術」にあります。新たな社会課題を解決する新素材は、既存の技術と技術の「融合」から生まれることが多いんです。

循環型社会へのイノベーション

── 2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、現在どのような技術開発に取り組んでいるのでしょうか。
 東レグループの現在の取り組みを簡単に述べるとすると、カーボンニュートラルのカギとなる水素関連技術と、循環型経済への貢献技術の2つが柱になります。
水素・燃料電池の核心部材である触媒付き電解質膜「CCM:Catalyst Coated Membrane」と膜・電極接合体「MEA:Membrane Electrode Assembly」を効率的に生産する東レ子会社のドイツ法人Greenerity GmbHに設備を増強。市場拡大に備えて生産能力を高めている。
山梨県、東京電力HDとともに甲府市米倉山の電力貯蔵技術研究サイトで東レの分離膜技術を使用した固体高分子(PEM)型水素製造装置の技術開発と実証実験を実施。グリーンイノベーション基金事業におけるNEDOの助成事業の採択を受け、山梨県などとともにコンソーシアム「やまなし・ハイドロジェン・エネルギー・ソサエティ」を構成し、大規模P2Gシステムによるエネルギー需要転換・利用技術開発に係る事業を開始。
※P2G=Power to Gas:再生可能エネルギーなどの余剰電力を水素などのガスに変換するシステム
革新的PEM型水電解を用いたグリーン水素製造技術の創出を目指し、戦略的パートナーシップの構築にかかわる基本合意書を締結。両社の水素・燃料電池関連技術や事業のグローバルネットワークを活かして再エネ由来グリーン水素の導入拡大、および戦略的なグローバル事業展開を共同で推進する。
直径300マイクロメートル未満の中空糸状多孔質炭素繊維を支持体とし、その表面に薄い炭素膜の分離機能層をまとったCO2分離膜を開発。分離性能と耐久性に優れ、従来の無機系分離膜と比べてCO2分離の省エネルギー化と設備の小型化が可能。CO2の循環利用を実現する技術として注目されている。
 カーボンニュートラルを実現するには、排出されるCO2の利活用、そのための分離技術が不可欠です。すでに米国では、CO2を使い終わった油田に注入することで、油田に残った原油を押し出しながら、CO2を地中に貯留するような取り組みも行われており、CO2の削減と石油の増産を両立するビジネスとして期待されています。
 一般的なCO2分離技術として吸収法や吸着法があるものの、いずれもエネルギー消費量が大きく実用化には省エネルギー化の課題があります。だからエネルギー消費量が少ない膜分離法が注目されていて、世界中で研究が進められているんです。
 CO2に限らず、廃棄物の再資源化は循環型経済にシフトするためのファクターです。日本のPETボトルリサイクルは世界から再資源化のモデルとして注目されていますが、社会の正確な理解が進んでいません。
 使用済みPETボトルは、市民と自治体によって分別回収・選別保管がなされており、分別基準に適合した回収を前提として事業者が再商品化し、高度なリサイクル体制を発展させて今に至っています。
 このリサイクルをさらに発展させるには回収するPETボトルの品質が極めて重要ですが、品質のよい回収ができている自治体と、汚染やキャップ、ラベルなどが分離されていない自治体があり、実態は地域ごとにばらつきがあるのです。そのため当社も回収したPETボトルの品質について原料の安定確保の観点から環境省や業界団体等に提言を行っています。
 東レが開発したリサイクル繊維の生産技術は、回収されたプラスチックを使ってヴァージン原料と同等の「白さ」を実現しました。リサイクルによって素材を劣化させるのではなく、品質を保ったりアップサイクルを実現できたりすれば、廃棄されるプラスチックを再資源化でき、海洋プラスチック問題につながる使い捨てや、焼却や廃棄におけるCO2排出などの問題を解決するいとぐちにもなります。
 また、化石由来のポリマー原料をバイオマス原料に置き換える研究開発も進んでいます。NEDOの国際実証実験では、タイのウドンターニで東レと三井製糖との研究開発会社を組成し、東レが保有する水処理分離膜技術とバイオ技術を融合した「膜利用バイオプロセス」の研究・技術開発を行っています。
 サトウキビの搾りかすから膜技術を使って得られる高品質な非可食糖は、さまざまなケミカル品やポリマー変換が可能で、化成品の原料になります。こうしたバイオマス原料はさまざまな発生源からのCO2を吸収するため、当該技術はカーボンニュートラルに必須のバイオ化のプラットフォームになると期待しています。
── 既存の技術だけでは解けない地球環境問題に対して、さまざまな新しいアプローチが試されているんですね。
 11月に英国グラスゴーで開催されるCOP26でも議論されるでしょうが、2050年のカーボンニュートラルには、科学技術のイノベーションが欠かせません。CO2排出を削減するだけでなく、CO2を吸収して利活用する仕組みを開発しないと実現できないでしょう。
 これは大変に困難で、素材メーカーだけでなんとかなる問題ではありません。国、産業界、企業、消費者が協力し合い、社会システム全体として取り組んでようやく目標の達成が見えてくる。
 幸いなことに、人類の望ましい未来のための目標や課題は、SDGsやCOPなどによって明確になってきています。ハードルが高いからといって、手をこまねいていたら環境は悪くなる一方ですから、技術革新や機能の追求を止めてはいけません。
 この「止めてはいけない」が企業にとっては難しい。企業は利益を出しながら、未来の環境への投資を継続しないといけませんから。でも、その「超継続」は、技術の極限追求やイノベーションと同じく、東レが得意とするところなんですよ。