「生徒が言うことを聞かず、余裕がなくなってやった」そうですね。こう言う問題が出た時に、「資質」とか「資格」とか向いてないとかって言葉がよく出てくるように思います。でも本当の問題は余裕がなくなるほど追い詰められることじゃないんですかね。先生に必要な資質があるんだとしたら、それこそ聖人君子でないとなれないでしょう。そんなことよりも、愚痴ったりと発散する場がないことの方が問題です。(あったのかもしれないですが、発散できてないのは意味ないですから) 教育者へは多様性の許容が求められるのに、教育者自身の多様性が許容されるのは何なのでしょうか。
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