親ガチャ、反出生主義…若者たちは「人生のネタバレ」に絶望している
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まず親ガチャという発想が悲しいものに聞こえます。
自己責任が蔓延する世の中、そして能力の測り方が画一的な社会では確かにそういった側面はあるのかもしれません。
幸せな社会を頭の中で描くときに、自分の周りだけが明るくて、周囲が暗い状況であれば幸せを感じられないのが人間であると思います。
学校でもヤングケアラーを筆頭に、社会的な助けが届かない子どもたちも多くいます。ソーシャルワーカーの増員と今の社会を見つめ直した法整備が必要かと思います。
また、我々の生きる世界は競馬のようにただ「速さ」のような画一的な能力を競い合う社会ではないはずです。人生は様々な特性や環境を生かし、人と助け合いながら構築していくべきものであるはずです。
昭和のスゴロク人生と言われるような一度外れると戻ってこれない社会の先に幸せがあるとは思えません。
努力できることも遺伝という話もありましたが、学校では夢中になれるものを見つけられる環境を構築したいと思っています。ある時期までは勉強すること(いい大学にいくこと)は階層移動の機能を持っていましたが、最近では完全にこういった捉え方はされていないですよね。さらに偏差値偏重の教育のあり方に対する批判から、本当の意味でなんのために勉強しているのかわからなくなっているのが現状のように思います。
この背景にある理由はいろいろなものが考えられますが、個人的にはSNSによってこれまでなんとなく社会階層ごとに分けられていた文化やコミュニティがインターネット上で混じり合ってしまったことが1つあげられるように思います。
きらびやかな生活をしているインフルエンサーに憧れれば憧れるほど虚無感が襲うような感覚とでも言えばいいのでしょうか。同じ時代・同じ土地に生きているのにここまで自分と違うのはなぜかということを嫌でも思わざるを得ないのだろうと思います。
そこから抜け出す方法がこれまでは受験勉強だったわけですが、いまはビジネスの世界での一発逆転に変化しているように感じます。起業まではいかずとも、例えば「プログラミングを学んで高収入を得よう!」といったスクールが乱立しているのは、そういった背景があると考えています。こういう現実があることを踏まえたうえで日本人は社会をどうしたいの?というのがはっきりしないところがもどかしいです。もう何度も言っているので、繰り返しですみません。
私はノルウェーに住んでいますが、かなり平等主義で、ここでいう親ガチャの影響をできるだけ少なくしよう、という社会です。親の影響がないとは言えませんが、機会はかなり平等ですし、色々な幸せの形を許容していると感じます。その前に住んでいたアメリカは、格差をある程度受け入れて、それを発展の原動力にしている感じです。今は格差が固定がされてきて、社会的な分断を生んでいますが。
日本は、政策もちぐはぐで、方向性が見えません。新しいリーダーに期待したいところですが、どうなるでしょうか。