信長と光秀の子孫、遺恨超え法要 比叡山焼き打ちから450年
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注目のコメント
「怨親平等」の精神、歴史的な法要です。明智の坂本城は、延暦寺の門前町坂本にありました。歴史的に珍しい湖上の城でした。その礎が、琵琶湖の水面下ですが、今もわずかに残っています。坂本にある西教寺には、光秀と一族、妻の墓があります。
信長公に味方します。
当時は寺であっても僧兵をもち延暦寺も軍事拠点であった。
浅井朝倉は信長公と敵対しております。
延暦寺は寺ではなく軍事拠点で浅井朝倉に拠点を提供してる、信長公も話し合いを持ったがはねつけたのは浅井朝倉側である
そもそも寺は政治と軍事に深く関わっており
一方的に被害者とはいえない。「鎮魂の思いには何の区別もない」
「(比叡山を)襲った方々も戦の中で亡くなり、その歴史の上にわれわれは立っている。今後、新しい関係が始まったらいいと思う」
こういった考え方が国間戦争の歴史にも拡がる日を待つばかり。
過去を精算するよりも、未来の創造に尽力したいものです。