定年延長やめときゃ良かった 契約破りの末路
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"後進育成にベテラン社員が精を出したのは、「会社との関係」があってこそ"
"「我が社の存在意義」は、社員たちと共有できているだろうか"◆年長者による教育が成立する前提
定年延長の社員に若手の育成をお願いしたいというのはいろいろな意味で結構難しそうだ。すでに役職から離れているのでラインでの指導ではない。経験は豊富だが、その知見や技術が今も使えるかは微妙。もちろん活かせる知見や技術も沢山あるわけだが、それをかなりのジェネレーションギャップがある若者に伝えることができるか。教えを聴く方も「この人に教わる価値があるの?」と懐疑的にみていたりすると本当に難しい。
教える/教わるという行為は教わる側が教える側に対して一種のリスペクトを持っていないと成立しない。この人の言う事は正しい、役に立つ、自分を成長させるという信頼がないといくらいい話を聞いても「なるほど」と腹落ちして納得しない。この人間関係・信頼関係をどう築くかというのが本当に大切になる。
無条件に教える側(教師)が偉いので信じても大丈夫と思えるのは、小学校の間くらいで中学から懐疑的になり、高校くらいになると先生を品定めする。大人の教育はもっと難しく、なんらかの権威付けがないと教師として認めてもらえない。
上司の言葉はまだ直接の評価者という意味で聞く価値があるし、仕事の仕方が全く分からない時に最初に教わる上司や先輩の言葉は新人にとっては聞く価値があるし、唯一の頼りとなる。だが、直属でもない超年配者の言葉を一目置いて聞くためにはその人の権威付けが必要となる。例えば自分の上司(しかも偉い人)がその年長者の言葉を真摯に受け取っている場面をみたら、若者は見方を変える。組織として年長者に敬意を持つことが大切なのだ。
その文脈から考えれば「うちの組織では定年延長者の若手教育が機能しない」とぼやいている管理者は何が課題か読み違えている可能性がある。役に立たないからせめて教育をしてほしいという考え方で教育を任せることなど出来ない。上手くいっている組織はその人が今でも優秀なプレーヤーで、皆が一目も二目も置いている人に重要だからこそ教育を依頼する。その好循環がない限り年長者による教育は上手くいかないだろう。